中田陣屋跡情報
城 名:中田陣屋
鎮座地:西尾市一色町池田松原
築城年:1601年か?
築城主:榊原元次
城形式:陣屋・屋敷
遺 構:なし
規 模:不明
参拝日:2018年3月14日
沿革・詳細
榊原元次(1544-1618)が1584年、吉良荘の代官に任命され、幡豆郡中田村・市子村で117石余と居屋敷3
000坪を受領し、中田村に陣屋を構えたのが始まりとされています。1584年といえば小牧長久手の戦いの年です。
ただ、その後徳川家康の関東移封があり、この地は豊臣恩顧の武将田中吉政が岡崎城主と兼用で西尾城主も兼任し、この辺りを納めている為、家康系の代官がそのままという事は考えられないですねえ。ただ、榊原元次の弟「元信」は、田中吉政に仕えたという言われています。
関ヶ原の合戦後、1601年に西尾城主として本田康俊が転封し西尾藩が立藩しています。岡崎市でもそうなんですが、江戸時代の藩領などは、今の市町村のように藩の区画が分かれれいる訳ではなく、藩領、天領、はたまた他藩の飛び地が入り乱れて分かれていました。
代官に任命されたという事で、この中田村は、天領だった可能性が強く、そうなると、榊原元次が代官に任命されたのは、関ヶ原合戦後の1601年以降じゃないかな?と思います。
その後、元次の息子「元義」が徳川家光に召し抱えられて、江戸住まいとなり、中田陣屋37石を元義の息子「次忠」に与え、その子孫が明治維新まで続いていたそうです。
三河地方で、さらに家康ゆかりの榊原氏といえば、徳川四天王「榊原康正」が思い浮かびます。
中田陣屋で居を構えた「榊原元次」と「榊原康正」は従兄弟の関係に当たります。
現在の中田陣屋
陣屋があったといわれる場所は、現在では畑、温室になっており、当時をしのばせる遺構は残っていません。さらに、市道が拡幅工事の際、カーブを緩やかにするために付け替えられている為、今まで以上に陣屋を思い浮かべることができにくくなっています。しかし、上記写真を撮っている場所から後方を見ると、長久院の赤い山門が見えます。
この山門、中田陣屋の門を移築したものと伝えられている物だそうで、当時をしのばせる唯一の遺構になっています。
しっかりと、懸魚と六葉も確認できますね。
ストリートビューで現地の雰囲気を感じてみてください。