ONE POINT
西春日井郡豊山町の県営名古屋空港からほど近い場所に鎮座し、延喜式内社の論社である八所神社の紹介です。明治時代に現在の社名に改称していますがそれ以前は物部氏の祖を御祭神とする事から「物部神社」と称していました。
神社情報
神社名 | 八所神社 |
鎮座地 | 愛知県西春日井郡豊山町豊場木戸七十一番地一(Googlemap) |
例大祭 | 十月十日 |
創 建 | 和銅二年(709年) |
御祭神 | 宇麻志麻治命 |
旧社格 | 指定村社 |
神名帳 | 延喜式神名帳:尾張国春日井郡 物部神社 尾張国神名帳:春日井郡従三位 物部神社 |
境内社
境内社 | 白山社(御祭神:菊理媛命) 冨士社(御祭神:木花咲哉姫命) 多度社(御祭神:一目蓮神) 稲荷社(御祭神:倉稲魂命) 御田社(御祭神:菊理媛命) 愛宕社(御祭神:加具土命) 須佐之男社(御祭神:須佐之男命) 八幡社(御祭神:誉田別尊) 源太夫社(御祭神:乎止興命) 神明社(御祭神:天照大御神) 御嶽社(御祭神:御嶽大神) 秋葉社(御祭神:加具土命) 熊野社(御祭神:伊弉諾尊) 天道社(御祭神:大日孁命) 八幡社(御祭神:誉田別尊) 諏訪社(御祭神:建御名方命) |
文化財
国 宝 | ー |
国指定 | ー |
県指定 | ー |
市指定 町指定 村指定 | 狛犬、木遣、神楽 |
参拝情報
御朱印 | 不明 |
URL | ー |
駐車場 | ー |
参拝日 | 2022年3月2日 |
御由緒
創建は都を平城京に遷都する直前の和銅二年(709年)であると伝承される古社になります。元来の社名は「物部神社」と称していたが明治時代になり社名を八所神社に改称した。
なぜ八所神社に改称したのか
「八所神社」の社名から御祭神が八柱祀られているのだろうと思うのですが、愛知県神社名鑑や社頭の由緒書きでは御祭神は物部氏の祖とする「宇麻志麻治命」の一柱しか記されていません。
そこで、大正十二年に出版された「愛知県西春日井郡志」で八所神社の事を調べてみると宇麻志麻遅命、高御産巣日神、神産巣日神、豊受姫神、月読神、天之常立神、大物主神、八剱神の八柱が御祭神であると記しています。
物部神社創建時に熱田神宮別宮である八劔社より八劔神を勧請したという記録が残っており、しっかりと八柱の御祭神の中にその名を連ねています。
- 延喜元年(905年)、延喜式神名帳に「尾張国春日部郡 物部神社」と記載。
春日部郡物部神社については他にも論者があり、春日井市二子町に鎮座する白山神社が合祀した二子山古墳の墳丘上に鎮座していた物部神社になります。
- 時期不詳、尾張国神名帳に「春日部郡従三位 物部天神」と記載。
時代が下り戦国時代になり
- 織田信長が社領として八町六反歩を寄進
- 豊臣秀吉が太閤検地を行い社領没収
- 松平忠吉が社領として二十石を寄進
- 伊奈忠次が検地をおこない社領を没収
- 石黒善九郎、豊島作左衛門が田二反歩を寄進
江戸時代末期に書かれた「尾張名所図会」にも八所神社(改称前の物部神社として記載)が挿絵付で書かれていました。
和銅二年(709年)創建で、元は物部神社と称したが、明治維新の際八所神社に改称せらる。創立の際熱田八剣社を勧請し祀った記録がある。永禄三年(1560年)、織田信長社領田八町六反歩を寄進したが、天正年間豊臣秀吉没収せらる。更に清州城主松平薩摩守に願って、その家老小笠原忠重年々二十石の修繕料を寄進するも、慶長年中(1596年)伊奈備前守検地の時、社領取上げとなる。石黒善九郎、豊島作左ヱ門より田二反歩を献進し、永年除地となる。元和年中(1615-23年)尾州候源敬公が鷹狩りの節、神官松浦半太夫御茶を差上ぐと。享保十八年(1733年)九月宣揚院心願あり、丸の内剱葵灯燈を供えると。「尾張名所図会」に延喜式神名帳に物部神社、「本国帳」に従三位物部天神とあるはこの社なり。明治五年、村社に列格する。同四十年十月二十六日、神饌幣帛料供進指定社となる。
愛知県神社庁発刊「愛知県神社名鑑」
御祭神
- 宇麻志麻治命
八所神社は元の社名が「物部神社」であることから想像できるかと思いますが、主祭神は物部氏の祖である「宇麻志麻治命」となっています。由緒の所でも述べていますが、”八所”神社の社名が示す様に戦前?は御祭神が八柱祀られていると西春日井郡誌に書かれています。
- 高御産巣日神
- 神産巣日神
- 豊受姫神
- 月読神
- 天之常立神
- 大物主神
- 八剱神
創建時に八劔神を勧請したという史料もあるので、創建時から祭神の一柱として祀られていたのではないかと思われます。残りの六柱は物部神社が創建された時に祀られたのか、長い歴史の中で勧請されていったのか不明の様です。
御朱印帳の保管に
数年前より非常に集める方が増えた「御朱印」ですが、皆様は御朱印帳はどうやって保管していますか?神社・仏閣を廻って御朱印を受けているとあっという間に御朱印帳の冊数が増えていきますが、そのまま棚などに置いている方が多いのでは?。せっかくお受けした御朱印ですので、日本では古くから着物を始めとして大切なものを保管する為に使われていた「桐箱」に入れて保管した方がよろしいかと思います。
ぜひ、皆様も桐箱に御朱印帳を保管されてみたらいかがですか?
参拝記
県道62号線の「豊山交番前交差点」を北に進んでいくと突き当り八所神社の境内が見えてきます。八所神社の駐車場については、見当たらなかったので車で参拝される方は注意が必要かと思います。
境内入口
思いっきり前面道路に飛び出てしまっている神明鳥居と境内を囲む瑞垣、社号標、幟掲揚ポール、石灯籠一対、石柱(注連縄柱)が据えられている境内入口になります。
鳥居の根元に車止めを据えないといつか車が衝突して鳥居が破損してしまいかねないと心配してしまいます。
社号標
建立年月は調べ忘れてしまいましたが、旧社格が彫られていない社号標です。
石柱門
石柱門というより、戦前ここには夜間にとじられる門扉が付けられていたその門柱の様な気がその造りから感じます。
手水舎・水盤
木造瓦葺四本柱タイプの手水舎になります。各柱には明確に転びが設けられているのが特徴かと思います。
水盤への給水口には亀と鶴を刻んだ石像が設けられています。両サイドに石像が据えられているのは珍しいかな。
蕃塀
尾張国鎮座の神社様式の特徴の一つ、拝殿前の正中に据えられた石造の「蕃塀」です。
蕃塀奥の左右に見切れているのがもう一つの尾張国鎮座の神社の特徴のひとつ「蝋燭台」になります。
狛犬
拝殿前に据えられている阿吽両方とも玉乗りとなっている狛犬一対になります。
社殿
切妻造瓦葺妻入りの開放型拝殿、祭文殿、本殿と直線的に並んで建てられている尾張型の社殿になります。拝殿周りは特徴的な石造の瑞垣が囲んでいます。
ここ八所神社の拝殿には彫刻が施されており、非常に重厚な印象を受けます。
基壇上に祭文殿と瑞垣で囲んだ中央に本殿が鎮座している本殿構造群になります。
尾張造の祭文殿は神社毎にその構造が千差万別となっているのが特徴かと思います。ここ八所神社の祭文殿は祭祀の際に参列社の方達が並ぶ場所となっている様です。
境内社
社殿向かって左手に基壇上に鎮座する境内社になります。明治以降に豊場各地に鎮座していた神社や社を合祀していくのですが、こちらに鎮座する境内社はそれ以前から八所神社の境内に鎮座していた境内社になるそうです。
社殿の向かって右手に鎮座するこちらの鞘堂に鎮座する境内社が明治以降に豊場地内に鎮座していた神社や社を合祀遷座したものになります。
社殿と先に紹介した境内社の鞘堂の間には、様々な神霊板が据えられている特徴的な御嶽教が設けられています。
鎮座地を神社で確認
神社名 | 八所神社 |
鎮座地 | 愛知県西春日井郡豊山町豊場木戸七十一番地一(Googlemap) |
最寄駅 | 電車: バス:とよたまタウンバス「豊山町商工会バス停」徒歩4分 |
ご自宅にお札は祀られていますか?
実家には神棚はあっても、今お住いの所には神棚がない方も多いかと思います。神棚には、日本の氏神である"天照大御神"とご自身がお住いの氏神様のお札を掲げると御神徳が宿るとされています。
賃貸住宅などに住まわれて簡単に神棚を掲げられないという方もお勧めなのが、
南向き、もしくは東向きになる様に、そして目線の高さより上になる様に、棚などの上において頂くとよいかと思います。是非、皆様もご自宅に神棚をご用意いただき、御札を納めてほしいなと思います。