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法栄山松韻寺(愛知県安城市寺領町) 聖徳太子所縁「むちうけの岩」

2020年6月6日

令和四年新企画のお知らせ

新企画「愛知県下新十名所」

 新愛知新聞社が昭和二年(1927年)に「愛知県の新十名所を読者投票で決定する。」というイベントを実施します。愛知県下を狂気の投票合戦へと誘ったこのイベントへの投票総数は驚異の1400万票以上。また、100票以上の投票を集めた名所候補は67カ所にも上ります。2022年、当サイトではこの67ヵ所の名所を巡り紹介していこうと思います。

寺院情報

寺院名法栄山松韻寺
所在地愛知県安城市寺領町久後五十二番地
御本尊阿弥陀如来
宗 派浄土真宗大谷派
創 建永正二年(1505年)
札 所
御朱印
H P

参拝日:2020年5月25日

沿革・由緒

 境内より奈良時代の物と思われる「布目瓦」などが出土し、奈良時代からの由緒ある寺院とされているが、室町時代の戦乱により焼失、荒廃し、僅かに観音堂を残すのみとなったと言います。観音堂の堂主は永正二年(1505年)に浄土真宗に帰依し、真宗の寺院と称するようになるが、三河一向一揆により再び荒廃してしまいます。その後、万治四年(1661年)に本尊を安置し復興し、延宝五年(1667)に「松韻寺」の寺号を本山より許可されています。

 境内より出土した「布目瓦」は、「寺領廃寺/紹介記事」の出土品となります。現在の松韻寺の境内より広い境内を持っていたと考えられる「寺領廃寺」は、岡崎市北野町にて発掘された「北野廃寺」に次ぐ西三河で古い寺院であると考えられている様です。

歴史探訪

 安城市寺領町にある「法栄山松韻寺」の境内に聖徳太子所縁とされる「むちうけの岩」があるという事で訪れる事にしました。

 ここ松韻寺は「寺領廃寺/紹介記事」と称される奈良時代の頃に建っていた寺院の跡地に立っている浄土真宗の寺院になります。寺前に据えられている由緒板では、寺領廃寺を長松寺と称し、この寺の一隅に建てられたのが松韻寺であると書かれています。実際の所、寺領廃寺と松韻寺を結び付ける物は存在していない訳ですが、古くからここ寺領周辺は碧海郡の仏教の中心地であったことは想像できます。

 松韻寺には前述した聖徳太子所縁のむちうけの岩の他に、馬上の太子象など聖徳太子に纏わる寺宝を有しているとか。これは浄土真宗を開宗した親鸞聖人が聖徳太子の仏徳を讃嘆されたからだとも言われています。
 「桜井戸跡/紹介記事」でも聖徳太子が杖で刺したところから水が湧きでたという逸話を紹介していますが、この辺りは聖徳太子となんらか所縁のある場所なのかもしれませんね。

 桜井町の色々な史跡を巡っていく中、一覧みたいな記事を書こうかなと思って勝手に「桜井町誌」を作成してみました。「綾姫伝説」についてもまとめていく予定ですので、是非ご覧ください。

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参拝記

 安城市川島町から田圃の中を抜けて寺領町、野寺町を抜け米津方面に行くことができる市道があるんですが、あまり信号もなく走りやすい道なので抜け道としても使われている道路なんですが、なにせ説明しにくい・・。この市道を走り、矢作川を渡河する小川橋に通じる県道292号線の小川町五反田の信号を南に向かって進みます。右にカーブしながら進んでいくと、「寺領町東」という歩行者専用信号が出てくるので、横断歩道を越したらすぐ左折して路地を進んでいくと、右手に観音堂と神社が見えてきます。これが上記ストリートビューの視点になります。観音堂と神社の間を入っていくと、松韻寺の山門が見えてきます。

境内入口

 袖壁と通用口が設けらえた薬医門の山門とその前に「真宗大谷派松韻寺」と彫られた寺号標が据えられています。薬医門の門扉が設けられていない(撤去された?)為、通用門の存在があやふやになってしまっていますね。

手水舎・水盤

 木造瓦葺四本柱タイプの手水舎です。屋根部分の反りが設けられていないので、この角度から見るとちょっと違和感を感じてしまいますね。それだけ反りの設けられた屋根を持つ手水舎を見続けていたという事なんですね。

本堂

 入母屋造瓦葺平入の向拝が設けられ、本堂周囲を高覧のある濡れ縁が囲んでいる本堂になります。

むちうけの岩

 本堂の向かって左手の墓地となっている場所と接する様に、今回ここ「松韻寺」を参拝した目的の「むちうけの岩」が置かれています。この「むちうけの岩」には聖徳太子を巡る伝説がその所縁になります。

 聖徳太子が蝦夷征伐に行かれたとき、崖の上に待ち伏せしていた蝦夷が、大きな岩を太子めがけて落としてきました。太子は持っていた金の鞭で、岩を打ち払いました。岩は見事に3つに割れて、
1つは兵庫県姫路市、
1つは福島県安達町、
1つは三河国岩根里に落ちました。
 松韻寺の岩がその岩だと言うのです。その岩を霊石として建てた寺社が寺領廃寺とも伝えられています。

「むち宇計(うげ)の 岩根山こそ 皇廼(すめらぎの) 代々耳続(につ)きせぬ 以(い)わのいしずえ」と読まれた和歌にもその伝承が伝えられていると言います。

 この「むちうけの岩」がここ松韻寺の境内、又は寺領廃寺の境内に落ちた訳ではなく、松韻寺から直線距離で北に500m程の場所に岩が落下したと伝えられている場所があります。

 太子が打ち払った岩の一つは三河国岩根里に落ちた際、地中深くに食い込み、その衝撃と轟音で岩根里の村人たちは飛び起きたと言います。そして岩が「ジージー」と鳴いたため、村中が総出で岩を掘り出して寺領まで運んでいったという話が伝わっています。

 現在岩が落ちたとされている場所には石碑が設けられています。岩が落ちた衝撃でクレータの跡の様になって「ぐたらの池」と呼ばれる池になったのでしょうかね。現在では圃場整備が行われ池の遺構などは残っていないのですが、この池があった記憶を残すためのこういった石碑が置かれているのはとてもありがたいです。

地図で所在地を確認

寺院名法栄山松韻寺
所在地愛知県安城市寺領町久後五十二番地
最寄駅あんくるバス2号桜井線「寺領バス停」徒歩2分

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