神社紹介

神社名 | 熱田社 |
鎮座地 | 愛知県安城市小川町大帳一番地 |
御祭神 | 日本武尊 |
旧社格 | 村社 |
創 建 | 不詳 |
神名帳 | ー |
境内社 | 詳細不明境内社二社 |
例祭日 | 四月十八日 |
御朱印 | ー |
H P | ー |
参拝日:2020年6月15日
御由緒
由緒は不明ながら、碧海郡桜井村誌によると、現在の西尾市矢曽根町の「高須氏」所縁の神社であると言われ、村誌が書かれた昭和十八年時点では例祭等では高須氏の参拝があったとされています。
この「高須氏」がどういった家系の人物なのかは不明ですが、熱田社の境内に据えられている由緒板には、吉良家の末裔が帰農した時、高須氏の門跡を継ぎ高須平八郎と称したという旨の事が書かれています。
熱田神宮または別宮である八剣社から勧請を受け、創建されたのだと思いますが、なぜ熱田大神ではなく日本武尊を勧請したんでしょうか。
創建は明らかではないが、本殿に納める懐刀(六寸八分)は西尾城主の守り刀なりと、明治五年十月十四日、据置公許となる。大正六年六月三十日、社殿を改築し、昭和二十年五月一日、村社に列覚した。
愛知県神社庁発刊「愛知県神社名鑑」より
歴史探訪
安城市小川町の矢作川堤防沿いに鎮座する神社を紹介してきていますが、今回はそれらの神社の中で一番北側に位置する場所に鎮座する「熱田社」を参拝します。社名の熱田社から想像するに、名古屋市の「熱田神宮」またはその別宮「八剣社」から勧請を受け、創建された神社であるのでしょう。まあ、本社である熱田神宮では勧請を受ける事はほとんどなく、別宮である八剣社によって勧請を受けていたというので、ここ熱田社も八剣社から勧請を受けた御祭神ではないかと思います。
旧碧海郡桜井町に当たる個所を巡っております。旧桜井町にあたる矢作川の堤防沿いには六社も神社が鎮座しており、そのいずれもが堤防と接した形で鎮座しています。矢作川堤防を走っていてもとても特異な場所になっています。そんな矢作川沿いの神社もすべて紹介しています。
参拝記
前回紹介した「素戔嗚社/紹介記事」から北に100mの距離に今回紹介する「熱田社」が鎮座しています。田んぼと集落の所にこんもりと鎮守の森があるので100%間違える事はないかと思います。
境内入口
境内入口の写真を撮り忘れたので、ストリートビューで代用となります。(本当に便利な世界になったもんです。)鎮守の森の南西側が熱田社の境内入口となっています。境内全体は周囲と比べると盛土されていて、2~3mほど高くなっています。
社号標

明治二十八年に建立された社号標になります。社号標の側面には愛知県庁まで十里八町と彫られています。なぜに愛知県庁なんでしょうかね?
鳥居

明治二十八年建立の扁額のない明神鳥居になります。
祓戸

境内の一角に設けられている「祓戸」(はらえど)になります。ほぼ正方形の基壇に瑞垣が設けられた石造物の一つになります。瑞垣の内側は榊を植えています。
ここ安城市小川町の矢作川堤防沿いに鎮座する神社四社には、基壇や瑞垣の造りに差異はあるにせよ、同様の様式の祓戸が設けられています。
手水舎

木像銅葺二本柱タイプの手水舎になります。今まで見てきた二本柱タイプの手水舎に比べると屋根が大きく作られているのですが、こっちのがバランスがいいのかな?とおもえてくる造りです。
狛犬

昭和六十三年生まれの子乗り玉乗りの狛犬一対になります。朱色の装飾が施されていたようですが、まだ建立した時の装飾の朱が残っているのでしょうかね?
社殿

切妻造瓦葺平入の拝殿になります。拝殿と本殿を渡殿で繋げた形の社殿になっています。
地図で鎮座地を確認
神社名 | 熱田社 |
鎮座地 | 愛知県安城市小川町大帳一番地 |
最寄駅 | あんくるバス2号桜井線「桜井中央公園バス停」徒歩15分 |
ご自宅にお札は祀られていますか?
実家には神棚はあっても、今お住いの所には神棚がない方も多いかと思います。神棚には、日本の氏神である"天照大御神"とご自身がお住いの氏神様のお札を掲げると御神徳が宿るとされています。
賃貸住宅などに住まわれて簡単に神棚を掲げられないという方もお勧めなのが、
南向き、もしくは東向きになる様に、そして目線の高さより上になる様に、棚などの上において頂くとよいかと思います。是非、皆様もご自宅に神棚をご用意いただき、御札を納めてほしいなと思います。