名古屋市中区

稲荷神社(名古屋市中区正木一丁目)

2023年1月16日

令和四年新企画のお知らせ

新企画「愛知県下新十名所」

 新愛知新聞社が昭和二年(1927年)に「愛知県の新十名所を読者投票で決定する。」というイベントを実施します。愛知県下を狂気の投票合戦へと誘ったこのイベントへの投票総数は驚異の1400万票以上。また、100票以上の投票を集めた名所候補は67カ所にも上ります。2022年、当サイトではこの67ヵ所の名所を巡り紹介していこうと思います。

ONE POINT

尾張藩四代目藩主「徳川吉通」によって丹羽郡石枕村から造営遷座された稲荷神社の紹介です。明治四十三年に尾張藩初代藩主「徳川義直」二代目藩主「光友」三代目藩主「綱誠」の三代を合祀しているのが特徴です。

神社情報

神社名稲荷神社
鎮座地愛知県名古屋市中区正木一丁目十五番地十三(Googlemap
例大祭十月九日
創 建不詳
御祭神倉稲魂命
伊弉冉尊
瓊瓊杵尊
猿田毘古命
菊理媛命
徳川義直
徳川光友
徳川綱誠
旧社格指定村社
神名帳

境内社

境内社山王神社(御祭神:大己貴命)
五條天神社(御祭神:少彦名命)
秋葉社(御祭神:軻遇突智命)

文化財

国 宝
国指定
県指定
市指定
町指定
村指定

参拝情報

御朱印
URL
駐車場不明
参拝日2022年4月13日

御由緒

大正四年発刊の名古屋市史によると、
 「元々は丹羽郡石枕村(丹羽郡古地野町大字石枕→現在の江南市石枕町)に鎮座する稲荷神社であったが、尾張藩四代目藩主「徳川吉通」により正徳二年(1713年)三月に造営遷座の命を出し、正徳三年(1714年)四月二十五日に末社と共に十六座が現在の境内地に遷座した。」
と記されています。さらに御祭神は、
・倉稲魂命
・伊弉冊尊
・瓊瓊杵尊
・猿田彦命・・・以上四座に
・徳川義直
・徳川光友
・徳川綱誠・・・三卿を合祀した。
境内摂社
・日吉神社(御祭神:大己貴命)
・五條天神(御祭神:少彦名命)
境内末社
・大国魂社,御田社,長者社,調御倉社,専女社合殿(御祭神:大国魂神、宇賀神、田穀霊、加茂神、穀霊、迦具土命、稲霊)
と記しています。

 現在の稲荷神社の御祭神に白山社の御祭神である「菊理媛命」が出ているのですが、名古屋市史の記述の中ではその名を見る事はありません。大正から昭和にかけて白山神社を合祀したのか、もしくは名古屋市史で神名が抜けていたのか、この辺りは不明です。また、戦前には末社として五社合殿があったようですが、現在はその社を見る事はできません。空襲による火災の中で廃社となってしまったのかもしれません。

 どういった経緯で藩主である徳川吉通が稲荷神社の遷座を命じたのかは不明ですが、尾張藩の江戸屋敷で生まれた吉通は産土神として稲荷心を崇敬していたと伝えられており、名古屋城下に自らが崇敬する稲荷神社として造営させたのでしょうか。しかし、徳川吉通は基本的に尾張藩の江戸屋敷におり、名古屋入りした期間は僅かだけだった様で、さらに正徳三年七月二十六日に食事後に吐血悶死という壮絶な死に方で亡くなっています。享年二十五歳。

 正徳四年、尾張藩六代目藩主「徳川継友」より黒印百石を賜った。

 創建は明かではないが、初め丹羽郡石枕村に鎮座のところを藩主徳川吉通、江戸四ッ谷邸に生れ稲荷を産土神として育ち崇敬する。正徳三年(1713年)三月二十三日東照宮神主吉見幸和遷座の事にあたり今の社地に鎮座する。藩主継友正徳四年三月十九日黒印百石を社領として寄進し、明治維新に及ぶ。明治六年、村社に列格し、境内に皇典講究分所、愛知県県社以下神職取締所を設置した。明治四十四年十二月二十七日供進指定社となる。昭和二十年空襲でで被災、昭和五十三年十月七日本殿以下主要建物を造営復興する。(山王稲荷)

愛知県神社庁発刊「愛知県神社名鑑」

御祭神

  • 倉稲魂命
  • 伊弉冉尊
  • 瓊瓊杵尊
  • 猿田毘古命
  • 菊理媛命
  • 徳川義直
  • 徳川光友
  • 徳川綱誠

御朱印帳の保管に

 数年前より非常に集める方が増えた「御朱印」ですが、皆様は御朱印帳はどうやって保管していますか?神社・仏閣を廻って御朱印を受けているとあっという間に御朱印帳の冊数が増えていきますが、そのまま棚などに置いている方が多いのでは?。せっかくお受けした御朱印ですので、日本では古くから着物を始めとして大切なものを保管する為に使われていた「桐箱」に入れて保管した方がよろしいかと思います。

 ぜひ、皆様も桐箱に御朱印帳を保管されてみたらいかがですか?

参拝記

 稲荷神社の境内は名古屋市を南北に貫く国道22号線から一本西側に入った場所に鎮座しています。また神社前から北を望むと頭上に名古屋高速環状線が走っている山王通を見る事ができます。

境内入口

東入境内入口

 今回参拝する稲荷神社は東向きの社殿となっており、境内東側に設けられた境内入口が正面入口となるかと思います。こちらには社号標、幟立ポール、狛犬一対、扁額のある明神鳥居、その奥に石造灯篭が据えられています。

 この明神鳥居に掲げられている扁額は石造タイプになるのですが、かなり剥げてきてますがそれでも元々は朱塗りの扁額だった事を感じさせてくれます。扁額を朱塗りしている神社は他に見かけた記憶が・・・・。

北入境内入口

 稲荷神社の北側、山王通に面する側にも境内入口が設けられています。この境内入口から正面には稲荷神社の本殿の側面を望むことができます。この北側の境内入口には狛狐一対、こちらも朱塗りだった扁額が掲げられた石造明神鳥居、石灯籠、社号標が据えられています。

 北側の境内入口に据えられている社号標は、名古屋市の神社仏閣で寄進された石造物でよくその名を見かける「伊藤満蔵」氏が寄進された物でした。

 石造灯篭は文久元年(1861年)五月に寄進された、幕末の物でした。不穏な空気が蔓延していたと聞く幕末なんですが、名古屋城下はどんな感じだったんですかねえ。

狛犬

 東側の境内入口に据えらえていた子乗り玉乗りの狛犬一対です。

二の鳥居

 扁額の無い明神鳥居の二の鳥居になります。この先、参道はクランクの様にまがって本殿に向かっています。

手水舎

 RC造銅板葺四本柱タイプの手水舎になります。全体の造りが木造の手水舎に準ずるように装飾が施されていて見た目に安心感を感じる造りになっているかと思います。

社殿

 入母屋造銅板葺き平入の拝殿を有する社殿になります・

蝋燭立て

 拝殿前には新しい蝋燭立てが置かれています。社殿の造営の際に蝋燭立ても新たに建てられた感じです。

境内社

 社殿向かって右側に鎮座する境内社になります。各社の社名は分からないのですが、向かって左手の社は秋葉神社の幟が建てられている事から秋葉神社なんでしょう。

鎮座地を神社で確認

神社名稲荷神社
鎮座地愛知県名古屋市中区正木一丁目十五番地十三(Googlemap
最寄駅電車:名古屋市営地下鉄 名城線「東別院駅」徒歩10分
バス:名古屋市営バス・中循環系統「古渡町バス停」徒歩4分

ご自宅にお札は祀られていますか?

実家には神棚はあっても、今お住いの所には神棚がない方も多いかと思います。神棚には、日本の氏神である"天照大御神"とご自身がお住いの氏神様のお札を掲げると御神徳が宿るとされています。
賃貸住宅などに住まわれて簡単に神棚を掲げられないという方もお勧めなのが、

南向き、もしくは東向きになる様に、そして目線の高さより上になる様に、棚などの上において頂くとよいかと思います。是非、皆様もご自宅に神棚をご用意いただき、御札を納めてほしいなと思います。

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