吉谷山 安泰寺(西尾市西幡豆町) 三河海岸大師十二番札所

寺院情報

寺院名:吉谷山 安泰寺
鎮座地:愛知県西尾市西幡豆町講伏14
本 尊:聖観世音菩薩
宗 派:曹洞宗
創 建:永正十年(1513年)
H P:○ ( こちらから )
御朱印:-
札 所:三河海岸大師 十二番札所
札 所:東条吉良観音 二番札所

沿革・由緒

欠村城主小笠原摂津守長重公により幡豆小笠原公の菩提寺として創建し、祥山恵禎和尚が、田原大久保長興寺四世模外惟俊和尚を開山とし、自らを二世と称した。

「幡豆町誌」より


安泰寺から西側にあった欠城を治めていたのが由緒にも出てくる”小笠原氏”になります。安泰寺から南西にある寺部城を治めていたのも”小笠原氏”なんですが、系統が違うとか・・。この辺りはよくわかりません。欠城を治めていた小笠原氏の系統の菩提寺として建立されたのは始まりとされています。

ちなみに、両小笠原氏共に、元々は今川義元の家臣だったそうなのですが、桶狭間の合戦後、松平信康(徳川家康)に仕えるようになったんだとか。その小笠原氏も家康の関東移封に伴い、旗本として上総国周淮郡に領地を得て陣屋を構えています。その際、菩提寺も当地にある”正珊寺”に移されたんだとか。(小笠原氏の墓所は富津市の指定文化財になっています。)

そんな小笠原氏所縁の安泰寺ですが、はずの民話には”安泰寺と徳川家康”にまつわる話が伝えられています。


安泰寺と家康

戦国時代の終わりごろのお話です。
街道沿いの梅の花がぽつぽつさき始めたある日、桑畑村をぬけ、安泰寺の坂を馬で登る武士の一行がありました。
三河の統一を目ざし、幡豆の地を見回りに来た若いころの松平元康(徳川家康)とその家来たちでした。
坂のなかばにさしかかった時、家老は元康の馬に近づきました。
「殿、模外おしょうの名をご存じでしょうか」
ふりむいた元康は、手づなを引いて馬を止めました。
「何でも、おじいさまゆかりの方と聞いているが」
「はい。この先の峠に模外おしょうの開かれた寺がございます」
「そうか、ならば、ぜひ立ち寄りたいものじゃ」
一行は、街道わきの木に馬をつなぐと、緑の木立ちに囲まれた安泰寺の参道を進みました。山門前の池に、大きな松がかぶさるように枝を広げていました。
「みごとな松じゃのう」
「はい。池に映った姿も美しゅうございます」
しばらくうで組みをしてそれを見ていた元康は、兜を家来にわたし、鎧をその松の枝にかけると、家老とともに山門をくぐりました。

出むかえた寺の住職は、訳を聞いて丁重に本堂へ案内しました。
ご本尊のお参りが終わると、住職は本堂のおくへ通しました。そこには模外おしょうの像がありました。そのお顔はやさしさの中にもきびしさがあり、元康にとってはなき祖父を思い出すものでした。
家老は像の前にすわった元康に、ゆっくりと話し始めました。
「殿のおじいさま清康公は、今川や織田が一目置くほどのりっぱなお方でした。ある年の元旦、清康公は左手の内に『是』の字をにぎる夢を見られました。そして、その夢判断をされたのが模外おしょうなのです」
「夢判断?」
「つまり、夢の意味が何かということです」
「で、何と」
元康は身を乗り出しました。
「是の字は、日の下に人と書きます。日は天にあり、つまり天下人です。松平家が人びとの平安のためにいっそう努めれば、必ず三代の内には天下を取る人物が出るだろう、と」
「何。三代の内に!」
あまりの言葉に元康は身をふるわせました。
「はい。そのとおりです」
家老は、大きくうなずきました。
それから二人は、長い間模外おしょうの像の前で手を合わせて祈りました。

住職に送られて山門を出た元康の顔は、かがやいていました。
「今日は、この寺に立ち寄って本当に良かった。心から満足じゃ」
「それは、ようございました」
鎧兜を着けて、身なりを整えた元康は、もう一度本堂に向かって深く一礼すると、かろやかな足取りで参道を下って行きました。

参拝記

国道247号線の旧道沿いで、丁度東幡豆の集落と西幡豆の集落の中間地点付近に鎮座しているのが今回紹介する安泰寺になります。元々、旧道は東幡豆と西幡豆を結ぶ唯一の道だったそうで、人の往来も盛んだったんだろうと想像できます。

こちらが安泰寺入口になります。
寺号標の手前に据えられた小さい石柱は、三河海岸大師十二番札所と彫られた石柱になります。今まで見てきた石柱の中でも小ぶりな部類に入るかと。

石柱脇には、徳川家康公鎧掛けの松があり・・・ました。
伊勢湾台風の時に倒れてしまい、今では、枯れた松の木が横たわっている状況になっています。

いつの頃の話なのかは不明ですが、徳川家康が安泰寺に立ち寄った際、鎧を松の木にかけて門内に入っていたと伝えられています。

境内入口から少し進むと、いぼ地蔵と呼ばれているお地蔵様が安置されています。

こちらが、いぼ地蔵様になります。安泰寺のHPによると、”おそなえしてある小石で「いぼ」をなでてお祈りします。いぼがとれたら自分の年齢の数の小石をお返しするとされます。”となっています。昔の世から”いぼ”は気になる物だったのがよくわかりますね。

薬医門の山門になります。山号標が掲げられていますね。

この山門の手前には・・・

役行者像と観音像が安置されていて、更に

大師堂も据えられています。

山門を潜ると、参道の左右に三十三観音堂があり、その先に本堂が見えてきます。

これと同じ観音堂が対面にあります。やはりここも西国三十三観音堂の様です。

手水舎になります。正面側からのみ使用可能な造りになっていますね。
こういったコンパクトな造りの手水舎も趣きがありますね。

ほかの寺院ではあまり見ない地蔵尊なんですが、賽の河原地蔵尊なんだそうです。

賽の河原とは、親に先立って死亡した子供がその親不孝の報いで苦を受ける場とされる。そして、その子供たちは、最終的には地蔵菩薩によって救済されるとされています。

平成30年(2018年)、連日35℃を超える記録的な酷暑続きの夏の日、参拝させて頂きましたが、さすがにこんな日に参拝しているのは自分だけでしたね。

投稿者プロフィール

成瀬晃ドクターレザーおかざき 店主
愛知県岡崎市で「かばん・くつ✚革の病院ドクターレザーおかざき」を営んでいる成瀬と申します。
史跡、神社などを巡った事をなどをつぶやきつつ、お店のブログではつぶやけないような事も書いていこうかと思っています。

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