瑞雲山 本光寺(額田郡幸田町深溝)

深溝松平家の菩提寺です。霊廟は平成二十六年に国の指定文化財となっています。また、紫陽花寺としても有名で、約一万本のアジサイが植えられています。

寺院情報

寺院名 瑞雲山本光寺
所在地愛知県額田郡幸田町深溝内山十七番地
御本尊釈迦如来
宗 派曹洞宗
創 建大永三年(1523年)
札 所
御朱印
H P

参拝日:2018年6月1日

由緒・沿革

 十八松平にも数えられる「深溝松平家」の菩提寺になります。深溝松平家は、松平宗家三代「松平信光」の七男「松平忠景」の次男「松平忠定」が深溝に所領を得て発祥した松平庶流になります。深溝に所領を得る経緯については、詳しくは「深溝城/紹介記事」を参照してください。
 深溝の地を得た「松平忠定」は自らの菩提寺として「瑞雲山本光寺」を建立します。開山は「奇声英音大和尚」によるものだそうです。

 ※松平忠景は、現在の蒲郡市五井町周辺に領地を与えられ「五井松平家」の祖となる武将になります。

 深溝松平家は、桶狭間の合戦後、今川家から独立した松平宗家「徳川家康」に従っていく事になりますが、その歴史は壮絶な物でした。
 二代目当主「松平好景」は永禄四年(1561年)、善明堤の戦いで討ち死
 三代目当主「松平伊忠」は天正三年(1575年)、長篠の戦いで討ち死
 四代目当主「松平家忠」は慶長五年(1600年)、伏見城の戦いで討ち死
 決死の覚悟で主君「徳川家康」に仕える深溝松平家に対する徳川宗家の信頼は非常に厚い物があり、後年九州のお目付け役的立場として島原藩六万五千石をほぼ明治維新まで納めていくことになります。

 四代目当主「松平家忠」の時、関東移封により武蔵国埼玉郡に一万石を受領し、「忍城」を本城としています。その後、家康四男「松平忠吉」が元服すると忍城を中心に十万石が与えられ、家忠は下総国小見川に移り「上代城」を本城としています。主家と同じく深溝→忍城下→上代城下と移転したのか、深溝→上代城下と移転したのかは不明ですが、深溝にあった本光寺も関東の地に移設されています。(松平家忠が忍城に入ったのは、忠吉が幼少だった為、元服するまでの一時的な措置であったとされています。)

 本光寺が関東に移転した跡地には元在「向野墓所/紹介記事」があります。深溝松平家初代「忠定」の墓石、二代目「好景」の首塚があります。

 五代目当主「松平忠利」は、小山評定後は、上杉景勝の抑えとして残されてしまい、父の敵をとるために関ケ原の合戦には参加できませんでいたが、その後の論功行賞にて、深溝一万石を受領し三河国深溝に戻ってきます。この時、関東から本光寺も現在の地に移設されています。
 これ以降、深溝松平家は吉田藩三万石→刈谷藩三万石→福知山藩四万五千石→島原藩六万五千石と移封されていきますが、菩提寺である本光寺は深溝に残されます。
 深溝松平家が去った深溝の地は、元々家臣であった「板倉家」が旗本として陣屋を置き明治維新まで納めています。

 島原藩に移封された深溝松平家は、歴代の当主が亡くなると、その遺骸を船に乗せ深溝の方向寺まで運び、方向寺で埋葬しています。そして、本光寺が曹洞宗の寺院なのですが、霊廟すべてが神道で祀られているのも特徴です。
 深溝松平氏の霊廟は、平成二十六年に国の文化財に指定されています。

歴史探訪

 「向野墓所」に続き、深溝松平家の菩提寺「瑞雲山本光寺」を参拝します。平成二十年に、七代目「松平忠雄」の霊廟が崩壊の可能性が出てきた為、補修を兼ねて学術調査が行われ、小判、西洋ガラスなどの副葬品が大量に発見されたと大体的に報道されました。現地説明会にはすごい人数の参加者が訪れたとも言われていますね。「江戸時代の御殿様のお墓に納められた副葬品がどんなものがあるのか」・・・そりゃすごい興味がありますよね。霊廟を中々学術調査する機会ってないので、全国からも注目されたんだと思います。そのおかげなのか、前述していますが、深溝松平家の霊廟は国の史跡文化財に指定されましたね。

深溝松平家関連

深溝城/紹介記事
向野墓所/紹介記事

松平好景戦死之地/紹介記事
 ┗続報/紹介記事

五井松平家関連

龍田山長泉寺/紹介記事
八幡宮/紹介記事

参拝記

本光寺は”あじさい寺”としても有名で、境内のいたるところにアジサイが植えられています。寺標から山門までの参道の両脇にもアジサイが植えられていて、時期になるときれいなアジサイの花が参道を埋め尽くします。

参拝した時は、まだ咲き始め時期だったのでそこまで花が咲いてはいませんでしたが、かなりの観光客の方が見えていました。ゆっくり参拝したいときはアジサイシーズンは避けた方がいいかも?

参道を進んでいくと、朱塗りの山門が見えてきます。

朱塗りの薬医門の山門です。小さいながらも勝手口の扉も設けられてますね。

山号の書かれた扁額になります。

本堂脇に建つ鐘突堂になります。
土台部分が石垣ではなく、木組みでつくられており鐘楼とも言われます。

庫裏と一体化した本堂になります。
禅宗の寺院はこういった形の本堂が多いのかな?


本堂への参拝も終え、深溝松平氏の霊廟に向かう事とします。
霊廟は西霊廟と東霊廟と解かれていて、よく写真などで紹介されているのは東霊廟の方になりますね。

当ブログ的には、松平好景を追ってここ本光寺まで来た訳ですから、好景の霊廟がある西霊廟から参拝していく事にします。

ちなみに、西霊廟には初代~五代目、十一代目が、東霊廟には六代目~十代目、十二代目~十九代目当主までの霊廟が安置されています。

東霊廟

東霊廟の全景になります。

一番奥の四柱門の先には、一代目~四代目の墓石が纏められています。
その右側の四柱門の先は十一代目松平忠恕の霊廟があり、一番手前の四柱門の先には肖影堂と呼ばれる五代目松平忠利の霊廟があります・

扉のない四柱門をくぐると、一段上がった所に、四基の墓石が建っています。

二代目~四代目は徳川家康の一連の戦いの中で戦死しているというまさに忠義の家系と言えるかもしれませんね。

肖影堂と呼ばれる五代目松平忠利の霊廟になります。
中には忠利の像が安置されています。

1601年、長年の宿願だった深溝帰還を果たし、本光寺を再興し従五位下の官位を得て大名としての基礎を作った人物になります。

肖影堂の裏手に置かれている”願掛け亀”と言われる石造物です。
寛文十二年(1672年)建立。深溝松平氏六代目松平忠房が参拝者の願いをかなえるために10年がかりで作成したものです。亀の頭部後ろにある首部分に凹みがあり、そこに賽銭が入ったら願いが叶うと言われています。

西霊廟

西霊廟に入るには、土壁などの補修の為、拝観料として100円を納めます。入ってみればわかりますが、土壁の劣化がかなり進んでいるので、近いうちに補修工事が必須だと思われます。

西霊廟は、朱塗りの薬医門と土壁に囲まれた場所に各霊廟が整然の並んでいます。

ご覧の通り、寺院の中に神道の霊廟が整然に並んでいます。

平成20年(2008年)に豪雨の為に七代目”松平忠雄”の霊廟が崩壊の可能性が出てきた為、補修を兼ねて学術調査が行われ、小判、西洋ガラスなどの副葬品が大量に発見されたと大体的に報道されました。

霊廟を簡単に調査することはできないのですが、今後何らかの切っ掛けで調査が入った時、素晴らしい発見がでてくるかもしれませんね。


島原からわざわざ船で遺骸を運びこの地に埋葬するという全国でも稀有な存在である深溝松平氏の菩提寺を紹介しました。本光寺と深溝松平氏は一心同体みたいな存在だったのかもしれませんね。

所在地を地図で確認

寺院名瑞雲山本光寺
所在地愛知県額田郡幸田町深溝内山十七番地
最寄駅JR東海 東海道本線「三ヶ根駅」徒歩6分

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