ONE POINT
名古屋市北区味鋺に鎮座する物部氏の祖「宇麻志麻治命」を御祭神とする味鋺神社の紹介です。庄内川北側に位置する味鋺周辺は味鋺古墳群、その北に味美古墳群が点在しており、尾張物部氏の拠点の一つではないかと考えられる場所になるそうです。
神社情報
神社名 | 味鋺神社 |
鎮座地 | 名古屋市北区楠味鋺二丁目七三六(Googlemap) |
例大祭 | 十月十日 |
創 建 | 不詳 |
御祭神 | 宇麻志麻治命 味饒田命 天照大御神 天児屋根命 日本武尊 武甕槌命 別雷命 誉田別命 |
旧社格 | 郷社 |
神名帳 | 延喜式神名帳:尾張国春日部郡 味鋺神社 尾張国神名帳:春日部郡従三位 味鋺天神 |
境内社
境内社 | 熱田社(御祭神:日本武尊) 神明社(御祭神:天照大御神) 日神社(御祭神:天照大御神) 金比羅社(御祭神:大物主命) 天神社(御祭神:味鋺神社御祭神の御子) 山神社(御祭神:大山祇神) 斎宮社(御祭神:倭姫命) 稲荷社(御祭神:稲荷神) 秋葉社(御祭神:加具土命) 洲原社(御祭神:菊理媛命) 津島社(御祭神:須佐之男命) |
文化財
国 宝 | ー |
国指定 | ー |
県指定 | ー |
市指定 町指定 村指定 | ー |
参拝情報
御朱印 | 〇 |
URL | ー |
駐車場 | ー |
参拝日 | 2020年1月29日 |
御由緒
創建は不詳となっていますが、味鋺神社の西隣にある「味鏡山護国院」の寺伝「護国院縁起記」では「天平年間(729-49年)に僧行基がこの地に薬師寺(現在の護国院)を創建した時に鎮守社として祀った。」と記されています。
御祭神が宇麻志麻治命、味饒田命であることを考えると、行基が鎮守社として創建したわけではなく、それ以前から味鋺の地に鎮座居ていた社を鎮守社としたと考えるのが妥当なのではないでしょうか。そう考えると、味鋺神社の創建は奈良時代以前の飛鳥時代にさかのぼる事が出来てしまいそうです。
護国院の鎮守社であった時代はとても長かったと考えられ、江戸時代・・・明治維新まで護国院の住職が祭祀を執り行っていました。そして鎮守社でありながら延喜五年(927年)に編纂された延喜式神名帳に「春日部郡味鋺神社」と記載されている式内社になっています。
式内味鋺神社(元郷社、現六等級)由緒略記
一、鎮座地 名古屋市北区楠味鋺二丁目七三六
一、御祭神 宇麻志麻治命、味饒田命
一、由緒
創立年月は不詳なれど、第六十代醍醐天皇御代(901-930年)にまとめられた延喜式神名帳に、尾張の國春日部郡、味鋺神社と記載されている古社である。物部氏の祖となる宇麻志治命は、我が子味饒田命と共に、物部一族を率いて皇城の守護にあたり大政に参与する。
その子孫が美濃、尾張、三河地方に発展し、ことに尾張地方の勢力は大きく、一族の遺跡と称されるものも少なくない。
春日井市味見にある二子山古墳、古来この山上に、物部天神があり可美真手命を祀っていた。
現在は山上に白山神社が物部天神を合祀して建てられている。白山神社は、現味鋺五丁目にあった白山藪古墳より遷座されたと伝えられている。
この白山藪古墳より、刀剣、鉾、武器類が出土している(現在京都博物館に保管)
この一帯は味鋺の原で、俗に百塚と言われた程多くの古墳があった。このことから物部氏族の蟠踞していた遺跡であると考えられる。
物部氏族が祖先を祀り、平和と繁栄を祈った物部天神、味鋺神社は、おそらく終わりにおける物部氏最初の氏神であったであろう。
味鋺の流鏑馬は寛治七年(1093年)今日で競馬の神事が催されたのが始めである。神前より南堤防までの馬場を数回、馬に乗って、矢を天に向けて射る。この矢を拾えば疫病しないと、見物の人々が競って矢を拾う勇壮な神事であった。最初は豊作の年に限り行われていたが、非常に経費がかかるので、大豊作でないと行われなくなり、第二次世界大戦が始まると、中止の状態となり、今日に至る。
現在の社殿は平成四年に改築され現在に至る。
「境内由緒書き」より
二子山古墳(愛知県春日井市二子町)
古墳情報 史跡名味美二子山古墳所在地愛知県春日井市二子町二番地 所 属味美古墳群形 状前方後円墳規 模全長96m ・後円部 経48m 高8m ・前方部 幅65m 長54m築造時期推:6世紀前半出土品円筒埴輪、須恵器他 文化財 国指定〇:昭和11年(1936年)12月16日指定 史跡情報 URL〇(春日井市HP)駐車場〇(二子山公園駐車場)訪問日2022年3月2日 沿革 庄内川北部の洪積台地低位段丘面南西端に築かれた「味美古墳群」において最大の古墳が「味美二子山古墳」になります。全長94mの前方後円墳でそ ...
白山神社(愛知県春日井市二子町)
愛知県春日井市にある愛知県指定史跡の白鳥神社古墳の墳丘上に鎮座する白山神社の紹介です。味鋺村から遷座した白山神社に二子山古墳に鎮座していた物部神社を合祀して創建された神社になります。
冨士社(西春日井郡豊山町豊場)
西春日井郡豊山町に鎮座する冨士社の紹介です。冨士社の境内は物部氏の祖「宇麻志麻遅」が埋葬されたという伝承がある青塚古墳の墳丘上に鎮座しています。ここは小牧長久手の戦いでは森長可が陣を張っています。
味鏡山護国院(名古屋市北区楠味碗) 名古屋二十一大師九番札所
寺院情報 寺院名味鏡山天永寺護国院所在地愛知県名古屋市北区楠味碗二丁目七三二御本尊薬師如来宗 派真言宗智山派創 建天平年間(729-49年)札 所名古屋二十一大師 九番札所尾張西国観音 十二番札所東海不動尊霊場 六番札所御朱印〇H P- 参拝日:2020年1月29日 名古屋二十一大師札所一覧 https://jinja.dr-leather.com/reijou-aichi/nagoya21/ 由緒・沿革 (旧)西春日井郡楠村味鋺に、一説では天平十七年(745年)、「行基上人」による建立と伝えられ、始め ...
神武天皇開国の砌り、宇麻志麻治命、物部氏を率いて、この尾張地方を平定後は此の里に居住され、御子味鋺田命と共に陵墓は二子山に葬ると近くに180ヶ所の墳墓がある。応仁の乱(1467-77年)の兵火に社殿、古記録は焼失する庄内川度々氾濫し社殿の維持運営に里人賢明の努力をした。『延喜式神名帳』に春日井郡味鋺神社とあり、『国内神名帳』従三位味鋺天神とある神社なり。寛治七年(1093年)競馬の神事を催されたたのが始めで、戦前は例年流鏑馬が行われ有名であった。加藤清正慶長十五年(1610年)名古屋城築城の際石を運ぶ石橋が境内に残る。明治四十年十月二十六日神饌幣帛料供進指定社となる
愛知県神社庁発刊「愛知県神社名鑑」
御祭神
- 宇麻志麻治命
- 味饒田命
- 天照大御神
- 天児屋根命
- 日本武尊
- 武甕槌命
- 別雷命
- 誉田別命
主祭神となる「宇麻志麻治命」は物部氏の始祖とされており、大和朝廷に従属してからは美濃、越前と平定し、石見国で没したとされています。物部氏がどのあたりの出身なのかは分かりませんが、物部氏の一族が名古屋市の東区からここ味鋺周辺に勢力を持っており「尾張物部氏」と呼ばれるようです。ここら辺の話になると、歴史というより古代史の話になってしまうので、どこまでが本当の話なのかはっきりしなくなってきてしまうので、あまり深く掘り下げないようにしたいと思います。
そんな「物部氏」所縁の「味鋺神社」ですが、物部守屋を筆頭とした排佛派だった物部氏が「護国院」の鎮守社となり、護国院の住職によって祭祀を営まれていたのは歴史の皮肉でしょうか。
御朱印帳の保管に
数年前より非常に集める方が増えた「御朱印」ですが、皆様は御朱印帳はどうやって保管していますか?神社・仏閣を廻って御朱印を受けているとあっという間に御朱印帳の冊数が増えていきますが、そのまま棚などに置いている方が多いのでは?。せっかくお受けした御朱印ですので、日本では古くから着物を始めとして大切なものを保管する為に使われていた「桐箱」に入れて保管した方がよろしいかと思います。
ぜひ、皆様も桐箱に御朱印帳を保管されてみたらいかがですか?
参拝記
「味鋺神社」から真っ直ぐ南に延びる参道の突き当りである「庄内川堤防」から神社側を望みます。由緒の中でも書きましたが、この真っ直ぐ伸びる参道で以前「流鏑馬神事」が行われていた様です。馬上から的を射るのではなく、空に向けて矢をはなっていたんですね。
境内入口
幟立石と幟掲揚ポールが片側六本づつ立ち並ぶ独特な境内入口になります。最近は、常設型の金属製ポールが設置されていますが、神社前にこれだけの幟掲揚ポールが並ぶと壮観です。
社号標
「式内 郷社 味鋺神社」と彫られた社号標になります。こちらの建立年月は調べ忘れて今いましたが、鳥居と同じ年に建立されたとしたら明治三十五年になるかと思います。
石鳥居
明治三十五年建立の神明鳥居になります。
手水舎
コンクリート造り瓦葺四本柱タイプの手水舎になります。水盤の大きさに比べてかなり大きい手水舎ですね。
社殿
こちらが、味鋺神社の社殿になります。
まさに尾張地方独特の神社様式の社殿です。
「蕃塀ー妻入拝殿ー渡殿ー本殿」というのが標準的な造りですが、「味鋺神社」が平成になって造営工事された為、少し様式が変わっている様です。
蕃塀
ほぼ尾張国独特の神社設備といってもいい「蕃塀」になります。表から直接本殿を見る事が出来ないようにと据えられたというのですが、三河地方に住んでいる自分にとっては本当に変わったものですね。
拝殿
瑞垣に囲まれた切妻造瓦葺妻入りの開放型拝殿になります。
拝殿から本殿に向かって瑞垣が続いて参拝者が社殿の中に入れなくしているはずなのですが、拝殿と本殿の間に新たに平入の拝殿を設けた様です。
今回の造営工事で新たに設けられたと思われる拝殿と幣殿が一体となった社殿になります。御祈祷や神事の際、こうした拝殿があるとないとでは大きな違いですからねえ。
狛犬
明治三十五年生まれの狛犬一対になります。どうしてこんな簡素な感じの狛犬がゴテゴテした狛犬になっていたのか不思議です。
清正橋
元々あった場所から味鋺神社の境内に移設された「清正橋」になります。名古屋城築城の際、加藤清正の命によってつくられた石橋になるので「清正橋」と称するようですが、地元の人は単に「石橋」と呼んでいた様です。名古屋藩が整備した「稲置街道」の一部になるようです。
一説では、古墳群から掘り出された石棺を再加工して利用したとも言われています。
鎮座地を神社で確認
神社名 | 味鋺神社 |
鎮座地 | 名古屋市北区楠味鋺二丁目七三六 |
最寄駅 | 鉄道;名古屋鉄道 小牧線「味鋺駅」徒歩15分 バス: |
ご自宅にお札は祀られていますか?
実家には神棚はあっても、今お住いの所には神棚がない方も多いかと思います。神棚には、日本の氏神である"天照大御神"とご自身がお住いの氏神様のお札を掲げると御神徳が宿るとされています。
賃貸住宅などに住まわれて簡単に神棚を掲げられないという方もお勧めなのが、
南向き、もしくは東向きになる様に、そして目線の高さより上になる様に、棚などの上において頂くとよいかと思います。是非、皆様もご自宅に神棚をご用意いただき、御札を納めてほしいなと思います。