日長神社(愛知県安城市高木町) 高木清秀崇敬社

神社紹介

神社名日長神社
鎮座地愛知県安城市高木町鳥居一番地
御祭神天照大御神(旧:大日孁貴尊)
旧社格神饌幣帛料供進指定村社
創 建伝:天長年中(824-33年)
神名帳延喜式:碧海郡 日長神社 明治政府からは未定社の通達あり 
境内社秋葉社
例祭日十月三日
御朱印
H P

参拝日:2020年6月29日

御由緒

 社伝には平安時代初期の天長年中(824-33年)に創建されたと伝えられている神社になります。創建年の伝承と社名から延喜式内社の具申をしたそうですが、残念ながら式内未定社との返答だったそうです。碧海郡だった場所にはもう一社、岡崎市中島町に鎮座する「日長神社」が延喜式内社の論社とはなっているようですね。

 現在では安城市高木町となっていますが、紹介した「山崎城/紹介記事」の記事の中で紹介した山崎城の縄張り図を見ていると、山崎城北東側に設けられた曲輪部分に日長神社が鎮座している様に見えます。今一度縄張り図を紹介します。

 山崎城の北東側に突き出た曲輪がありますよね。曲輪周辺は周囲より一段高くなっていた事がこの図からもわかります。現在でも日長神社の周辺は基本北だれの地勢になっていて、日長神社の境内入口から北に進んでいくと下り坂になるのですが、境内地はそのまま高さを維持しており、境内の北側に進むとかなりの標高差が出来ている事に気付くことができます。

 元々日長神社はこの場所に鎮座していたのか?それとも山崎城が廃城となった後に曲輪跡を再利用する形で高木郷からこの地に遷座したのか?この辺りの事は伝承が無い様で不明となっているようです。ただ、社伝と社宝では元々は水野信元の家臣であり、その後徳川家康の臣下となった「高木清秀」がこの日長神社が鎮座する碧海郡高木を領していて小牧長久手の戦いの際武運を祈願し出陣し、長久手の地にて池田恒興率いる軍勢と対峙し武功をあげたとされています。そして無事武功をあげる事が出来た事に清秀は陣羽織と刀剣を奉納し、さらに自らの持念仏を奉納したとされ、現在でも社宝となっているそうです。

創建は天長年中(824-33年)と伝う。寛文七年(1667)水野監物への万書上帳に日長神社境内内十八間四方とあり。明和六年(1769年)大草太郎左衛門も又明治四年額田県への書状にも同様に記する。天正十二年(1584年)尾張長久手合戦に高木善次郎清秀、当社に武運を祈願し池田勝人を討つ。慶安二年(1649年)水野和泉守検地帳に字日長田、日宝前、鳥居、御子田、御用米、油田等の名前あり。明治五年十月、村社に列格し同四十二年九月一日神饌幣帛料供進指定となる。明治の初村民延喜式内の日長神社なりと具申したが教部省より式内未定社の達を受けた。昭和五十一年、社務所を改築。同五十三年、拝殿を再建した。

愛知県神社庁発刊「愛知県神社名鑑」より

歴史探訪

 山崎城址から徒歩で数分の場所に鎮座している日長神社になります。参拝した時は町境までは意識してなかったので、山崎町に村社が二社もあるのかとおもっていたのですが、日長神社は山崎町の北側にある高木町の鎮守社になります。

高木清秀とは?

 高木氏は古来この地を本貫としていた一族で、「高木清秀」はこの地を離れ、元々は緒川、刈谷城主だった「水野信元」に仕えていました。桶狭間の合戦後、徳川家康が独立した後に発生した三河一向一揆では、徳川軍の武将も分裂してしまう事態に陥り、徳川家康が非常に苦戦する状況となっており、水野信元は甥にあたる家康への援軍を出陣させています。この援軍で「高木清秀」は非常に軍功をあげたと言われ、三河一向一揆が終結すると、家康は水野信元の家臣である高木清秀に高木氏の古地である碧海郡大岡荘(現在の高木町)を与えています。その後、織田家中において水野信元が謀反の疑いで大樹寺にて処刑された後は、水野領を引き継いだ「佐久間信盛」の家臣団に組み込まれ、更に佐久間信盛が19ヶ条の折檻状にて追放されると信長の直属となったようです。さらに本能寺の変において織田信長が明智光秀に殺されると、徳川家康に直訴し家康に仕えるようになっています。家康の家臣となった清秀は数々の戦で軍功をあげ、後に徳川十六将の一人に名前を連ねる程となります。
慶長十五年(1610年)七月十三日死去。墓所は愛知県岡崎市大和町の真宗高田派の「桑子山妙源寺」です。

参拝記

 山崎城址の北側を東西に抜ける市道を東に少し歩くと今回紹介する「日長神社」の境内入口があります。山崎城址と共に、戦国時代の武将「高木清秀」所縁の神社になりますので、山崎城址を訪れた際には是非ともこちらの日長神社を参拝してほしいと思います。

境内入口

 南入りの境内入口になります。
 最近、神社巡りをして思う事が、元々据えられいた幟立石を改良して立石の間に鉄製のポールを設置する神社が増えてきたということですかね。幟用のポールは以前からあちこちの神社で据えられていたのですが、特にこの10年くらいでその数が増殖している気がします。まあ、実際毎回祭の度に幟を掲げる竿を立ち上げるのは大変ですからね。木の竿を使用している所もまだ多いかと思いますが、実際この鉄製のポールに替えたらすごく楽になったわという年行事さんのお話を聞いたことがあるので、まだまだ増えていきそうですね。

2009年8月16日に日長神社を参拝した際の写真です。記事を書いている2020年から11年前になります。幟立石がまだ鉄製のポールが据えられる工事が行われていませんね。

社号標

 明治三年に建立された社号標になります。延喜式内社として具申している日長神社ですので、社号標にも式内社であるとして「延喜式内社二十六座内日長神社」と彫ったのでしょうけど、未定社という答申を受けて、式内社の「内」部分を削っていて、削った後に「神」とうっすらほっています。こうなると延喜式神社となって、これはこれで式内社の事になってしまうのではないのでしょうか?

鳥居

 扁額のない明神鳥居になります。こちらの鳥居、建立年月が元禄十三年(1700年)と彫られていました。そうすると三百年物の鳥居ということになりますね。

手水舎・水盤

 木造瓦葺四本柱タイプの手水舎になります。耐震強度を向上させる為に、貫が上下二重設けられていますね。

祓戸

 石造りの基壇の上に瑞垣が設けられ、御垣内に榊が植えられた祓戸になります。植えられた榊の葉の茂り方が立派ですね。

狛犬

 昭和十二年生まれの子乗り玉乗りの狛犬一対になります。白飛びが激しくいまいち狛犬の造形が分かりにくいのですが、徐々に装飾がゴテゴテし始める時代の狛犬って感じがします。

社殿

 入母屋造瓦葺平入のコンクリート構造低床型の拝殿になります。因みに幣殿、覆殿は外側から見ると板張りの外観となっていて、もしかしたら木造なのかな?と思う構造になっています。

境内社

 境内社の秋葉社になります。

秋葉山常夜燈

 三段の基壇の上に据えられた秋葉山常夜燈になります。全体の造りがかなりスリムな常夜燈に感じますね。基壇部分がもう少し広がっている造りだと受ける印象が異なるのかなあ。この常夜燈も移設されて日長神社の境内に据えられたようです。そうなると境内社で紹介した秋葉社もこの常夜燈繋がりなのかも?

地図で鎮座地を確認

神社名日長神社
鎮座地愛知県安城市高木町鳥居一番地
最寄駅あんくるバス1号安祥線「山崎バス停」徒歩9分

ご自宅にお札は祀られていますか?

実家には神棚はあっても、今お住いの所には神棚がない方も多いかと思います。神棚には、日本の氏神である”天照大御神”とご自身がお住いの氏神様のお札を掲げると御神徳が宿るとされています。
賃貸住宅などに住まわれて簡単に神棚を掲げられないという方もお勧めなのが、

仏縁堂ブランド:リアルさ違いますよ・鳥居付神棚(ITSUKU)総檜 お札立て お札入れ 朱印帳立て
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南向き、もしくは東向きになる様に、そして目線の高さより上になる様に、棚などの上において頂くとよいかと思います。是非、皆様もご自宅に神棚をご用意いただき、御札を納めてほしいなと思います。

神社誌作成プロジェクト

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