名古屋市南区

宝珠山安泰寺(名古屋市南区呼続元町)山崎城址

令和四年新企画のお知らせ

新企画「愛知県下新十名所」

 新愛知新聞社が昭和二年(1927年)に「愛知県の新十名所を読者投票で決定する。」というイベントを実施します。愛知県下を狂気の投票合戦へと誘ったこのイベントへの投票総数は驚異の1400万票以上。また、100票以上の投票を集めた名所候補は67カ所にも上ります。2022年、当サイトではこの67ヵ所の名所を巡り紹介していこうと思います。

ONE POINT

織田信長の筆頭家老だった佐久間信盛が桶狭間の戦い以降に拝領した山崎城の跡地に鎮座する浄土宗西山禅林寺派の寺院である宝珠山安泰寺の紹介です。現在では境内の西側を名鉄名古屋本線の敷設の際に切通しが行われた為地形が当時とは変わっていますが、それでもこの辺りでは一番標高が高く城郭だった時代の雰囲気を感じる事ができると思います。

寺院紹介

寺院概要

寺院名宝珠山安泰寺
所在地愛知県名古屋市南区呼続元町十六番地二十二(Googlemap
創 建大永元年(1521年)
宗 派浄土宗西山禅林寺派
御本尊阿弥陀如来

霊 場

霊 場蓬ヶ島八十八ヶ所:四十七番札所
前札所霊 場次札所

文化財

国 宝
国指定
県指定
市指定
町指定
村指定

参拝情報

御朱印
URL
駐車場
参拝日2022年4月10日

御由緒

 安泰寺の境内地は戦国時代に「山崎城」が築かれていた場所だといいます。

山崎城とは?

 築城年代は不詳ですが、蔵人浄盤という人物が城主として入城していたと伝わる。その後、織田信長の小姓であった加藤弥三郎が城主となるが、永禄三年(1560年)の桶狭間の戦いで戦死したという。そして、山崎城は家老格である「佐久間信盛に与えられた。が、天正八年(1580年)19箇条の折檻状によって信盛は織田家臣団から追放され、この時山崎常は廃城になったという。

 山崎城が廃城となり、その城跡に桜の地にあった「宝珠庵」が山崎城跡に移り、宝珠山安泰寺となったという。

御朱印帳の保管に

 数年前より非常に集める方が増えた「御朱印」ですが、皆様は御朱印帳はどうやって保管していますか?神社・仏閣を廻って御朱印を受けているとあっという間に御朱印帳の冊数が増えていきますが、そのまま棚などに置いている方が多いのでは?。せっかくお受けした御朱印ですので、日本では古くから着物を始めとして大切なものを保管する為に使われていた「桐箱」に入れて保管した方がよろしいかと思います。

 ぜひ、皆様も桐箱に御朱印帳を保管されてみたらいかがですか?

参拝記

 イオン新瑞橋の西側、名鉄名古屋本線沿いの小高い丘となっている部分に今回参拝する「宝珠山安泰寺」の境内があります。周辺の地形からみてもこの辺りに城郭がいかにも存在していたという雰囲気を醸し出している感じです。

山門

 袖壁のある薬医門の山門になります。

寺号標

 皇紀二千六百年記念で建立された山号も併せて彫られた寺号標になります。

本堂

 寄棟瓦葺平入のコンクリート造りの向拝、高覧のある濡れ縁のある本堂になります。

境内周辺

 安泰寺の境内からはこんな感じで名鉄名古屋本線の線路を見下ろす事が出来ます。

参拝を終えて

 名古屋市ではこんな歴史散策に役立つ道標がいたるところに設けられています。ここ安泰寺の道標では次の目的地は熊野三社と書かれています。こちらの熊野三社と安泰寺の間に現在では名鉄の線路が敷設されているのですが、元々は熊野三社は山崎城が健在だった時に時の城主佐久間信盛によって勧請されたそうで、非常に関係深い間柄なんだとか。


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所在地を地図で確認

寺院名宝珠山安泰寺
所在地愛知県名古屋市南区呼続元町十六番地二十二(Googlemap
最寄駅鉄道:名古屋鉄道・名古屋本線「呼続駅」徒歩3分
バス:名古屋市営バス・南循回「宮崎通バス停」徒歩5分

寺院・霊場巡りの際のバイブルに

 元々、当サイトは神社巡りを通じて、皆様の住んでいる所にある"村の鎮守の神様"と呼ばれる神社を紹介してくサイトを目指していたんです。むしろ寺院については、縁遠いものとおもっていたんですよね。しかし、ちょっとした御縁で弘法大師霊場に出会い、そして愛知県では一番活動が盛んな"知多四国霊場"を巡礼、結願する事になりました。でも、神社の事はある程度知識があっても、寺院については未知の世界だったので、少しでも巡礼の時に役に立てばと思い、こちらの本を読ませて頂いております。

少しでも巡礼の時にお役に立てる事もあるかと思います。是非一度読んでみてくださいませ。

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