ヤマトタケル東征伝説 岡崎市

神明宮(愛知県岡崎市明大寺町)ヤマトタケル伝承地か?

令和四年新企画のお知らせ

新企画「愛知県下新十名所」

 新愛知新聞社が昭和二年(1927年)に「愛知県の新十名所を読者投票で決定する。」というイベントを実施します。愛知県下を狂気の投票合戦へと誘ったこのイベントへの投票総数は驚異の1400万票以上。また、100票以上の投票を集めた名所候補は67カ所にも上ります。2022年、当サイトではこの67ヵ所の名所を巡り紹介していこうと思います。

神社紹介

神社名神明宮
鎮座地愛知県岡崎市明大寺町諸神三番地
御祭神天照大御神
豊受姫命
旧社格村社
創 建不詳
神名帳
境内社秋葉社
例祭日十月十六、十七日
御朱印
H P

参拝日:2021年1月13日

御由緒

 明大寺町諸神という何やら意味深げな地名に鎮座している神明宮は、元々は「満珠山龍海院/紹介記事」の境内に鎮座していた上宮と下宮を天正七年(1579年)[龍海院の寺伝では寛永十年(1633年)]に合併させて現在の境内地に遷座したと伝えられています。上宮と下宮を合併させたことから「両神もろがみ」と呼んだといいます。

 こういった歴史があるため、江戸時代を通じて龍海院が別当を勤めていたみたいです。

 神明社の拝殿の側面に由緒が書かれていました。

由緒
当神社はその昔景行天皇の御代、今より千八百六十年前日本武尊が日本中部御制定のみぎり、当所に野営せられしある夜、天より三ツの星降り来たり、三人の白髪の者神となりて、尊の前にひまずきて曰く、吾等は三台の星なり、天津神の命により尊の御身を護り奉らんとす、願わくは賊を平らげここに社を祀り給えと宣まいて、また元の星となり、川を越え、飛び去り、北方の山上に消え、三ッの岩と化せりと夢幻の如きお告げあり、よってこの所に宮を祀れりと、それよりこの宮を星降神社と称えたりという、天正七年(今より三百九十年前)に下の宮、上の宮合併せりとあり、下の宮は明大寺西町字南山に、上の宮は同町字西田畦現在のところに在所し、合併後この宮を両神といい、また双神とも称え、其後ち諸神と称えるに至れり、昔この土地は龍海院領に属し、寛文四年(二百九十年前)に龍海院十五
代目碧雲和尚が社殿再建、また享保十年六月(二百五十年前)同院十七代目寛岩和尚が改造せりとある、後にこの宮は同院より寄進せらるとあり、明治五年十月十二日神明宮として村社に列せらる、大祭は毎年十五日、十六日におこなう、祭神は天照大神、豊受姫命の二柱なり、
以上
右の如く最も古く誠に由緒深き神社にぞある、
昭和三十九年七月

 日本武尊の東征における愛知県下にあるゆかりの地を紹介する企画をのんびりと進めていますが、ここ明大寺町諸神の神明社も東征ゆかりの地であると記しています。

 なにやら「この神明宮が鎮座している地にヤマトタケルの東征軍が駐屯し、その夜、天より三つの星が降りてきて、三人の白髪の翁となった。三人はヤマトタケルの前で跪き、尊の守護神となるので、賊を打倒した(東征を成功させた)暁には、ここに社を建立し祀ってほしい。」と告げたと書かれています。この伝承は、甲山寺に伝わる伝承とほぼそのまま同じ内容となっています。

 色々なヤマトタケルの東征を取り上げている史料を見ても、ここ明大寺諸神の神明宮の伝承については登場してこないんですよね・・・。ただ、明確にどこで星が降りてきて翁にかわった場所が記されている訳でないのでこの諸神辺りにも東征が駐屯していた可能性は0じゃないのかなと思います。ただ、古来の菅生川は諸神の辺りから流れが南に曲がっていて、そのまま現在の占部川に繋がっていたんです。そうなると、諸神の地は菅生川を渡河した先という事になります。・・矢作川を渡河して東に進んだヤマトタケル率いる東征軍はどの場所で渡河したのかな。

 

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 南山下と西田畔の二ヶ所に鎮座し上宮・下宮と称したが、天正七年(1579年)に両社合併し、今の鎮座地に遷して両神もろがみと称した。寛文四年(1664年)九月と享保十年(1725年)六月に社殿の改造が行われた。明治五年十月十二日村社に列し、大正四年に社殿を改築する。

愛知県神社庁発刊「愛知県神社名鑑」より

参拝記

 県道483号線の国立研究所下交差点から西に進んだ先の交差点の所に今回紹介する神明宮の境内入口があります。ここの神社の境内入口は珍しく社殿から真っ直ぐ南に延びた先に設けられるのではなく、途中から交差点の方向に斜めに曲がった感じで設けられています。

境内入口

 靖国神社様式の鳥居と旧社格「村社」が記されている社号標になります。

 ぱっと見だとここ神明宮の鳥居の形式は「神明鳥居」に見えますが、貫部分に角材が使わていると「靖国鳥居」に分類されるんだそうです。ちなみに、神明鳥居は柱、笠木、貫はすべて丸太で構成させているんだとか。

手水舎

 木造瓦葺六本柱タイプの手水舎になります。六本柱タイプによくある造りで、手水舎+井戸の組み合わせになっています。

狛犬

 何年生まれなのか調べ忘れてしまった子乗り玉乗りの狛犬一対になります。
 全体の装飾具合から昭和生まれの狛犬だろうとおもうのですが。

社殿

 切妻造瓦葺平入の拝殿を有する社殿になります。

 岡崎エリアではよく見る社殿様式ですね。

境内社

 境内社と称していいのかは少し不安ですが、秋葉山常夜燈とその後ろ側に据えられている祠からたぶん秋葉社になるかとは思います。この常夜燈、もしかしたら町内の別の場所から神明宮の境内に移設sれたものなのかもしれませんね。

参拝を終えて

 社殿の前に生えている巨木・・何の木だったか忘れてしましましたが、中々の枝ぶりで非常に目を引く巨木じゃないでしょうか。

地図で鎮座地を確認

神社名神明宮
鎮座地愛知県岡崎市明大寺町諸神三番地
最寄駅名鉄バス「国立研究所下バス停」徒歩3分
名鉄名古屋本線「東岡崎駅」徒歩8分

ご自宅にお札は祀られていますか?

実家には神棚はあっても、今お住いの所には神棚がない方も多いかと思います。神棚には、日本の氏神である"天照大御神"とご自身がお住いの氏神様のお札を掲げると御神徳が宿るとされています。
賃貸住宅などに住まわれて簡単に神棚を掲げられないという方もお勧めなのが、

南向き、もしくは東向きになる様に、そして目線の高さより上になる様に、棚などの上において頂くとよいかと思います。是非、皆様もご自宅に神棚をご用意いただき、御札を納めてほしいなと思います。

神社誌作成プロジェクト

-ヤマトタケル東征伝説, 岡崎市