神社情報
神社名:松尾神社
鎮座地:岡崎市蓑川町字薮下十九番地
御祭神:大山咋命、迦具土命
旧社格:指定村社
創 建:明暦年中(1655-7)
境内社:御鍬社(祭神:豊受姫命)
例大祭:十月第3日曜日
参拝日:2017年1月6日
御由緒
社伝に、明暦年中(一六五五-七)郷士三浦五左エ門、住民の家門安全を祈り、山城国葛野郡松尾明神を歓請し、邸内に一社を建てて祀る。寛延元年(一七四八)領主鳥山丑之助参拝あり、今の地に本殿を再建する。万延元年(一八六〇)四月拝殿を再建し、明治初年松尾神社と改め、同五年十月十二日、村社に列する。同二十六年一月本殿を再建した。同四十二年六月二十一日、字入メキの秋葉社と同中屋根の石神社を合祀した。大正四年十月十二日、社殿を造営、同年十一月九日、神饌幣帛料供進指定をうけた。
愛知県神社庁 発刊
「愛知県神社名鑑」より
創建年代は不明であるが、明暦年間(1655-67)郷士三浦五左衛門は常に神を信仰し郷民を督励して田畑の開発に尽くした。住民も益々豊かになって睦み合い郷士の命をよく聞いてよく働いた。五左衛門は神様のおかげと喜び住民の家々の幸福と守護のために屋敷の中に堂宇を建て山城国(今の京都府)葛野郡松尾明神を奉斎して松尾大明神として郷民と共に崇拝したという。寛延元年(1648)代官烏山牛之助当地と巡視の折参拝し御しんとくを悦び今の場所に本殿を再建し、拝殿も建立し遷座し奉ったという。その後拝殿が壊れたので宝暦元年(1751)庄屋組頭等氏子に相談して拝殿を、さらに寛政六年(1794)大改築を行った。明治新政に当たり明治元年(1868)に松尾神社と改称された。明治五年(1872)十月十二日村社に格付される以来この日を祭礼の日とした。
明治二十六年一月本殿を再建する。明治四十二年六月二十一日当時入メキにあった無格社秋葉社(祭神:迦具土命)と中屋敷にあった無格社石神社(祭神:不明)を合祀した。大正四年幣殿と渡殿を新築した。大正四年十一月九日政府から神饌幣帛料供進の神社に指定された。
建物
本殿 縦一間二尺、横二間 大破風造前高覧付 瓦葺
幣殿 縦三間、横二間 妻造 瓦葺
渡殿 縦一間、横三間 妻造 瓦葺
拝殿 縦二間、横三間 入母屋造 瓦葺
境内神社:御鍬社
祭神:豊受姫命(伊勢下宮祭神)
由緒
言い伝えによれば、文化三年の豊作に村民悦び本殿を建立したという。昭和五十四年九月氏子有志の寄進により再建する。
建物
本殿 縦一間、横一間 破風造 瓦葺
境内 五百六十六坪:昭和六年当時
昭和辛酉五十六年十月吉日
旧額田郡神社誌より 謹書
境内御由緒板より
参拝記
松尾神社が建つ簔川町周辺は現在県道327号線の拡幅工事と並行し区画整理事業が行われている為、この2~3年で周辺が大きく様変わりしています。龍泉寺川を渡る橋を新しく通していて道が変わっていたりして、久々に参拝に行こうと思ったら迷ってしまいました。
なんとかたどり着いて、鳥居越しに社殿を望みます。
なんとなく違和感を感じるのは、境内の周りに玉垣がなく、どこからでも境内に入れてしまうからなんでしょうね。
先にも述べましたが、この辺りも区画整理でかなり風景がかわってきています。
GoogleMAPのストリートビューで松尾神社をみた所です。
社号標の位置をよく見てください。
道路にかかってしまうため、移設されているのがわかると思います。
その移設された社号標です。大正三年十月製です。大正3年は1914年ですから・・・103歳なんですね。
手水舎・水盤
残念ながら、新年を迎える際に清掃された形跡がなく、水が濁っていました。
狛犬
ごてごてかんが抑えられた自分好みの狛犬、昭和七年十月生まれ
社殿
御由緒にも書いてありましたが、瓦葺、入母屋造り、平入、三間幅という当ホームページで標準仕様ともいえる様式です。
拝殿前面の板張り部分が新しく張りなおされているので、柱や梁とのコントラストが印象的です。
社殿全景を見ていただきます。
拝殿ー幣殿ー渡殿ー本殿という造りになっています。
ちなみに、拝殿に掲げられているのは、
御由緒板が掲げられています。まだ墨の色が飛んでなく、しっかりと読むことができました。
こうやって御由緒を掲げていただくと助かるんですけどね。
境内社
社殿向かって右側に鎮座する御鍬社になります。
懸魚・鬼瓦
鰭付き蕪懸魚と鬼瓦になります。かなり風化し始めていますが、なんとか耐えて長く維持してほしいです。
社殿前から振り返ると、こういった風景が広がっています。
区画整理、道路拡張が進んでいて、この松尾神社周辺も宅地化の波に飲み込まれそうな雰囲気です。
少し前まで龍泉寺川のほとりにたつ小さな神社って感じでのどかな風景だったんですけどね。
神社に門松はよく似合いますね。
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