寺院情報
寺院名 | 行基山 實相院 |
所在地 | 愛知県蒲郡市形原町東上松二十七番地 |
御本尊 | 阿弥陀如来 |
宗 派 | 浄土宗西山深草派 |
創 建 | 永正七年 |
札 所 | 三河海岸大師 二番札所 三河新四国 五十五、五十六番札所 (旧)三河新四国 三番札所 |
御朱印 | 〇 |
H P | - |
参拝日:2018年6月13日
再訪:2019年5月22日
三河新四国霊場札所一覧
沿革・由緒
天平年中に行基菩薩自ら小堂を建立して直作の弥陀を安置し行基山と云う。永正年中、松平光重の四男松平實長得度し永正七年この寺創立。
宝飯郡誌より
永正年中とは1504年から1521年の間の指す元号になり、ここに出てくる松平光重は松平宗家三代"松平信光"の五男であり、大草松平氏の初代になります。
文明年間(1469-1487年)、松平信光は岡崎城を攻め、城主であった西郷頼嗣を屈服させます。岡崎城への進出を各自なものにする為に、五男"光重"に西郷頼嗣の娘を嫁がせ、岡崎城主として分出させます。この頃、大草松平氏は形原にも領地があったとみられ、由緒に出てくる様に、光重の四男が出家、實相院を建立してます。
この實相院が建立されたころは、松平氏は、今川氏親が伊勢新九郎(北条早雲)と共に松平宗家本城である岩津城を大群で攻め込まれています。岩津城が落城したのか、安祥松平氏の活躍などで今川氏が撤退したのかは定かではないですが、宗家筋が岩津松平氏から安祥松平氏に代わるなど、まだまだ松平氏自体が安定していなかった頃ですね。さらには、安祥松平氏と大草松平氏の惣領争いもあったとか・・・。
また、松平光重の位牌は同じ形原にある光忠寺に残っています。
三河新四国霊場を行く
三河海岸大師1番、(旧)三河新四国別格、三河新四国53,54番札所である「海性山真如寺」から僅か150mほど南に道なりに進む(真如寺の山門の所から南を望むと實相院の本堂の屋根が見えます。)と三河海岸大師2番、(旧)三河新四国3番、三河新四国55,56番札所である「行基山實相院」があります。
県道322号線沿いに實相院の石柱門がある為、そちらを目印に向かうのもいいかもしれませんね。
参拝記
県道322号線を進んでいくと、実相院の三河新四国札所案内看板が丁度石柱門の場所に設けられていますが。
ただ、真如寺方面から車を走らせると、この看板に気付くころには実相院に通じる路地への交差点を通り過ぎてしまっているので注意が必要です。
石柱門
県道322号線沿いには、山号、寺号が彫られた石柱門が建っています。この石柱門からは石段がある参道が境内へ真っ直ぐ通じています。街道筋にこういった入口が見えるのはわかりやすくていいですね。
境内入口
石柱門から進んでいくと路地が横切っていて、車でも入る様になっている境内入口が続いています。
寺号標
寺号標です。三河海岸大師二番札所と弘法堂本尊の日限地蔵大菩薩が彫られいます。
これに対し、三河新四国霊場の札所案内板は山門だったり本堂、弘法堂などに掲げられていますが、まず石柱は非常に少数ですね。
(旧)三河新四国霊場にいたっては、霊場を示すものが非常に少なっているのが実情です。これは三河新四国霊場が札所の再編を伴う再興と関連しているのかもしれません。
手水舎
銅葺木造二本柱タイプの手水舎になります。
屋根部分が簡素に作られる為なのか腰高感をあまり感じさせない造りではないかと思います。
役行者堂
境内入口近くに据えられている役行者像になります。
霊場巡りをするようになってこの役行者像に出会う機会が増えました。最初は別段気にもとめていなかったのですが、あちこちの寺院でこの印象的な石仏を見かけていると刷り込まれているのか気になる様に・・・。この役行者なんですが、実在した"役小角"を祀った物のようです。修行道の開祖とも呼ばれているんだとか。手には密教道具を持っているそうで、この辺りから弘法大師ゆかりの寺院によく祀られているのでしょうかね。
境内全景
境内にはあまり木々が生い茂っておらず非常に開放的な印象を受ける境内です。
本堂
入母屋造瓦葺平入の向拝の設けられた本堂になります。本堂の周囲には浄土宗の本堂ではよく見かける濡れ縁が設けられています。ここ実相院の本堂なんですが、よーく見ないとわからないのですが、微妙に中心線がずれているのがわかりますか?。
比較的新しいと思われる扁額になります。
本堂の中になります。
中央に本尊の阿弥陀如来が奉安されています。
柱には三河新四国の札所を示す案内板が掲げられています。
本尊を挟んで左右に弘法大師像が安置されています。向かって右側が五十五番札所、向かって左側が五十六番札所になっています。
「南無大師遍照金剛」「南無大師遍照金剛」「南無大師遍照金剛」・・・
観音堂
本堂脇、境内入口からは真正面にあるのが宝形造の観音堂になります。こちらの観音堂の本尊は千手観世音菩薩になります。
芭蕉天神
観音堂の横には赤い幟が非常に目を引く芭蕉天神が祀られている御堂があります。
富士郡芝川町内房大晦日に鎮座する芭蕉天神宮から1797年に当時の住職が勧請しここに安置したそうです。
こういった寺院の中にある神社所縁の御堂を参拝する際、神道方式か仏教方式のどちらで参拝するのが正解なんでしょうか・・・・。ただ・・天神様は神道の考えなので神道の参拝方式なのかなと思うのですが・・・。
御朱印
参拝を終えて
この形原地区の霊場巡りを始めて知ったのは、形原地区は松平家との繋がりが深い場所だったという事ですね。岡崎に住んでいると、家康以降の松平、徳川氏の事は耳にしてわかった気になっていたのですが、こうやって十八松平氏と呼ばれる分家筋との出会いを通じて新たな発見があり面白いですね。こういった松平氏庶流についても自分の忘備録を兼ねていずれ纏めていきたいと思っています。
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所在地を地図で確認
寺院名 | 行基山 實相院 |
所在地 | 愛知県蒲郡市形原町東上松二十七番地 |
最寄駅 | 名古屋鉄道 蒲郡線「形原駅」徒歩7分 |
寺院・霊場巡りの際のバイブルに
元々、当サイトは神社巡りを通じて、皆様の住んでいる所にある"村の鎮守の神様"と呼ばれる神社を紹介してくサイトを目指していたんです。むしろ寺院については、縁遠いものとおもっていたんですよね。しかし、ちょっとした御縁で弘法大師霊場に出会い、そして愛知県では一番活動が盛んな"知多四国霊場"を巡礼、結願する事になりました。でも、神社の事はある程度知識があっても、寺院については未知の世界だったので、少しでも巡礼の時に役に立てばと思い、こちらの本を読ませて頂いております。
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少しでも巡礼の時にお役に立てる事もあるかと思います。是非一度読んでみてくださいませ。