ONE POINT
奈良時代の養老二年に近江国の日吉社から勧請創建されたという古社になります。本山である日吉社と同様に明治時代までは山王社と称していた様です。
神社情報
神社名 | 日吉神社 |
鎮座地 | 愛知県西春日井郡豊山町青山北浦一二五〇番地(Googlemap) |
例大祭 | 十月十日 |
創 建 | 養老二年(718年) |
御祭神 | 大己貴命 |
旧社格 | 指定村社 |
神名帳 | ー |
境内社
境内社 | 神明社(御祭神:天照大御神) 八幡社(御祭神:応神天皇) 天神社(御祭神:少彦名命) 愛宕社(御祭神:加具土命) 金刀比羅社(御祭神:金山彦命) 見宮社(御祭神:天御中主神) |
文化財
国 宝 | ー |
国指定 | ー |
県指定 | ー |
市指定 町指定 村指定 | ー |
参拝情報
御朱印 | ー |
URL | ー |
駐車場 | ー |
参拝日 | 2022年3月2日 |
御由緒
社伝によると奈良時代の養老二年(718年)に近江国の日吉山王より勧請創建されたとしています。
日吉山王とは?
伝承では第十代崇神天皇七年に現在の地に日枝山(現:比叡山)の山頂から現在の境内地に遷座創建されたと伝えられる。この頃の御祭神は大山咋神。
古事記に「大山咋神、亦の名を山末之大主神。此の神は近淡海国の日枝の山に坐し。」と記されている。
天智天皇七年(668年)に大津京遷座に際し、都守護の為に大神神社御祭神を勧請した。大神神社の御祭神は大物主神なのですが、大物主神は大己貴神の別称「大国主神」の和魂であると日本書紀に書かれている事から同じ神として大己貴神を勧請した。この時に、大己貴命が上位とした。
最澄が延暦七年(788年)に延暦寺を建立した際に比叡山の地主神を祀る日吉社を守護神とし、延暦十三年(794年)に平安京遷都の際に日吉社は都の鬼門の方角に鎮座していることから鬼門除け・災難除けとして崇敬されたという。
平安時代を通じて延暦寺の勢力が伸びると、日吉社も神仏習合され、天台宗の影響を受ける様になっていく。御祭神は神仏習合神である「山王権現」とし、天台宗の広まりに応じて山王信仰も全国に広がっていくことになる。
明治時代までは社名は「山王社」と称しており、御祭神も「大山権現」を祀っていたはずですが、神仏分離令によって本山となる日吉大社と同様に日吉神社と社名を改称し御祭神を大己貴命とした。
社伝に養老二年(718年)九月二日、社家河村長十郎定知が江州日吉山王を勧請し祀る。山王社と称したが、明治制度改めにより日吉神社と改称、村社に列格する。明治四十年十月二十六日、神饌幣帛料供進指定社となる。昭和二年四月十三日、社務所建て替えた。
愛知県神社庁発刊「愛知県神社名鑑」
御祭神
- 大己貴命
御朱印帳の保管に
数年前より非常に集める方が増えた「御朱印」ですが、皆様は御朱印帳はどうやって保管していますか?神社・仏閣を廻って御朱印を受けているとあっという間に御朱印帳の冊数が増えていきますが、そのまま棚などに置いている方が多いのでは?。せっかくお受けした御朱印ですので、日本では古くから着物を始めとして大切なものを保管する為に使われていた「桐箱」に入れて保管した方がよろしいかと思います。
ぜひ、皆様も桐箱に御朱印帳を保管されてみたらいかがですか?
参拝記
国道41号線「青山交差点」の辻部分といってもいいくらいの場所に今回紹介する日吉神社の参道入口があります。場所的にここは歩き専用の参道となっているので国道41号線の歩道さらに歩道橋があって信号で停車しないと中々気が付かない感じなのかなと思われます。車やバイクで向かう場合はこの青山交差点から西にむかっていくと道沿に境内が見えてくるのですが、駐車場が見当たらなかったので、注意してください。
参道入口
国道41号線に面した日吉神社の参道入口になります。石灯籠、石造神明鳥居とたぶん石柱門が据えられています。石灯籠の感覚が非常に狭いことから、国道41号線の敷設の際に参道の一部が収用され、灯篭などが移設されたのだろうと思われます。
参道側から国道41号線を見ると、名古屋空港から近い事をしめす飛行機のデザインが施された歩道橋、そしてその上部には名古屋高速小牧線が架けられて、奈良時代からこの地に鎮座する日吉神社と現代の構造物群の交わりを楽しむことができます。
境内入口
参道を進んでいくと、細い市道が横切り、その先が社号標と神明鳥居の二の鳥居が据えられた境内入口なるのですが、なんとなく市道が横切っているから意匠が変わっただけで参道がまだ伸びている感じがします。
河村先生頌徳碑
江戸時代から昭和初期の河村千萬太郎という方の頌徳碑になります。西春日井郡青山尋常小学校の校長兼教員、豊山村となってからは豊山尋常高等小学校の教員をされていた方で大正になってから日吉神社と兼務社九社の宮司をされていたようです。
養老二年に日吉社を勧請した社家河村長十郎定知の一族になるのかな。
神門?と秋葉社
二の鳥居を潜り社殿方面に進むと、砂利敷きの参道が続きその先に支柱が設けられた棟門の様な造りの神門?が設けられています。参道の途中にこうした門が設けられている神社の殆どは例祭の時の提灯を吊る「提灯門」となっているのですが、ここ日吉神社の門の造りを見ると提灯門というよりやはり神門といった雰囲気かなと思います。
そして、参道と並行するように妻入り開放型の拝殿を有する社は境内社である秋葉社になります。参道まで別で設けられているなど火伏の神として崇敬を集めている神社の様です。
御嶽社
秋葉社の社の裏手側には盛土がされて様々な石造や石碑が置かれている御嶽社があります。尾張地方は御嶽信仰が盛んな地域になるようですね。
社殿構造物群
尾張地方の神社建築様式を詰め込んだ様な社殿になります。
当サイトが考える尾張地方神社様式とは?
- 尾張造の社殿(開放型妻入拝殿、祭文殿、本殿が一列に建つ建築様式)
- 蕃塀
- 蝋燭台
愛知県を三河地方と共に構成する尾張地方ですが、この尾張地方に鎮座する神社の建築様式は非常に独特なものとなっています。特に上記3点をすべて網羅した社殿は尾張地方にのみ鎮座していると断言しても過言じゃないと思います。
蕃塀
木造銅板葺きの前後に支柱が設けられた蕃塀です。基礎部分がコンクリートだったりアンカーボルトが施されているなど造りをみると結構新しい蕃塀の様です。その蕃塀の裏側には・・・
蝋燭台
正中部分に据えらえた石造の蝋燭台になります。
狛犬
拝殿前に据えられた子乗り玉乗りの狛犬一対になります。子供を背負っている狛犬はあまり見かけないタイプですね。
切妻瓦葺妻入りの元開放型の拝殿(現在は細かい格子のガラス戸がはめられています。)を有する尾張造の社殿になります。
祭文殿と本殿は基壇上に設けられていて、本殿脇に境内社が並んで鎮座しています。この境内社の詳細は西春日井郡誌に載っていたので神社詳細の所に紹介していますが、現在でも同じ境内社が鎮座しているのかは現地では確認できなかったので不明です。
鎮座地を神社で確認
神社名 | 日吉神社 |
鎮座地 | 愛知県西春日井郡豊山町青山北浦一二五〇番地(Googlemap) |
最寄駅 | 電車: バス:とよやまタウンバス「日吉神社バス停」徒歩1分 |
ご自宅にお札は祀られていますか?
実家には神棚はあっても、今お住いの所には神棚がない方も多いかと思います。神棚には、日本の氏神である"天照大御神"とご自身がお住いの氏神様のお札を掲げると御神徳が宿るとされています。
賃貸住宅などに住まわれて簡単に神棚を掲げられないという方もお勧めなのが、
南向き、もしくは東向きになる様に、そして目線の高さより上になる様に、棚などの上において頂くとよいかと思います。是非、皆様もご自宅に神棚をご用意いただき、御札を納めてほしいなと思います。