城跡巡り

赤羽根城跡(西尾市一色町赤羽)

2018年2月15日

令和四年新企画のお知らせ

新企画「愛知県下新十名所」

 新愛知新聞社が昭和二年(1927年)に「愛知県の新十名所を読者投票で決定する。」というイベントを実施します。愛知県下を狂気の投票合戦へと誘ったこのイベントへの投票総数は驚異の1400万票以上。また、100票以上の投票を集めた名所候補は67カ所にも上ります。2022年、当サイトではこの67ヵ所の名所を巡り紹介していこうと思います。

赤羽根城情報

城 名:赤羽根城(一色赤羽根古城)
鎮座地:西尾市一色町赤羽上郷中
築城年:不明
築城主:不明
城形式:平城
遺 構:なし
規 模:不明(一説では300m×250mとも)

参拝日:2018年1月8日

沿革・詳細

この地域を、赤羽、赤羽根、赤曽根など昔からいろいろな呼び名で呼ばれていますが、「赤曾根、今赤羽という」と三河刪補松という書物に書かれている通り、時代で変遷しているようです。
この赤羽根城址の位置は、浄土真宗真宗大谷派の赤羽根別院親宣寺の境内とその周辺と言われています。今では想像が出来ませんが、この辺りは碧海台地とよばれる高台で、赤羽根城はその最先端部に位置し、昔は三河湾に突出した島状の地で、後部を弓取川(今の矢作川)で防御していたとみられます。

自分もなかなか創造ができないんのですが、上記地図中央部分の南北にまっすぐ走っているのが国道247号線になり、全部ではないのですが、国道247号線より西側は江戸時代に干拓された場所になります。
そして、赤羽根城址は、地図中央上部の赤羽別院とかかれている場所あたりになります。

赤羽城から南側は台地が続いており、赤羽の集落があったと言われており、城下町というより元々集落があった場所に城が築かれたと考えらえています。


赤羽根城址は、平安末期(1159年)より平遠衝とその末裔が納めたといわれ、その後の伝承では、吉良氏の統治下となり、応永21年(1414年)に高橋四郎高宗が城主となった。最後の城主と思われるのが、高橋出羽守政信であり、は今川氏の勢力下であったころ、東条城主・吉良義昭に属していたため、永禄四年(1561年)の西条城主酒井勢(松平元康の家臣)に攻められ落城しました。
その後、正信の一子(洞山祖誕上人)は、一族の菩提を弔う為、城跡の南東隅に瑞雲寺を創建した。瑞雲寺にある金石文にはその古城との因縁について記されている。

「現地案内板」より

 


戦国の世の常とは言い、最後の赤羽根城主の高橋正信の正室は、まさに攻めてきた松平元康の母親(於大の方)とは姉妹でしたので、なかなか辛い物がありますね。

現在の赤羽根城址

現在では、立派な楼門を構える親宣寺の境内と愛知県立一色高校の敷地になっています。
この楼門の脇に、城跡の石碑と案内板が設置されています。

ストリートビューで雰囲気を感じてください。

Googlemapで赤羽根城址を北側から見て見ます。
なんとなーく、城郭っぽくみえてくるから不思議です。


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未だ100城巡れていないのに、100城追加されてしまいました。さらにゴールは遠くに。

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