神社紹介
神社情報
神社名 | 八剱神社 |
鎮座地 | 愛知県蒲郡市三谷町七舗百三十九番地(googlemap) |
例大祭 | 十月第四日曜日 |
創 建 | 寛治三巳年頃(1089年) |
御祭神 | 日本武尊 |
旧社格 | 郷社 |
神名帳 | 三河国新名帳:宝飯郡 従五位上八剱天神 |
境内社
境内社 | 源太夫神社(御祭神:乎止与命) 天満社(御祭神:菅原道真公) 諏訪神社(御祭神:建御名方大神) 稲荷神社(御祭神:宇迦之御魂大神) 御鍬神社(御祭神:豊受大御神) 秋葉神社(御祭神:火之迦具土大神) 尺地神社(御祭神:猿田彦大神) 水神社(御祭神:水波能売大神) 金毘羅神社 (御祭神:大物主大神) |
文化財
国 宝 | ー |
国指定 | ー |
県指定 | ー |
市指定 町指定 村指定 | 市指定無形文化財「三谷祭」 |
参拝情報
御朱印 | ○ |
URL | http://yaturugijinjya.com/ |
駐車場 | ○ |
参拝日 | 2018年10月29日 |
御由緒
平安時代の寛治三年(1089年)に熱田の宮に鎮まる神霊を勧請して創建されたという。
源平合戦の最中の治承年中(1177-80年)に源氏方の総大将「源頼朝」が再建をしたという。そして、建久元年(1190年)に三河守護に任ぜられた「安達藤九郎盛長」が社殿を造営した。
- 寛治三年(1089年):創建
- 治承年中(1177-80年):源頼朝が再建
- 建久元年(1190年):安達藤九郎盛長が社殿造営
- 江戸時代:朱印地を受領
- 明治五年:村社に列格
- 明治十七年:郷社に昇格
「三河国神名帳」に従五位上八剱天神、坐宝飯郡とある。
「愛知県神社名鑑」より
寛治三巳年頃(1089年)の創建で治承年中(1177-80年)源頼朝再建する。建久元年(1190年)安達藤九郎盛長、頼朝の命により三河奉行として再建し、その後徳川内府より朱印社領二石斗を寄進、代々の領主崇拝する。寛文十一年(1671年)、弘化三年(1846年)の棟札を社蔵する。
明治五年十月、村社に列格し、同十七年八月十二日、郷社に昇格する。昭和三年五月、社務所を改築した。
御祭神
- 日本武尊
御朱印帳の保管に
数年前より非常に集める方が増えた「御朱印」ですが、皆様は御朱印帳はどうやって保管していますか?神社・仏閣を廻って御朱印を受けているとあっという間に御朱印帳の冊数が増えていきますが、そのまま棚などに置いている方が多いのでは?。せっかくお受けした御朱印ですので、日本では古くから着物を始めとして大切なものを保管する為に使われていた「桐箱」に入れて保管した方がよろしいかと思います。
ぜひ、皆様も桐箱に御朱印帳を保管されてみたらいかがですか?
歴史探訪
三河国司の藤原俊成卿が創建したという竹島に鎮座する八百富神社を後にし、国道23号線を一路東に向かいます。JR東海道本線「三河三谷駅」からほど近い場所に鎮座しているのが、八剱神社になります。
由緒にありますが、五井の長泉寺、八幡宮を参拝した時に出てきた、初代三河国守護「安達藤九郎盛長」の名を再び目にすることになります。実際三河守護に任命されたのは、盛長が死去する一年前・・・。さらに最後は宇都宮の成願寺にて余生を過ごしたという事もあり、三河時代に訪れたのは僅かなんじゃないかなと推定しているのですがどうですかね。
八剣神社は西郡五社とよばれる蒲郡市内でたぶん西郡松平氏の所領に鎮座していた神社のひとつとして名を連ねています。当サイトでは西郡五社を巡拝していますので、ぜひこちらの記事も見てみてください。
西郡五社
八剱神社(蒲郡市三谷町) 西郡五社
蒲郡市三谷に鎮座する八劔神社の紹介です。御祭神は日本武尊。蒲郡市の無形文化財に指定されている山車が海の中を渡る「三谷祭」が有名。
八百富神社(蒲郡市竹島町) 西郡五社
三河湾に浮かぶ竹島を境内地する八百富神社の紹介です。琵琶湖に浮かぶ竹生島から勧請された市杵嶋姫命を御祭神としています。竹島全体が国の天然記念物にしていされています。
乙姫神社(蒲郡市水竹町) 西郡五社
神社紹介 神社情報 神社名乙姫神社鎮座地愛知県蒲郡市水竹町下島一二一番地(Googlemap)例大祭十月第日曜日 創 建天正九年(1581年)御祭神豊玉姫命肆長津彦命水分神 旧社格村社神名帳ー 境内社 境内社ー 文化財 国 宝ー国指定ー県指定ー市指定町指定村指定ー 参拝情報 御朱印ーURLー駐車場ー参拝日2018年10月29日 御由緒 天正九年(1581年)に額田郡千万町から当地に遷座したという。慶長十年(1605年)吉田藩主である松平玄蕃頭の室乙姫が信仰し、竹谷松平氏、西郡松平氏が崇敬したという。 松 ...
大宮神社(蒲郡市宮成町) 西郡五社
蒲郡市宮成町に鎮座する「大宮神社」の紹介。三河国司であった藤原俊成の娘「菊姫」が熊野権現を勧請し創建した神社と伝えられている。境内には菊姫の墓所もあります。西郡五社のひとつとされ西郡松平家の崇敬をあつめていた神社だと思われます。
八幡宮(蒲郡市五井町) ・五井城址
蒲郡市五井町に鎮座する八幡宮の紹介です。鎌倉幕府の三河守護代である「安達盛長」が「龍田山長泉寺」共に再建した神社であると伝えられ、室町時代になると神社の南側に「五井城」が築かれ、松平家庶家の五井松平家からの庇護を受けていた神社になります。
参拝記
まだ山間部を走る23号線のバイパス工事が完了していないので、現時点では八剱神社の境内前を国道23号線を東西に走っています。
参道の途中から参道入口の方向を望みます。
まさに参道の入口の真正面が「八剱神社前」交差点になります。
鳥居真正面に見える建物のすぐ向は三谷漁港になります。
参道入口
左の道路を進むと竹島遊園方面へ、右の道路は国道23号線になり、JR蒲郡駅南口方面に進んでいきます。そんな街道分岐点に八剱神社は鎮座しています。
社号標
旧社格部分がコンクリートで埋められているのにはっきりとわかってしまっている社号標になります。
一の鳥居
非常に大型の扁額の設けられた明神鳥居になります。
参道の両脇が近所の方達への月ぎめ駐車場として使われているようで、鳥居の下を車が通行しています。本来は車などは鳥居を潜らないというのが大前提なんですが、致し方ない部分ですよね・・。
一の鳥居から社殿方面を望みます。
参道が伸びていて、その先には石段が設けられていて、登り切った場所に鳥居が見えていますね。
境内入口
瑞垣で仕切られたここが境内入口になるんだと思うのですが・・・。
この鳥居を潜った先にも車が止められていて、境内だと言い切れないんですよね。
二の鳥居
注連縄柱と扁額の設けられた明神鳥居がお出迎え。
今まで、注連縄柱をあまり気に留めてこなかったんですが、何故、気にならなかったのかこの写真を見直してわかった気がします。わかります?
注連縄柱に注連縄が飾られておらず、他の神社同様に鳥居に注連縄が飾られています。そうなると、注連縄柱の存在感が一気に低くなってしまい目に入らなくなるわけです。
注連縄柱に注連縄が飾られたイメージはこんな感じ
豊川市の篠束神社になります。少し形状が異なりますが、こんな感じで柱通しを注連縄で結ぶ形になるわけです。
元々は、鳥居の代わりに用いられた物なんですが、鳥居が作られるようになると消えていた石造物の一つなんだそうです。そう思うと、二の鳥居が作られて注連縄柱は使われなくなった・・のかな?
二の鳥居を潜ると、左手に境内社の金毘羅神社と斎館がありました。
三の鳥居
太鼓橋を渡るとその先には扁額の設けられた明神鳥居が建っています。
ここまできて明確に境内と言えますね。
手水舎・水盤
瓦葺木造四本柱タイプの手水舎が建っているのですが、何故か写真を撮り忘れてしまいました・・・・。
また、近くを通った際に撮影してきます。
狛犬
拝殿前に、一対の狛犬が鎮座しているのですが、これまた撮影忘れ・・・。
社殿
入母屋造瓦葺平入、流れ向拝軒唐破風が設けられた拝殿になります。
千鳥破風が大屋根の設けられていますが、なにやら、切妻妻入りの幣殿の軒が飛び出ているんだとか。こういった造りを「権現造」と呼ぶそうです。ただ、ここ八剱神社の本殿は流造になっていて、拝殿、幣殿とは一体とはなっていない様です。権現造の王道は、平入の拝殿、本殿を妻入りの幣殿が貫く形で一体化した社殿の事を指すんだとか。
今まで装飾の為に千鳥破風を設けているんだなとしか思っていなかったのですが、もしかしたら、権現造だったのかもしれませんね。この辺りも今後注意深く見ていこうと思います。
境内社
本殿から見て左側に鎮座する源太夫神社になります。
祭神は乎止与命。尾張国造であり、ヤマトタケルの東征の副司令官となった"建稲種命"の父親になります。さらに言えば、日本武尊の最後の妻である「美夜受比売」の父親になります。
義理のお父さんが隣にいたんじゃ、日本武尊も落ち着けませんね・・・。
天満社、諏訪神社の相殿になります。向かって左が天満社、右が諏訪神社になります。天満社側には神使である牛の石像が置かれていますね。
水神社になります。その脇には浦島太郎伝説にまつわる長寿の亀の石造物が据えられています。
亀の上に乗ると長生きできるんだとか・・・。
ふみ・・ふみ・・ふみ・・
乗るというのは座るだけでいいんですかね・・・。
尺地社、御鍬社、秋葉社、稲荷社になります。稲荷社は単独の社ですが、他三社は相殿になっています。
金比羅神社になります。先に紹介していますが、この金毘羅者だけ三の鳥居の外側に鎮座しています。
参拝を終えて
西郡五社をすべて参拝することができました。
五社を回っているだけでも、蒲郡市の歴史には欠かせないキーパーソンが何度も登場してきますね。
藤原俊成、安達藤九郎盛長、竹谷(西郡)松平氏、五井松平氏、鵜殿氏・・・
これだけそれぞれが絡み合って歴史を紡いできている場所もすごいです。
この八剱神社は、山車の海中御渡で有名な三谷祭りの西宮となっています。
http://www.38fes.jp/index.html
一度は実際に海の中を渡る風景を見に行きたい所です。
次の目的地は?
八剱神社の参拝を終えて、次は話を少し巻き戻す形になってしまいますが、赤日子神社を以前紹介しました。この赤日子神社に奥の院にあたる磐座があると聞いたので、そこを紹介します。
境内地を地図で確認
神社名 | 八剱神社 |
鎮座地 | 愛知県蒲郡市三谷町七舗百三十九番地(googlemap) |
最寄駅 | 鉄道:JR東海・東海道本線「三河三谷駅」徒歩4分 バス: |
ご自宅にお札は祀られていますか?
実家には神棚はあっても、今お住いの所には神棚がない方も多いかと思います。神棚には、日本の氏神である"天照大御神"とご自身がお住いの氏神様のお札を掲げると御神徳が宿るとされています。
賃貸住宅などに住まわれて簡単に神棚を掲げられないという方もお勧めなのが、
南向き、もしくは東向きになる様に、そして目線の高さより上になる様に、棚などの上において頂くとよいかと思います。是非、皆様もご自宅に神棚をご用意いただき、御札を納めてほしいなと思います。