名所旧跡など

白鳥古墳(名古屋市熱田区白鳥)

令和四年新企画のお知らせ

新企画「愛知県下新十名所」

 新愛知新聞社が昭和二年(1927年)に「愛知県の新十名所を読者投票で決定する。」というイベントを実施します。愛知県下を狂気の投票合戦へと誘ったこのイベントへの投票総数は驚異の1400万票以上。また、100票以上の投票を集めた名所候補は67カ所にも上ります。2022年、当サイトではこの67ヵ所の名所を巡り紹介していこうと思います。

 名古屋市熱田区白鳥にある伝説では「日本武尊」の御陵とされている前方後円墳です。江戸時代までは現在古墳東隣にある「白鳥山法持寺」が管理していたが、その後、明治時代から太平洋戦争までは「熱田神宮」が、そして戦後は「名古屋市」が管理をおこなっています。

正法寺古墳概要

名称白鳥古墳
形状前方後円墳 全長70m
時代六世紀初頭
所在地名古屋市熱田区白鳥一丁目
指定・種別

訪問日:2020年2月5日

 元々の形状は「前方後円墳」と推測されているが、前方部分だけでもなく、後円部分もかなり削られてしまい、原形を留めていません。

歴史

 「日本武尊」が草薙剣を美夜受比売に預けたまま、伊吹の神を素手で倒すために出立します。しかし、伊吹の神に返り討ちにされてしまった日本武尊は、満身創痍となってしまい、都のある大和国に向かう事にするが、途中「能褒野」の地にて亡くなってしまいます。
 能褒野の地に埋葬された日本武尊は、白鳥に姿を変えてその地を飛び立ったとされます。そして、今回訪問している白鳥古墳の地に居りたった後、大和国に向かって飛び去った。そして、この降り立った地に「日本武尊」を弔った御陵を築いた。
 そして、天長年間(824-834年)に、熱田神宮に参篭していた「空海」が自らがあこがれていたと言われている「日本武尊」を弔うために「延命地蔵菩薩」を刻み、「白鳥御陵」の鎮守とその副葬品などを護るために草庵を結んだとされています。この草庵が後に「白鳥山法持寺/紹介記事」になります。

宮内庁が日本武尊の御陵であると治定している場所は三カ所あります。

古墳名形状所在地
1能褒野墓前方後円墳三重県亀山市田村町
2白鳥陵長方丘奈良県御所市富田
3白鳥陵前方後円墳大阪市羽曳野市軽里

日本神話の英雄である「日本武尊」の御陵を巡ってみても楽しそうですね。

参拝記

 堀川沿いを通る市道沿いから白鳥古墳に通じる小道が設けられいます。古墳の北側からも行ける事はできるのですが、遥拝所の向きからだとこちらが正面側になるっぽいです。
 駐車場がないので、法持寺に停めさせて頂くか、熱田神宮公園の駐車場を利用してください。

 上記のストリートビューの地点から振り返ると名古屋城下に繋がる堀川が流れています。
 遠くに見える白色の日本の塔と空中回廊が設けられた様な建物は「名古屋国際会議場」です。その昔、名古屋デザイン博のメイン会場だったような気がします。

本居宣長の歌碑

 国文学者の本居宣長の歌碑が据えられています。神道に多大な影響を与えた人物ですね。

「しきしまの やまとこひしみ 白とりの かけりいましし あとところこれ」

当地を訪れた際に歌った歌なんだそうです。

残念ながらこの歌碑の劣化がひどく、表面が剥離してしまっています。

剥がれ落ちてしまった部分いがいも、かなりあちこちが剥離しかかっています。修復しないといずれこの碑は何だったんだ?って事になってしまいそうです。

 歌碑の先はすこし急こう配な石階段が続き、その先に御陵があります。遥拝所周囲は瑞垣が設けられているようです。

 宮内庁管理の御陵ではなく、名古屋市が管理している御陵になるので神社色は排除された古墳になっています。明治以降、太平洋戦争までの熱田神宮が管理していた時は、この白鳥古墳に末社「白鳥社」が鎮座していたようです。

地図で所在地を確認

古墳名白鳥古墳
所在地名古屋市熱田区白鳥一丁目
最寄駅名古屋市営地下鉄 名城線「神宮西駅」徒歩5分

次の目的地は?

 名古屋二一大師霊場一四番札所「雲龍山喜見寺」を納経します。この喜見寺は住職が不在の事が多いという事で、今回納経した「弥勒院」にて納経印を置いて頂けます。

白鳥山法持寺」の山門前にある「臨済山龍珠寺」を参拝してきます。門前にまた新しい霊場の案内石碑が立っていたので寄っていく事にしました。

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