2019年2月、サイト名を「神社のある生活って」から「あいちを巡る生活って」に変更致しました。

伊賀八幡宮の鐘楼が移設された北星山西福寺(西尾市吉良町吉田) 三河海岸大師 三十四番札所

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寺院情報

寺院名 北星山 西福寺
所在地 愛知県西尾市吉良町吉田桐杭二十七番地
御本尊 阿弥陀如来
宗 派 浄土宗西山深草派
創 建 建長六年(1254年)
札 所 三河海岸大師 三十四番札所
(旧)三河新四国 十八番札所
三河准四国 五十六番札所
三河観音霊場 二十五番札所
東条吉良観音 十六番札所
御朱印
H P

2019年2月21日 追記、更新

沿革・由緒

当山の創立は第八十九代後深草天皇の建長六年、西明寺(北条)時頼の建立にして創立時は天台宗なり。当時は堂宇東西及中の三堂あり、九十六代後醍醐天皇の元弘元年、北条氏征伐の際に焼失した。
その後、百一代後花園天皇の御宇、尾張より章久養玉と称する人来りて堂宇を再建し、浄土宗に改宗する。

「吉田村史」より

境内に建てられている由緒書きには、創建は建長六年(1254年)、時は鎌倉時代、第五代執権「北条時頼」によるものとされています。創建当時は天台宗の寺院として建立されたそうです。・・・その当時、矢作川の下流は河川の氾濫の多発地域であり、川の流れも氾濫の度に代わってしまう様な場所だったそうです。しかし、洪水が多発するという事は、矢作川からかなりな量の土砂が河口一帯に供給されるという事で、矢作川河口域は土砂体積により、かなり遠浅な浜になっていたと想像されます。長い年月で中洲の様な島ができ、そこに西福寺は建立されたんだと思います。こんな遠浅の海だったので、足利尊氏が行った干拓事業を始め、近年まで干拓が続き新田または塩田がつくられてきたんですね。

そんな北条氏にゆかりのある西福寺も、元弘元年(1331年)に勃発した後醍醐天皇による鎌倉幕府討幕を目的とする”元弘の乱”にてこの地においても戦乱が起き、北条氏所縁という事もあるのか、西福寺は灰燼に帰してしまったとか。その後、焼け跡の草庵に泊まった熱田正覚寺の章久養玉上人が北斗星がこの地に生えている松に来臨する夢を見てこの地が聖地であると悟ったそうで、上人は伽藍を再建し、浄土宗の寺院として再興されたと伝えられています。

西福寺 所在地

伊賀八幡宮所縁の鐘楼

いずれ紹介する予定ですが、岡崎市伊賀町には、徳川家光が造営した権現造の伊賀八幡宮が鎮座しています。当時の伊賀八幡宮には、神仏習合時代を彷彿とさせる鐘楼(鐘付堂)がありました。時代は移り、明治維新を迎え、時の政府は神仏分離令を発布し、神社と寺社の区別化を図ります。この政策が行き過ぎてしまい廃仏毀釈の動きがでてしまい、かなりの文化財も棄却されてしまったのは別のお話。伊賀八幡宮も神社として存続するために、仏教色が強い施設を取り除く必要が出てきます。有無をいわずに破棄棄却する所だとは思うのですが、そこは徳川家ゆかりの神社という事もあり、棄却ではなく、移設を前提とした売却を行います。そこで今回紹介する西福寺が買受、明治四年(1871年)に当地に移設しました。

鐘楼を移設の際、100%そのままで移設された訳ではなく、栩葺だった屋根を瓦葺に変更したと言われています。実際の所、栩葺の技術ってかなりロストテクノロジーみないな感じになってきており、栩より薄い木材を使用する「こけら葺」に移行しています。今回紹介する鐘楼も、実際解体しみたら、思いのほか屋根材が劣化しておりそのままでは使用できず、かといって栩葺は材料の工面、施工方法を考えると費用が掛かりすぎるので、瓦葺に変えて施工したと勝手に想像してます。

これが移設された鐘楼です。もともとの彩色がこの色なのかは不明ですが、伊賀八幡宮の社殿の色合いを比べると赤成分が少ない感じがしますね。ただ、非常に立派な鐘楼で、以前からこの横を通る道を仕事柄通っていたんですが、由来は解らなかったにしろ、鐘楼があったのは覚えていたので、車に乗っていても目に留まるほどの大きさなんだと思います。

参拝記

今回紹介する西福寺は愛知県道42号西尾吉良線沿いに鎮座しています。
市町村合併以前は西尾市と吉良町を結ぶ県道だったんですが、合併して西尾市になってしまったので、現在の名称は違和感がありますね。

で、先にも述べましたが、この県道を走っていると鐘楼が目に入ってきます。そんな県道沿いの雰囲気をグーグルストリートビューで感じてみてください

改めて見ると、イメージより鐘楼が小さい感じが・・・。
自分の中の思い出補正も大概なものだな・・・。

境内入口

境内入口になります。寺号標、霊場の札所案内石柱、石灯篭一対が据えられています。その奥には石柱門が用意されています。なかなか寺院の入口に石灯籠が据えられている所も少ないのでちょっと注目してみます。

竿石部分には善光寺如来夜燈と彫られています。
善光寺・・・ねぇ。無宗派の寺院で有名な信州善光寺の事でしょうかね。無宗派といいつつも、運営は天台宗の大勧進と浄土宗の大本願によって執り行われているんですが。この西福寺も現在は浄土宗なのでその繋がりで夜燈を設置しているのかも。夜燈と言いつつ、火袋石には開口されていないタイプです。


【追記】北星山 西福寺は、善光寺願所という霊場?の15番札所に選定されていました。


平成23年に建立された真新しい寺標になります。いつも思うのですが、寺名の前に付く山号ってどんな意味合いがあるんでしょうかね。

手水舎・水盤

四本柱タイプの木造瓦葺の手水舎です。
寺社でも水の給水口は龍をモチーフにするんですね。

鎮守社:星福弁財天

手水舎の反対には、鎮守社の弁財天が祀られていました。

本堂

入母屋造瓦葺平入の向拝の設けられた正面七間幅の本堂になります。この辺りの浄土宗の本堂に多い濡れ縁が設けられています。

鐘楼

そして、本堂向かって左手に据えられているのが、この鐘楼になります。
愛知県指定の重要文化財になります。ただ、元々この鐘楼があった伊賀八幡宮の社殿は戦前は国宝、現在は国指定の重要文化財になっていますから、やはり移設の際の改築が影響しているのかなと想像できますね。

是非一度、この鐘楼を見に出かけてみてはいかがでしょうか。

西福寺の文化財

愛知県指定文化財
・西福寺鐘楼 昭和30年11月18日指定・・[文化財ナビ愛知]
西尾市指定文化財
・木造聖観世音菩薩立像 昭和53年1月25日指定・・[西尾市文化財HP]
・勧経疏楷定規先聞録 平成6年3月17日指定・・[西尾市文化財HP]
・輪年草 平成6年3月17日指定・・[西尾市文化財HP]

投稿者プロフィール

成瀬晃ドクターレザーおかざき 店主
愛知県岡崎市で「かばん・くつ✚革の病院ドクターレザーおかざき」を営んでいる成瀬と申します。
史跡、神社などを巡った事をなどをつぶやきつつ、お店のブログではつぶやけないような事も書いていこうかと思っています。

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