寺院情報
寺院名 | 天林山泉増院 |
所在地 | 名古屋市南区笠寺町上新町七十六番地 |
御本尊 | 大日如来 |
宗 派 | 真言宗智山派 |
創 建 | 不詳 |
札 所 | 大名古屋八十八 四十四番札所 |
御朱印 | 〇 |
H P | ー |
参拝日:2020年2月5日
由緒・沿革
前回紹介した「天林山西方院/紹介記事」と同じく元々は「天林山笠覆寺(笠寺観音)/紹介記事」の塔頭の一坊でした。明治時代になり塔頭であった各坊が独立し、山号は笠寺観音と一にしながらも、泉増坊から「泉増院」と改称し寺号を得て、現在では大須にある「北野山寶生院/紹介記事」(大須観音)の末寺となっているようです。(今でも本寺末寺の制度って残っているのかな?)
天林山笠覆寺の塔頭六坊一覧
1 | 天林山西方院 | 名古屋市南区笠寺町上新町八十一番地 |
2 | 天林山東光院 | 名古屋市南区笠寺町上新町四十七番地 |
3 | 天林山泉増院 | 名古屋市南区笠寺町上新町七十六番地 |
4 | 慈雲院 | (廃寺) |
5 | 天林山西福院 | 名古屋市南区笠寺町上新町二十二番地 |
6 | 寶壽院 | (廃寺) |
笠覆寺の境内ある「西福院」以外の三ヶ寺はそれぞれ「大名古屋八十八ヶ所」の札所に選ばれています。そのおかげで笠覆寺周囲を少し歩くだけで四ヶ所の札所を納経することができます。
泉増院には笠覆寺建立の切っ掛けとなった「玉照姫」像が秘仏として奉安されています。なぜに泉増院に玉照姫像が奉安されているのか?
泉増院がまだ笠覆寺の塔頭「泉増坊」だった時代、第七世「実道上人」は玉照姫から「私(玉照姫)の木像を造り奉安してください。」と告げられる霊夢を見て、これはお告げだと感じ、早速上人は玉照姫の木像を作らせたといいます。この玉照姫像は、笠覆寺内の鎮守社である「白山社」の隣に御堂を建て奉安したと言います。時代は流れ明治十五年、玉照姫像は泉増院に移され、現在は秘仏として玉照堂にて奉安されています。
名古屋二十一大師霊場を行くー寄り道遍ー
天林山西方院の納経を終え、旧東海道を東に進み、笠覆寺の山門前まで行くと、笠覆寺とは東海道を挟んで反対側に建っている「天林山泉増院」を目指します。西方院と同じく笠覆寺塔頭だったのですが、独立した寺院になります。そして、西方院と同じく大名古屋八十八ヶ所の札所にも選定されている寺院です。
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参拝記
右手に泉増院、左手に木々の葉っぱで隠れていますが笠覆寺の仁王門が建っています。車で訪れ、笠覆寺の駐車場に駐車して参拝していまうと、中々こちら迄歩くことがないかもしれませんが、境内をぐるっと回って頂いたいて泉増院を参拝してみてください。
境内入口
山門の手前に設置された朱色に塗られた鉄製の提灯を掲げる為の門(これなんていうんですかね。)が非常に目立つ境内入口になります。
「当山安置笠寺由緒玉照姫」と彫られた石柱になります。
笠覆寺建立の切っ掛けとなった藤原兼平と玉照姫の物語がどれだけ知られているのかは不明ですが、笠覆寺(笠寺観音)に参拝した折には、境内に建つ「玉照堂」と合わせて泉増院を参拝したい所ですね。
山門
袖壁のある薬医門の山門になります。
山門を潜り正面に見えるのは?
生まれ歳守の本尊
生まれた年の干支に応じて守本尊が決まるそうなんです。
年生まれは千手観音、
丑、寅年生まれは虚空蔵菩薩
卯年生まれは文殊菩薩
辰、巳年生まれは普賢菩薩
午年生まれは勢至菩薩
申、未年生まれは大日如来
酉年生まれは不動明王
犬、猪生まれは阿弥陀如来
寺院を巡拝していると、守本尊が奉安されていて、干支に応じて参拝してくださいと書かれている寺院が結構多くある事に気付かされました。寺院を巡り始めるまで正直気にした事がない守り本尊なのですが、出来る限り見かけた時は参拝するように気を付ける様になりました。
本堂
切妻造瓦葺平入の本堂になります。中央に本尊である「大日如来像」が奉安されている事から本堂としていますが、どう見ても、本堂という雰囲気が感じられず、縁側が設けられた庫裏の建物の一部に本尊を安置し本堂とした「方丈」と言った方がいいかもしれませんね。
玉照殿
切妻造瓦葺妻入の唐屋根の向拝が設けられている照玉姫像が奉安している御堂(玉照堂)になります。ぜひとも、笠寺観音に参拝された折にはこちら玉照堂を参拝して下さい。
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地図で鎮座地を確認
寺院名 | 天林山泉増院 |
所在地 | 名古屋市南区笠寺町上新町七十六番地 |
最寄駅 | 名古屋鉄道名鉄本線「本笠寺駅」徒歩5分 |
次の目的地は?
泉増院から旧東海道を外れ南に少し進んだ場所にある笠覆寺塔頭の一坊だった「天林山東光院/参拝記事」を参拝します。こちらの寺院は宮本武蔵所縁の品が所蔵されている事でも有名です。