神社情報
神社名:竜宮社
鎮座地:愛知県西尾市小島町山内2-1
御祭神:淤加美神
旧社格:小島町鎮座「八幡社」境外社
創 建:不明
境内社:-
例大祭:-
H P:-
参拝日:2010年9月25日
御由緒
この竜宮社は、元々は淤加美神社と称していたようですが、明治四十二年に神社合併により、一度は八幡社(小島町)と合併され廃社となったようですが、その後八幡社境内社「小島竜宮社」としてとして復社し、さらに、県道479号線が八幡社の境内を横切る形で開通した為、現在の様に境外社のような形になったそうです。
参拝記
神社周辺情報
県道479号線の矢作古川を渡る橋の脇に境内入口があります。何気に気づかずに前を通過している方も多いかと思います。
参道
矢作古川に沿う形で参道が約300mほど伸びています。
紅白の小島竜宮の幟がすごく目立ちますね。
参道入口からでは想像がつかなかったですが、予想以上に立派な社殿が鎮座しています。
鳥居
小ぶりな鳥居になります。
なんでこんなアングルで写真を撮っていたんだろう・・・。
手水舎・水盤
銅葺の四本柱タイプの手水舎になりますが、写真を取り忘れております・・・。
竜宮跡地碑
社殿奥に鎮座する碑になります。
神社合併政策など、明治時代の政策の為廃社になり、神社の形跡が何も残っていない所が多いのですが、ここは竜宮伝説が残る地のおかげなのか、碑も建立されていて、後年復社できたんですね。
社殿
入母屋造、瓦葺、妻入りの覆殿になります。
この社殿の下には、昭和20年に起こった三河地震で出来た断層が保存されているそうです。
終戦間近の混乱時期だった為、あまり記録が残っていない三河地震なんですが、こういった遺構が後世まで残っていく事が大切ですね。
懸魚・鬼瓦
鰭無しの蕪懸魚になるのですが、写真を撮り忘れております・・・。
竜宮伝説
なぜに、この地を竜宮と呼ぶのか・・・。
それは、この地に伝わる民話が元になっているそうです。
竜宮からの贈り物
180年も前のことです。安城のある本証寺の小僧さんが、和尚さんに言いつけられた庭そうじをしておりました。本堂横の椎の木で囲まれたあたりを掃いていると、木陰の池に妙なものが浮かんでいるのです。
小僧さんはほうきを持つ手を休め、池に近寄ってみました。あおく澄んだ水の上に浮かんでいるのは朱ぬりのおぜんやおわんのようです。寺参りに来る村人の忘れ物にしてはおかしいし、早速和尚さんを呼びに走りました。
おしょうさんが池のふちで、品物を確かめたところやはりおぜんやおわん、それも新品のものばかりです。
「やれありがたい、お盆の来客でちょうど1組分足りなくて困っていたが、これで助かったわい。仏様のおぼしめしにちがいない。なむあみだ仏、なむあみだ仏。」
おしょうさんはこの品物を丁寧に使って、そっと池に返しておきました。
次の年、7月末の土用3日目のことです。和尚さんは1人言を言いながら、去年と同じように池のふちに歩みよりました。
「今年もまたお盆が近くなってきたようじゃな、どうしてもぜんわん1組分がほしいものじゃわい。」
すると、和尚さんの願い事に合わせて、池の底から急にあわが立ち、新品のぜんわん1組分が浮かび上がってきたのです。
気をよくした和尚さんは、村人にこのことを聞かせました。あまりに不思議なことなので、みんなびっくりしているばかりです。
そのうち、小川に住む太助じいさんがぜんわんを借りたいと申し出て、池のふちで願い事を言ってみました。やはり、和尚さんの言ったとおりでした。そこで太助じいさんは、大喜びで村中大声でふれて回りました。このことが評判になると、毎年7月の土用3日には、遠くからも人が集まってきて、おぜんやあわんを借りては返していきました。
ある年のこと、桜井のおせんばあさんがぜんわんを両手に持ちきれないほど借りて行きました。
「おやまあ、何ときれいなおぜんでしょう。色といい形といいほんとに見事なものばかりですわい。」
家で大切に使うならよかろうと、品物の見事さに気をとられ、おわん1個だけ返すのをやめてしまいました。
すると、翌年からはいくら頼んでも1つも浮いて来なくなりました。
これは、本証寺の池の底が、西尾市小島町の龍宮とつながっていて、龍宮から貸してもらえたということです。けれども、ずるいことをする人が出たため、神様に見透かされ、それからは全然出なくなったのだそうです。
竜宮の雨乞い
むかし、むかし、小島村の太助さんの西側に、矢作古川が流れ、龍宮という、深い、深い、ふちがあった。その川底には、大きな龍が住んでいて、ときどき村に出てきては、犬や人をとって食べるので、みんな恐れていた。川底には人の背丈より高い、大きな岩が横たわっていて、それを龍宮のまくら石と呼んでいた。
その大岩を龍がまくらにして、いつも昼寝をしているという。
太助さんの村も、この夏は、20日も雨なし続きで、氏神さんの社の前で村人が集まって、雨ごもりをすることになった。
畑でとれた野菜を持ちよって、お供えをして、夜どおし念仏を唱え、かねや太鼓を鳴らし、雨ごいおどりをして、神さんに祈り続けたが、それでも待っている雨は降らなかった。
それからも、暑いひでりが毎日、毎日続き、お百姓はとうとう水げんかを起こして、けがをする者もでた。畑は、からからに乾き、桑の芽が止まり、おかいこもかえなくなりそうだ。
太助さんの畑も、土が固くしまって、くわも入らない。きび、あわはもちろん、なす、うりも枯れそうだ、作物が青味を失いかけると、お百姓は、一大事だ。
とうとう、川底に沈む龍宮のまくら石も、ひでり続きで、水の上に大きな姿をあらわしてしまった。川の魚も、白い腹をみせて、ぽかぽか死んで浮いてきた。
ごうをにやした太助さんたちは、とうとう大声で泣き叫んだ。
「おらたちも、水がなくて死んでしまうだ、えーい、どうにでもなれ。」
「おしりポンポン、へっくらえ、ついでにまくら石、馬のわらじでふいてやれ。」
みんな、みんな、手に手に馬のわらじを持って、力を込めて大岩をみがきだした。
「やーい、やーい。雨ふらしやな、風ふかしやんな、夕立なんぞは、なおきらい。」
寝ている龍の目をさまし、天に上らせて、雨をふらせてもらおうと叫んだ。
みんなの声が森に響き渡ると、夕立雲がにわかにわき起こった。ピカピカ、ピカピカ、いなびかりが走った。
きたないことのお嫌いな水神さんも、馬のわらじで磨かれ、はやしたてられてはかなわない。とうとう怒って、かんにん袋のおが切れた。
ぱらぱら、ぱらぱら、大粒の雨が降り出した。
「雨だ、雨だ。とうとう龍が雨をくだしやった。助かったぞ。助かったぞ。」
と、みんな地べたになんどもなんども頭をすりつけて、喜んで泣いた。
そして、村人は、この淵の上の馬場山に社を建てて、龍を、龍神さんとして、おまつりした。
それからは、大ひでりもなく、お百姓は、水げんかもしなくなり、作物もよくとれるようになった。このことが遠い村にも聞こえて、水ききんが続くと、お使いの人が来て、龍神さんにおまいりして、お水種を、御幣につけてもらって行くと、必ず雨が降ったということだ。
竜宮社の眼下を流れる矢作古川
この見える場所辺りに、竜宮伝説の中に出てくる「竜宮のまくら石」があるそうなんですが・・・