神々の伝承

安閑天皇(第二十七代天皇)

2020年8月1日

令和四年新企画のお知らせ

新企画「愛知県下新十名所」

 新愛知新聞社が昭和二年(1927年)に「愛知県の新十名所を読者投票で決定する。」というイベントを実施します。愛知県下を狂気の投票合戦へと誘ったこのイベントへの投票総数は驚異の1400万票以上。また、100票以上の投票を集めた名所候補は67カ所にも上ります。2022年、当サイトではこの67ヵ所の名所を巡り紹介していこうと思います。

安閑天皇とは?

 日本書記によると、第二十六代・継体天皇の第一皇子であり「勾大兄皇子」と呼ばれていた。母は尾張目子媛(尾張連草香女)。継体天皇二十五年(531年)二月に継体天皇が崩御するとその日の内に二十七代・安閑天皇として即位した。二十八代・宣化天皇の兄になります。

安閑天皇を巡る系図

26代継体天皇┬27代安閑天皇
      ├28代宣化天皇─石姫皇女(欽明天皇皇后)
      └29代欽明天皇┬30代敏達天皇
             ├31代用明天皇─聖徳太子(母:穴穂部間人皇女)
             ├33代推古天皇(敏達天皇皇后)
             ├32代崇峻天皇
             └穴穂部間人皇女(用明天皇皇后)
※29代欽明天皇の母は、24代仁賢天皇の皇女:手白香皇女(継体天皇皇后)

 武烈八年(506年)12月、第二十五代武烈天皇に皇子女が生まれないまま崩御してしまい、皇位継承候補者がいなくなってしまうという天皇家断絶の危機に陥ってしまいます。臣下達は、天皇家の血をひく皇子を探す事とになり、越前国にいた第十五代「応神天皇」の玄孫・彦主人王の王子として近江国三尾で誕生された「男大迹王」を探し出します。系図では応神天皇の五世孫に当たります。そして、継体元年一月、男大迹王を越前国から都にお迎えする事になり、男大迹王は、後の安閑天皇と宣化天皇と共に大和国に入国し継体元年二月、男大迹王は即位し第二十六代天皇となります。そして、継体天皇は、第二十五代武烈天皇の同母姉である手白香皇女を皇后とし、その間に生まれた「欽明天皇」を嫡子としています。

 継体天皇が手白香皇女を皇后に迎え入れたのは、これまで天皇家の直系とされてきた武烈天皇の同母姉:手白香皇女の血統を取り入れる事により、傍系に属している継体天皇の正当性を高める為ではないかとされています。そして、その直系の血を引く「欽明天皇」が嫡子とされるのはある意味当然の流れだと思われます。

 しかし、継体天皇が崩御し即位したのは庶子となった安閑天皇でした。継体天皇が即位する条件としてえ安閑天皇、宣化天皇を即位させるという約束があったのではないかとも言われていますが、その当時の相続は兄弟で相続をしていく風習出会った為、まだ幼少だった欽明天皇までのつなぎの意味も含めて兄である安閑天皇、宣化天皇が即位していったのではないかな?と思うのですが。

 安閑天皇の皇子がいたら皇位継承で波乱が起きた可能性はゼロではなかったのかな?とも思いますが、幸か不幸か安閑天皇の皇子女については日本書記・古事記共に記述がなく皇子女には恵まれなかったようです。
 安閑天皇二年(535年)十二月崩御、宝算七十歳とされています。
 諡号は「古事記」では広国押建金日命、「日本書紀」では広国押武金日天皇と記載しています。

安閑天皇と蔵王権現の集合

 奈良県吉野に寺伝では役小角が開基と伝える修験道の総本山「国軸山金峯山寺」があります。この金峯山寺の本尊が「蔵王権現」になります。この蔵王権現はインドや中国起原でもなく、更に仏教の仏とも神道の神ともつかない、日本独自の尊像になります。正式名称は「金剛蔵王権現」と称します。

 いつしか、安閑天皇の諡である「広国押武金日天皇」の中に「金」の文字入っていることから、金峯山寺の本尊である金剛蔵王権現と同一視する神仏習合の考えが広がっていき、安閑天皇が神格化されていく事になっていきます。

 「和漢三才図会」という書物の中に蔵王権現についての記述があり、その中に「俗伝曰人皇二十八代安閑天皇崩後至四年宣化天皇三年現干金峯山告人曰 吾是広国押武金日丸也 仍知権現乃安閑天皇也牟」と書かれています。漢文で伝えられている伝承を転記したものだと思われます。何となく内容は漢字を追っていけばわかる感じですが、口語体に直すと「伝承によると、第二十八代天皇である安閑天皇が崩御して四年後の宣化天皇三年に金峯山に現れた人が「吾は広国押武金日丸(天皇)なり。(蔵王)権現は安閑天皇である。」と伝えた。」って感じでしょうか。ただ、役小角が蔵王権現を体現させたのは安閑天皇が崩御されて100年以上経過した飛鳥時代になるので、蔵王権現と安閑天皇の集合を正当化させるための創作かなと思います。

 明治時代になり、神仏分離策が行われると、蔵王権現と安閑天皇も分離される事になります。神社として存続を決めたところは、祭神を「安閑天皇」として蔵王神社、広国神社、金峰神社などの社名に改称していくことになります。一部の神社では、安閑天皇も仏教色が強いのではということで、大己貴命、少彦名命、国常立尊、日本武尊 、金山毘古命や常滑市奥条に鎮座する「常石神社/紹介記事」の様に「高皇産霊神」に改めています。

安閑天皇のご利益

 蔵王権現と同一視されていた事から、蔵王権現と同じように諸災祓い、怨敵退散、所願成就、家内安全のご利益があると考えられます。

安閑天皇が祀られている神社

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