神社紹介
神社名 | 神明社 |
鎮座地 | 愛知県安城市山崎町城跡一〇二番地 |
御祭神 | 天照大御神 |
旧社格 | 神饌幣帛料供進指定村社 |
創 建 | 天文年中(1532-54年) |
神名帳 | ー |
境内社 | ー |
例祭日 | 十月第一土曜日 |
御朱印 | ー |
H P | ー |
参拝日:2020年6月29日
御由緒
安祥城を攻め落とした織田信秀が支城として築城した「山崎城/紹介記事」の城主として入城した「松平信孝」が山崎城の守護神として勧請したのが始まりと言われる神社になります。
境内に掲げられいた由緒板を読んでいると、愛知県神社名鑑や大正期に書かれた安城町史などに書かれている内容とは異なる事が書かれていて、「創建時期は不詳なれど、山崎城築城以前にこの地の集落では奥津日子命、奥津比売命を祀った社を崇敬しており、山崎城築城の際この社を城の守護神として祀ったとされています。(山崎城廃城後は再び集落の産土神となったと思われます。)明治十七年社殿を修復し、天照大御神を合祀した。」とあります。
この神明社ですが、元々別の場所に鎮座して廃城後に遷座したのか、元々山崎城内に鎮座していたのか不明ですが、城跡が境内地になった為、土塁や堀址などが現在まで残る事になった大きな要因ではないでしょうか。
創建は天文年中(1532-54年)この所に城壁を築いた「松平信孝」が城門の守護神として勧請崇敬した。明治維新の一郷一社の制度により明治五年十月、据置公許となるも住民の崇敬厚く、同二十四年六月、拝殿を造営、同三十六年十一月、祭器庫を新築し同四十一年九月、八十八坪の境内地三百六十四坪に拡張、社頭の整備に勉めた。昭和十六年六月十九日、村社に列格し、同年十月十三日、神饌幣帛料供進指定社となる。
愛知県神社庁発刊「愛知県神社名鑑」より
歴史探訪
山崎城の主郭部分を境内とする神明社です。本殿が山崎城の土塁上に鎮座しているということで、現存する堀越しに神明社方面を望むと、山崎城の様子の一端を窺い知る事ができます。山崎城から東は矢作川まで沖積層の低地が広がり、矢作川の対岸に築かれた「上和田砦」を見る事ができたはずです。上和田砦は織田家の矢作川左岸に進出するための橋頭保になる為、山崎城は上和田砦の後詰めの役割も持っていたのかなと思います。
こうして神社を巡っていると、城跡に鎮座している神社を参拝する事も多々あります。しかし、そういった神社でも中々城跡の遺構が残っている所は少ないのですが、ここ神明社は土塁、堀がしっかりと残っていて戦国時代に築かれた城郭を見る事が出来ます。安祥城とセットで是非訪れてほしい場所になります。
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参拝記
県道48号岡崎刈谷線からはJR東海道線を挟んで北側を並走するように走っている旧道沿いに今回参拝する神明社は鎮座しています。JR東海道線西岡崎駅の北口から真っ直ぐ西に向かうと上記ストリートビューの場所に出る事ができます。
境内入口
幟立石、社号標と由緒書き、石灯篭、そして鳥居と綺麗に左右対称の様に石造物が据えれた境内入口になります。
一の鳥居
昭和六年に据えられた靖国鳥居になります。笠木が丸木で貫が角型で作られる鳥居を靖国鳥居と呼ぶようです。ただ本来は柱は垂直なんだとか。
二の鳥居
平成八年に建立された神明鳥居による二の鳥居です。
手水舎・水盤
木造瓦葺四本柱タイプの手水舎になります。
狛犬
昭和十年生まれの子乗り玉乗りの狛犬一対になります。色飛びしてしまい造形が良く見えなくて申し訳ないです。
祓戸
拝殿脇に据えられた、基壇の上に瑞垣が設けられた祓戸になります。比較的コンパクトな造りなんですが、数年度、御垣内に植えられた榊が大きくなった時、根の張りだしとかで基壇が崩れなければいいんですが・・・。
社殿
入母屋造瓦葺平入の向拝が設けられた拝殿になります。あまり気にしていなかったのですが、この辺りの神社で向拝が設けられている拝殿を有する神社って少数派の様な気がします。
山崎城の土塁跡に鎮座するという神明社の本殿になります。流造の本殿なのですが、屋根は瓦葺となっていますね。
地図で鎮座地を確認
神社名 | 神明社 |
鎮座地 | 愛知県安城市山崎町城跡一〇二番地 |
最寄駅 | あんくるバス一号安祥線「山崎バス停」徒歩7分 |
ご自宅にお札は祀られていますか?
実家には神棚はあっても、今お住いの所には神棚がない方も多いかと思います。神棚には、日本の氏神である"天照大御神"とご自身がお住いの氏神様のお札を掲げると御神徳が宿るとされています。
賃貸住宅などに住まわれて簡単に神棚を掲げられないという方もお勧めなのが、