神社紹介
神社名 | 荒神神社 |
鎮座地 | 愛知県岡崎市東蔵前町字荒神十四番地 |
御祭神 | 興津彦命、天照大御神 |
旧社格 | 村社 |
創 建 | 不詳 |
神名帳 | ー |
境内社 | ー |
例祭日 | 十月十日 |
御朱印 | ー |
H P | ー |
参拝日:2020年月日
御由緒
特に西日本で信仰されていたという台所の神(竈神)として祀られてきた「荒神」を祭神しとしてきた神社になります。簡単に言えば、神信仰は、特に家の中心は台所であり、その中でも特に煮炊きをする竈が火を扱う事もあり、非常に大切な場所であるという信仰になります。その為、明治政府による神仏分離政策の中で、荒神は火の神「加具土命」または竈神とされる「奥津彦命」、「奥津姫命」などに祭神を変えている所が非常に多いです。
ここ東蔵前町に鎮座する荒神神社の創建は不明ですが、松平信光が岩津城を築城する以前から岩”津”という地名からも分かる様に矢作川を使った水運で非常に重要な場所であり、それゆえに非常に栄えていた地域であると思われます、栄えているという事はそれだけ家屋が多く、もしかしたら火事が頻繁に起こっていた為、火伏の願いを込めて荒神を勧請したのではないかと想像しています。
祭神である「興津彦命」について、まとめた記事を書いていますので参照してみて下さい。
明治時代の岩津周辺の地図になります。この当時でも矢作川、青木川の合流地点周辺は田園が広がっており、堤防などの治水技術が発達していない頃では、少しの雨で浸水していたであろう場所なんですが、荒神神社周辺は高台になっている事が等高線の感じで見て取れます。青木川の氾濫で遷座したという事ですので、元々の境内地は青木川に近い田園近くだったであろうことは想像に難くないですね。
創建は明らかでない。寛政八年(1796年)青木川増水により堤切れ社殿を流す。その後、難をおそれ住民と共に今の所に社地を設け、文化九年(1812年)九月、社殿を再建する。荒神神社大神宮を改称し、明治九年十二月十八日、村社列格した。昭和五十二年、幣殿を造営する。
愛知県神社庁発刊「愛知県神社名鑑」より
参拝記
以前当サイトで紹介した「酒井広親石塔/紹介記事」がある場所から少し南側に鎮座している神社になります。酒井広親石塔と同様に岩津の集落の中に鎮座しているので周囲の道路は非常に狭いので車で参拝される場合は運転に気を付けてください。
境内入口
荒神神社の境内向かって右手側には愛知県立岩津高等学校の敷地(職員用駐車場?)になっています。その為、境内には木々が少しあるくらいで、明るい境内になっています。
大正四年建立の社号標、大正八年建立の明神鳥居が据えられている境内入口になります。その奥には、まるで基壇が設けられた様な境内の感じになっています。
手水舎・水盤
井戸の枠?と水盤になります。この井戸はまだ現役なのかな?
社殿
切妻造瓦葺平入の拝殿を有する社殿になります。本殿は覆殿の中に鎮座している様です。
瓦を見てると、なにやら三つ葉葵の紋が彫られた丸瓦がありました。由緒を見る限りでは松平氏や松平氏とはあまり関係があるとは思えなかったのですが、何か関係があるのですかね。
地図で鎮座地を確認
神社名 | 荒神神社 |
鎮座地 | 愛知県岡崎市東蔵前町字荒神十四番地 |
最寄駅 | 名鉄バス「岩津バス停」徒歩4分 |
ご自宅にお札は祀られていますか?
実家には神棚はあっても、今お住いの所には神棚がない方も多いかと思います。神棚には、日本の氏神である"天照大御神"とご自身がお住いの氏神様のお札を掲げると御神徳が宿るとされています。
賃貸住宅などに住まわれて簡単に神棚を掲げられないという方もお勧めなのが、
南向き、もしくは東向きになる様に、そして目線の高さより上になる様に、棚などの上において頂くとよいかと思います。是非、皆様もご自宅に神棚をご用意いただき、御札を納めてほしいなと思います。