龍華山 弥勒寺(美浜町北方) 知多新四国霊場 二十六番札所

寺院情報

寺院名 龍華山 弥勒寺
所在地 愛知県知多郡美浜町北方字西側十六番地
御本尊 弥勒菩薩
宗 派 曹洞宗
創 建 慶長元年(1596年)
札 所 知多四国霊場 二十六番札所
南知多観音霊場 二番札所
御朱印
H P

参拝日:2018年5月30日

知多新四国霊場公式ホームページのご紹介


知多四国公式サイト | 愛知県知多半島にある知多四国八十八ヶ所霊場の公式サイトです。

沿革・由緒

慶長元年(1596年)友林光益和尚の開創で宝暦三年(1753年)、火災にかかり堂宇の多くが灰燼に帰した。八世祖春和尚により再建された。明治四十年本堂、昭和三年に弘法堂が再建される。

「知多四国めぐり」より

知多四国霊場を行く

時志観音こと知多四国霊場番外札所「慈雲山 影現寺」を後に、二十六番札所「龍華山 弥勒寺」を目指します。

慈雲山 影現寺(美浜町) 知多新四国霊場 番外札所
寺院情報 寺院名 慈雲山 影現寺 所在地 愛知県知多郡美浜町大字時志字南平井八十六番地 御本尊 釈迦牟尼仏 宗 派 曹洞宗 創 建 永正元年(1504年) 札 所...

三河湾に沿うように走る国道247号線を南下していき、名鉄河和線始発駅である河和駅に向かって右カーブする手前の路地を入っていきます。

案内看板も出ているのですが、それよりも国道左手の建物「戸塚ヨットスクール」を目印にして頂き、建物の前の交差点を右折していただくと間違いないかと思います。(2018年11月に建物の前を通った時、足場がかけられていたので、なんらかの工事が行われている様ですので、外観が多少変わるかもしれません。)

参拝記

名鉄河和線の終着駅?始発駅?の河和駅から非常に近い場所に弥勒寺は鎮座しているので、電車で参拝の場合非常にアクセスが良好な寺院なんじゃないでしょうか。

この河和駅周辺については、この後も何度も巡礼の為、走り抜けていく場所になります。河和から南に走れば南知多(師崎、豊丘、内海)方面、西に走れば野間方面。通い慣れた道の様になってきてましたね。

境内入口

弥勒寺の周囲は、石垣に土壁が設けられて、現世とは遮断された境内な感じを醸し出しています。
境内と道路を挟んで反対側に

三河四国霊場の札所案内の石柱が立っています。さらに次の二十七番札所への道標にもなっていますね。

山門

袖壁が設けられた薬医門の山門になります。
さらに山門を特徴付けるものとして、屋根に鯱が鎮座しています。
元々は寺院で使用されていた鯱がいつの時代から城郭建築で使用されるようになり、鯱=お城の天守閣というイメージが非常に強いのでは。実際、鯱が使用されている寺院の建物はあまり見かけないのですが、この日は「慈雲山 影現寺」の弘法堂に続いて二件目の鯱との出会いです。

鬼瓦と鯱。
一般住宅に今でも鯱が使用されているそうなんですが・・・見た事・・・ないなあ。

本堂

本尊である弥勒菩薩が安置されている寄棟造瓦葺平入の向拝が設けられた本堂になります。
明治四十年に建てられた本堂なのでしょうか。修繕が行われているので、築110年とは見えないですね。

弘法堂

入母屋造瓦葺妻入り、唐破風がもうけられた向拝のある弘法堂になります。昭和三年の再建。

知多四国霊場の道標には必ず卍マークが彫られています。
巡礼をしていると、卍=大師霊場というのが刷り込まれてしまった感があります。

「南無大師遍照金剛」「南無大師遍照金剛」「南無大師遍照金剛」・・・

御朱印

参拝を終えて

弥勒寺の脇には、「十二神社」が鎮座しています。
創建は弥勒寺より古く、文明二年(1470年)になるそうです。河和城主戸田氏の氏神が祀られているそうです。

応仁の乱で勢力が衰退した一色氏に替わり、渥美半島から進出していた戸田氏が築いたのが河和城になります。三代目になる守光は、水野氏の娘の嫁に迎えるなど、支配基盤を強化しています。その後、尾張勢として織田信雄の配下として小田原城攻めに参加しています。しかし、詳細は不明なんですが、戸田守光が討ち死にしてしまい、その知らせが伝えられた河和城下の民衆は河和城を破却してしまいます。その後、守光の遺児が家康に仕え、河和に領地を与えられ、尾張徳川氏の藩士として代々仕えていく事になります。

さて、ここで戸田氏と一色氏が出てきました。一色氏は以前、当ブログでも一色地発祥の地を紹介していますが、応仁の乱までは三河湾、伊勢湾を抑える有力御家人でした。

一色氏発祥之地(西尾市一色町一色中屋敷:安休寺)
一色氏発祥之地概要 地図では「安休寺」を示していますが、安休寺の塀のすぐ外側に一色発祥の地の石碑が据えられています。史跡名一色地発祥の地所在地愛知県西尾市一色町一色中屋敷二番地 安休寺境外最寄駅名鉄東部バス...

勢力が衰退し始めて、知多半島の守護職を失った後、渥美半島から戸田氏が進出してきたという感じでしょうか。この戸田氏、犬飼湊を紹介した時に出てきています。

犬飼港(蒲郡市竹谷町犬飼港)
犬飼湊とは? 竹谷城の目の前に広がっていた犬飼港。 松平郷、岩津から進出してきた松平氏としては、是が非でも抑えたかったのが湊なんだと思います。時代は下り、武田氏が今川氏を裏切ってまで駿府に進出したのも、海があったからだと言われて...

渥美半島から知多半島に進出した分家に対し、田原城を治めていた本家筋は、竹千代(後の徳川家康)を織田家に送り付けることにより今川氏に敵対した為、今川義元に攻め滅ぼされています。しかし、それ以前に知多半島に進出していたことにより、戸田氏断絶は防げたと。この辺りも歴史のおもしろさですねえ。

次の目的地は

二十六番札所「龍華山 弥勒寺」を後にして、次は二十七番札所「天竜山 誓海寺」、開山所「天竜山 禅林堂」を目指します。

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