奥津日子命、奥津比売命とは?
奥津日子命を「オキツヒコノカミ」、奥津比売神を「オキツヒメノカミ」と呼ぶ日本古来からの神になります。「古事記」によると、
故、其大年神、・・・(中略)・・・又娶天知迦流美豆比賣、生子、奧津日子神。次奧津比賣命、亦名、大戸比賣神。此者諸人以拜竃神者也。・・(後略)・・・
(現代語訳)
大年神が、天知迦流美豆比売を娶って生んだ子は、奥津日子神。次に奥津比売命、またの名は大戸比売神。この神は人々が拝みまつる竃神である。・・・
と書かれており、奥津比売神には「大戸比売神」という別名があると書かれています。また、父親が大年神(オオトシカミ)で、母親が天知迦流美豆比売神(アメチカルミズヒメノカミ)であるとも。この大年神と天知迦流美豆比売神の間には奥津日子命、奥津比売命を合わせて十柱の御子神が誕生しています。
奥津日子神、奥津比売神は「かまどの神」として古くから信仰されている神であると言われています。実際古事記にも両柱共に竈神であることが書かれています。奥津とはかまどの燃え残りをオニ、熾火と呼ぶことから生じたとされ、奥津比売命の別名「大戸比売神」の戸は竈の事をヘッツイとも呼び、この「へ」から生じたとも言われています。「かまど」は非常に古くから存在していたはずで、人が生きていく中で重要な「食」を考えた時に火を使い調理をする「かまど」はとても重要で、家庭の中でけっして無くすことのできない言わば中心的な存在であるとも言えます。そしてこのことが家庭の守護神として人々に広く信仰されるようになっていたと言われています。古事記や日本書紀に奥津日子神、奥津比売神の名前は登場しますが、深く説明されていないことを考えると、記紀が書かれる以前から侵攻されていた神でありあえて説明をする必要が無かったのではと言われています。
荒神信仰
時代が進むにつれ、徐々にこの「かまどの神」も神仏習合の中に飲み込まれていく事になり、何時しか修験道や日蓮宗が祀った神仏習合の神のなかの「三宝荒神」と結合していく事になります。三宝荒神は、清浄を尊び不浄を嫌うという非常に潔癖な性質とされており、それがいつしか不浄を払う力があると信じられてきた火の力と結びつき、かまどという家庭内で火を使う場所を司る神である竈神とさらに火を司る神である「加具土命」が結合していく事になります。
仏教要素と結びつくことにより「荒神」として信仰されるようになり、より一層信仰が浸透し民間信仰である「荒神信仰」が生まれていく事になります。(荒神信仰については、地方ごとに様々な信仰形態があるとされ、その実態は把握できていないともいわれています。)
神仏分離
しかし、明治政府による神仏分離令は民間信仰である「荒神」にも影響を及ぼすことにあります。それまで荒神を祀っていた「荒神社」などでは三宝荒神と奥津日子神、奥津比売神、加具土命を切り離し、後者三柱を祀る神社を選択する所が多かったと言われています。ただ、神社によっては、三柱を御祭神とせず、いずれか一柱、または二柱を御祭神としている神社もあります。
御神徳
古くから「かまど神」として信仰されてきた神であることから家つきの神で言うことができ、火防せ、農作物の守護といったことから結婚、赤ん坊の無事な成長、家族の健康や旅行の安全、家畜の守護といったことまで、家族の生活に関わるあらゆることに力が及ぶと考えられています。
かまどが家庭にあった時代にはかまど周辺に「竈神」の御札を貼っている家庭が非常に多かったと言われています。