臨済山龍珠寺(名古屋市熱田区旗屋) 蓬ヶ島新四国二番札所

寺院情報

寺院名臨済山龍珠寺
所在地名古屋市熱田区旗屋二丁目二四番十号
御本尊釈迦如来
宗 派臨済宗妙心寺派
創 建永正年中(1504-1521年)
札 所大名古屋八十八ヶ所 五十七番札所
蓬ヶ島新四国霊場 二番札所
御朱印
H P

参拝日:2020年2月5日

由緒・沿革

 永正年中(1504-1521年)に「加藤隼人佐延隆」が神戸村に建立した「龍珠庵」が起源となります。名古屋二十一大師霊場十四番札所「雲龍山喜見寺/紹介記事」も「加藤隼人佐延隆」の建立になります。
 この「加藤隼人佐延隆」は一体どんな人物なのでしょうか?

 元々熱田の地は「熱田神宮」の神領が広がる場所になります。大正四年発刊の「名古屋市史」によると、加藤氏は熱田の支配人であると書かれています。神領を支配する人・・・やとわれ店長と考えればいいんですかね・・。文禄四年太閤検地の際、「熱田中を千秋刑部大輔並びに加藤図書助、同隼人以上三人の支配也」とあるようです。千秋家は熱田神宮の大宮司の家系になり、名前が出ていても納得なのですが、加藤家から二名も名前が出てくる事から、熱田の地で有数の権力者であったことが想像できます。加藤家は伊勢山田からきた神宮葺家となったとあり、熱田神宮とは密接な関係にあたった家系であったという事なのでしょう。

加藤景繁 ┳ 加藤順光(加藤図書助:東加藤)
     ┗ 加藤延隆(加藤隼人:西加藤) 

 「龍珠庵」を建立した「加藤隼人佐延隆」は西加藤家と呼ばれる加藤家分家の祖となる人物の様です。桶狭間の合戦の際、織田信長が熱田神宮にて戦勝祈願を行った際、加藤順光、延隆も立ち会ったと言われ、特に兄である「順光」に酌をさせて、「今日は加藤も来たから、戦にも勝とう(加藤)!」と言ったとか言わなかったとか・・・。

 今川氏豊が守る「那古野城」を攻め落とした「織田信秀」は徐々に熱田の地にも勢力を拡張したと考えられます。そんな中、織田家の臣下とはならなくとも、協力する国人といった感じだったのではないでしょうか。熱田という海運、陸運の重要地を支配下に置く加藤家は織田家も無視できなかった存在だったように思えます。

 「龍珠寺」の開山は「南溟紹化禅師」になります。創建した加藤延隆と南溟紹化禅師の出会いの逸話が「厚覧草(あつみぐさ)」という江戸時代に書かれた書物に登場します。

 尾張国の織田家の軍勢が美濃国へ攻め入り、織田軍の兵士たちが攻めこんだ先の集落などを襲い、略奪を行っている中を偶然「南溟紹化禅師」が通りかかってしまう。 当然、兵士たちはこの僧侶も襲う事になります。兵士たちにしてみれば「鴨が葱を背負ってきた。まさに鴨葱の様なものですから。

 襲われた南溟紹化禅師は、「儂は見ての通り旅の僧侶、金目の物は全く持ち合わせ居らん故、何もおぬし等に渡すものはないが、どうじゃ、儂はそこらの者に比べれば物知り故、きっと儂を売れば金になると思うぞ。」と話し、兵士たちはこれは面白いを言う僧侶だ。という事で南溟紹化禅師を連れて尾張国に戻る事になります。道中「物知りはいらんか~?」と売り歩き、いよいよ熱田まで来た時、加藤隼人佐延隆がこの声を聞き、南溟紹化禅師を一目見ただけで「唯人にあらず」と思い、兵士たちに銭一貫文を渡し、南溟紹化禅師を解放します。禅師を邸に招いた延隆は仏法を問い、その知識に大いに驚き、草庵を建立し、禅師を奉じた。

 南溟紹化禅師は龍珠庵を天文元年(1532年)に官許(天皇の許可)を得て、「臨済山龍珠寺」と開山し寺格を得た後、四十年も住職を勤められ、当時では非常に長寿だった九十歳の永禄五年(1562年)に没しています。禅師はまた、織田信長が手習いした寺院として名が知られている「集慶山凌雲寺」の開山も行っています。そして、禅師の墓石が凌雲寺にあるようです。

 龍珠寺五世「大州紹覚」は寛文四年(1664年)に現在の地移転しています。山門と本堂は太平洋戦争での空襲による火災からも逃れる事ができ、現在でもその姿を見る事ができます。

名古屋二十一大師霊場を行くー寄り道遍ー

 「白鳥山法持寺/紹介記事」の山門とは道路を挟んで反対側に立っているのが今回参拝する「臨済山龍珠寺」になります。大名古屋八十八ヶ所という弘法大師霊場の札所になっているので、納経していこうと思い、参拝させて頂きました。山門の前には弘法大師霊場である石柱があり、最初は大名古屋八十八ヶ所の札所案内かなと思ったのですが・・・・。

 正面に「弘法大師」その右側に「蓬ヶ嶋新四国霊場第二番」と書かれています。さてさて、全く聞いたことのない新四国霊場が登場してきました。弥勒院で見かけた「熱田八大師」と同じ様に熱田を霊場とする弘法大師霊場だと想像できます。

 熱田神宮を中心とする場所は古来より「熱田台地」または「那古野台地」と呼ばれる台地になります。現在の名古屋城、熱田神宮、大曾根の三点を直線で結んだ三角形の様な台地になる訳ですが、現在と比べ水位が高かった時代はまさに島の様な形状になっていたはずです。
 中国には「東の海に蓬莱島があり、不老不死の仙薬がある」という中国の伝説があり、熱田神宮周辺はこの蓬莱島であると鎌倉時代に書かれた「渓嵐拾葉集」に載っているようです。秦の始皇帝が不老不死の為に、中国だけでなく世界中に使者を送りその仙薬を探し求め、海を渡った島に仙薬があると聞き、使者がこの島を尋ねたがそんな薬は存在せず、またその他の使者も不老不死の薬は手に張らず、始皇帝は死んでいく。という伝記を聞いた記憶があるのですが、この時の東の海に浮かぶ島というのが、熱田神宮を中心とした熱田台地になるそうなんです。

 蓬莱島から取られたと思う「蓬ヶ嶋」とう名を持つ霊場にこの先出会う事はあるのでしょうか。

参拝記

 突き当りにみえる山門が先日紹介した「白鳥山法持寺」になります。そしてストリートビュー右側に見えるのが今回参拝する「龍珠寺」の山門です。
 駐車場は山門横に設けられていますね。

山門

 由緒の所にも書いていますが、江戸時代にこの地に移転した時に建てられた山門が現在まで残っているそうです。築四百年近い瓦葺の薬医門になります。

 山号である「臨済山」と書かれた扁額が掲げられています。

本堂

 入母屋造瓦葺平入の本堂になります。なんとなくなイメージなんですが、自分の抱く禅宗の雰囲気に沿った感じの本堂になります。

鐘楼

袴腰を有する鐘楼なんですが、入母屋造の屋根と相まって非常に独特な雰囲気を持った鐘楼ですね。袴腰だけでなく、二階部分の梵鐘が釣られている所にも壁が設けられて、なんか鐘楼というより櫓の様にみえたりしますね。

地図で所在地を確認

寺院名臨済山龍珠寺
所在地名古屋市熱田区旗屋二丁目二四番十号
最寄駅名古屋市営地下鉄名城線「神宮西駅」4番出口徒歩4分

次の目的地は?

名古屋二一大師を行く

 名古屋二一大師霊場一四番札所「雲龍山喜見寺」を納経します。この喜見寺は住職が不在の事が多いという事で、今回納経した「弥勒院」にて納経印を置いて頂けます。

名古屋二一大師を行く-寄道遍-

熱田八大師六番札所「金法山地蔵院」を訪れます。たぶん本堂と庫裏が一体となった建物になると思うのですが、表札はあっても寺院らしい建物がなかったりするので、迷ってしまいました。

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