神社情報
神社名:八幡社
鎮座地:西尾市吉良町岡山八幡山八番地
御祭神:譽田別尊、大雀命
旧社格:神饌幣帛料供進指定村社
創 建:不明
境内社:秋葉社
例大祭:十月十四日
H P:-
参拝日:2010年8月29日
参拝日:2017年11月1日
御由緒
社伝に、宇殿町の吉良家の陣屋に鎮座し、大雀命は字若宮に鎮座したのを合祀する。という。明治五年十月十二日、村社に列格した。昭和十七年四月七日、八幡社、若宮八幡社合殿を八幡社に改称し、神饌幣帛料供進指定社となる。
愛知県神社庁 発刊
「愛知県神社名鑑」より
御祭神 譽田別尊
合祀社 大雀命
由緒
伝説に曰く往時、宇殿町に吉良家の陣家ありしと言う。當時、御祈願所として創立さられたる者なりと言う。
大雀命は昔時、字若宮に鎮座ありしを年代不詳 合殿として當社に奉祀したりと言う。
明治五年十月村社に列せられたり。と大正六年十月に発刊された幡豆神社史にある。
境内内
「岡山八幡社由緒沿革」より
参拝記
神社周辺情報
吉良家の菩提寺である華蔵寺と黄金堤など、忠臣蔵で一方的に悪役にされている吉良上野介の領地で由緒書では吉良家の陣屋の跡地に鎮座するとされていて、往時の中心地になる場所に鎮座するのが八幡社になります。
領事巡察の為吉良の地に来た時の吉良上野介の銅像が設置されています。
この華蔵寺から八幡社までは説明しにくいので、地図をご覧ください。
八幡社が鎮座する山の北側は一帯が工場地帯になっています。が、神社が鎮座するところだけを見ると、まさに山間部の神社の雰囲気がします。
参道
こういった木々に囲まれた参道っていうのは何とも言えない落ち着いた気分にさせてくれます。
参道の階段を上っていくと、境内が見えてきます。
境内入口に鎮座するこの門みたいなものは、例祭の時に提灯を掲げていると思うんですが・・・。一度例大祭にお邪魔して確認してみたいですね。
社号標
旧社格が彫られた社号標です。
鳥居
ここの神明社の鳥居は扁額が取り付けられた神明鳥居になります。
手水舎・水盤
四本柱タイプの乾拭きの手水舎になります。
瓦葺の手水舎はかなり屋根が重く見えるので、柱の太さ、柱間幅によってかなりイメージが変わると思います。この八幡社の手水舎はあくまでも自分の主観ですがバランスが取れた形だと思います。
祓所
祓所になります。榊は植えられておらず、全面コンクリートで覆われたタイプですね。
以前参拝させて頂いた時には、祓所の前の石畳は設置されておらず、最近造営された物になります。
狛犬
大正六年生まれの狛犬一対
子供の顔つきが怖いです。
社殿
社殿を望みます。
下から見上げる形になっているので、屋根部分が見にくいですが・・。
入母屋造、瓦葺、平入、コンクリート造りの拝殿になっています。
資料によると、造営前の本殿は切妻造の本殿だったそうで、今の本殿の形に受け継がれていると思います。違うのは、拝殿、幣殿、本殿が別々に増築されるように建てられていた社殿から一体型の社殿にかわっている所でしょうか。
懸魚・鬼瓦
鰭付きの蕪懸魚になります。鰭が波ではなく雲がモチーフになっている様です。
破風拝紋には神明社ではよく見る菊の御紋が付けられています。
境内社
社殿左手に鎮座する秋葉社
岡山八幡山古墳
まさに、この八幡社の境内の裏手が前方後円墳になっているそうです。
吉良のお殿様もこの古墳を見ていたという事になりますね。歴史って面白いです。
社殿左手が後円部分になるはずです。まさに木々が生い茂っている場所になります。
参拝を終えて
歴史を感じる事ができる神社ではないでしょうか。
古代の古墳時代、江戸時代の吉良上野介・・
特に、徳川家康の三河統一の際の史跡などがこの辺りに点在しているので、また紹介していきたいと思います。