西尾市

酒井氏先祖の墓

令和四年新企画のお知らせ

新企画「愛知県下新十名所」

 新愛知新聞社が昭和二年(1927年)に「愛知県の新十名所を読者投票で決定する。」というイベントを実施します。愛知県下を狂気の投票合戦へと誘ったこのイベントへの投票総数は驚異の1400万票以上。また、100票以上の投票を集めた名所候補は67カ所にも上ります。2022年、当サイトではこの67ヵ所の名所を巡り紹介していこうと思います。

酒井氏発祥の地

三河武士の「酒井氏」の発祥の地とされるのが愛知県に2ヶ所あります。1ヶ所が現在の刈谷市東境町周辺にあった丸山城を中心とした辺りになります。現地では酒井神社が鎮座していて、酒井氏との関係性を感じさせます。そしてもう1ヶ所が西尾市吉良町酒井地区になります。

酒井氏といえば徳川家康の筆頭家老だった「酒井忠次」を思い浮かべますが、徳川氏(松平氏)と酒井氏の関係はどういう関係だったのでしょうか・・・。

 

酒井郷の五郎左衛門の娘との間に生れたのが酒井氏の始祖となる「酒井広親」となります。そして、松平郷の松平信重の婿養子となり松平親氏と名乗り、松平氏二代目「松平泰親」が生まれ、徳川家康に通じる松平氏が発祥します。

この伝承について、正確な資料があるわけではなく、あくまでも伝承の中の話になっていて、松平親氏、泰親の存在も確認ができておらず、実在したのかも疑われている状態だったりします。徳川家康が征夷大将軍になる為に、自らの出自を源氏由来の家系図に作り直したというのが現在の通説であり、その中で親氏や泰親が想像されたとも言われています。

現地に据えられている説明板になります。
藤沢の遊行寺で出家したと書かれていますね。この遊行寺は時宗の総本山になります。遊行寺には長阿弥、徳阿弥が出家した資料は残っていない様です。

左から、酒井五郎左衛門娘墓、酒井五郎左衛門墓、長阿弥(新田有親)、酒井広親の四基が安置されています。

酒井地区の集落の南側にあり、周囲は田園が広がり、比較的わかりやすい場所にあると思います。

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