ONE POINT
島田城の鬼門守護として勧請されたとも伝えられる「熊野権現」。大正期に周囲の神社を合祀して「島田神社」と改称している。
神社情報
神社名 | 島田神社 |
鎮座地 | 愛知県名古屋市天白区島田三丁目三○一(Googlemap) |
例大祭 | 十月十七日 |
創 建 | 不詳 |
御祭神 | 事解之男命 速玉之男命 伊邪那岐命 伊邪那美命 天照大御神 大山祇神 応神天皇 少彦名命 鵜茅葺不合命 |
旧社格 | 神饌幣帛料供進指定村社 |
神名帳 | ー |
境内社
境内社 | 天神社(御祭神:菅原道真) 秋葉社(御祭神:加具土命) 天王社(御祭神:須佐之男命) |
文化財
国 宝 | ー |
国指定 | ー |
県指定 | ー |
市指定 町指定 村指定 | ー |
参拝情報
御朱印 | ○ |
URL | ー |
駐車場 | ○ |
参拝日 | 2022年4月6日 |
御由緒
伝承では斯波高経が築城した島田城の鬼門守護として熊野権現を勧請創建した神社としています。
斯波高経
足利氏有力一門であり、室町幕府の「三管領」に名を連ねる斯波氏の四代目当主。(斯波氏は室町幕府後年になって使われ始めたとされ、斯波高経も足利高経と称していたとされる。足利家氏を祖とする足利尾張守家とも呼ばれる。)
官途尾張守であり越前、若狭、越中守護。(南北朝時代以降、それまでの本領を意味する官位(○○守)から武家官位と呼ばれる恩賞としての要素が強くなていくが、斯波氏(足利尾張守家)は鎌倉時代より尾張守を受任しており、尾張国を本拠としていた。)
建武親政において越前守護職を得るが、足利尊氏に従い北朝方の武将として北陸方面の司令官として活躍。延元三年/建武五年(1338年)閏七月二日、藤島の戦いにおいてに新田義貞を討った。
愛知県神社名鑑の由緒には記載されていませんが、「菅田神社」の由緒には明治四十二年三月二十日に現在の島田神社の境内地に鎮座していた熊野神社を合祀したとし、その後どういった経緯があったのかは不明ですが大正十一年頃、熊野神社は分祀され元の境内地に遷座したと伝えています。
しかし、島田神社の由緒を愛知県神社名鑑で確認しても、大正以前についての記述が見当たらない所を見ると、神社統合令によって近隣の神社との合祀を経て現在の菅田神社の境内に移転した時に神社関連の資料も消失してしまったのかもしれません。
大正十五年四月十五日、御器所町字天神山鎮座の無格社天神社と天白村大字植田字中邸鎮座の無格社秋葉社を移転合祀し島田神社と改称し、昭和二十年十月十日、村社に列格し、同年十月十六日、供進指定社となる。昭和五十年十月社殿を近代建築により改造する。
愛知県神社庁発刊「愛知県神社名鑑」
御祭神
主祭神
- 事解之男命
- 速玉之男命
- 伊邪那岐命
- 伊邪那美命
配祀神
- 天照大御神
- 大山祇神
- 応神天皇
- 少彦名命
- 鵜茅葺不合命
島田神社の御祭神はほぼ菅田神社の配祀神と同じなのですが、熊野神として祀られていた祭神に伊邪那美命がこちら島田神社にはその名があるのに対して、菅田神社には伊邪那美命の神名がない点が異なっています。
この点からも島田神社と菅田神社は非常に関係が深い神社であることが見て取れるかと思います。
御朱印帳の保管に
数年前より非常に集める方が増えた「御朱印」ですが、皆様は御朱印帳はどうやって保管していますか?神社・仏閣を廻って御朱印を受けているとあっという間に御朱印帳の冊数が増えていきますが、そのまま棚などに置いている方が多いのでは?。せっかくお受けした御朱印ですので、日本では古くから着物を始めとして大切なものを保管する為に使われていた「桐箱」に入れて保管した方がよろしいかと思います。
ぜひ、皆様も桐箱に御朱印帳を保管されてみたらいかがですか?
参拝記
「島田城址」から鳴海街道を北上し、中央分離帯のある県道221号線を超えて進むと、変則的な交差点が現れます。この交差点の角に鎮座しているのが今回紹介する島田神社になります。車で向かわれる方は参道入口脇から駐車場に向かう事ができる車両出入口がありますので、こちらから駐車場へ。
境内入口
参道両側に社号標が建っているのが特徴的な参道入口。
この向きで会っているのかは不明ですが、狛犬一対が鎮座し、その奥に幟立ポール、石灯籠一対、扁額のある明神鳥居が据えられています。参道は真っ直ぐ伸び、両側に石灯籠が設けられています。
ここだけみると住宅地の真ん中に鎮座している神社とは中々想像できない緑あふれた境内になっています。
社号標
島田城址の記事の中で「この辺りは島田城主だった牧氏の末裔が現在も住んでいる。」と紹介していますが、これを裏付ける様に旧社格が彫られた社号標には「牧仙太郎」が施主であることが刻まれています。
手水舎
コンクリート造銅板葺四本柱タイプの手水舎になります。各柱が非常に太くどっしりとした重厚感を感じる造形になっているかと思います。
二の鳥居
参道を進んでいくと扁額の無い明神鳥居の二の鳥居があり、この鳥居を潜ると境内の様です。
何となくなんですが元々は参道をまっすぐ正対するように社殿が建てられていたと思うのですが、この辺りの区画整理の兼ね合いもあったのか、社殿が南向きではなく南東に向いて鎮座していて参道と少しずれてしまっている感じがします。
蕃塀
かなり新しいかとおもう蕃塀になります。この蕃塀が建っている場所は社殿の正面側になっているのは間違いないのですが、写真でも見て取れるかと思いますが境内の隅に建てられています。
蕃塀がどんな目的で建てられたのかは所説あってハッキリしないのですが、その多くが参道から社殿を隠すかのように建てられている事から、やはり社殿造営時に元々あった場所から移して造られたのかなと・・・・。この辺りも社殿造営に際して少し向きが変わったのかなと思う部分ではあります。
蝋燭台
蕃塀と並ぶ尾張地方の神社の特徴のある石造物の一つ「蝋燭台」になります。
狛犬
生年月は調べ忘れてしまいましたが、全体的にシンプルな造形ながらはっきりと巻き髪?の彫が施されている狛犬になります。大正から昭和初期の生まれかなあ・・・。
社殿
入母屋造銅板葺きコンクリート造りの唐破風の向拝が設けられた拝殿を有する社殿になります。尾張造の社殿でなはく、拝殿幣殿本殿が一体となった社殿になります。
境内社
社殿向かって右手側に鎮座する境内社になります。三社が瑞垣と拝礼門で囲まれているのが特徴でしょうか。
神楽殿
切妻造瓦葺妻入りの濡れ縁が設けられている神楽殿になります。非常に特徴的な造りじゃないでしょうか。
鎮座地を神社で確認
神社名 | 島田神社 |
鎮座地 | 愛知県名古屋市天白区島田三丁目三○一(Googlemap) |
最寄駅 | 電車: バス:名古屋市営バス「島田バス停」徒歩2分 |
ご自宅にお札は祀られていますか?
実家には神棚はあっても、今お住いの所には神棚がない方も多いかと思います。神棚には、日本の氏神である"天照大御神"とご自身がお住いの氏神様のお札を掲げると御神徳が宿るとされています。
賃貸住宅などに住まわれて簡単に神棚を掲げられないという方もお勧めなのが、
南向き、もしくは東向きになる様に、そして目線の高さより上になる様に、棚などの上において頂くとよいかと思います。是非、皆様もご自宅に神棚をご用意いただき、御札を納めてほしいなと思います。