寺院情報
寺院名 | 萬松山 龍台院 |
所在地 | 愛知県半田市前崎東町三十五番地 |
御本尊 | 十一面観世音菩薩 |
宗 派 | 曹洞宗 |
創 建 | 天正元年(1573年) |
札 所 | 知多四国霊場 二十番札所 |
御朱印 | 〇 |
H P | - |
参拝日:2018年5月23日
知多新四国霊場公式ホームページのご紹介
http://chita88.jp/
沿革・由緒
天正元年(1573年)、この地の土豪・吉田禎輔が堂宇を建立し、珠嵓大和尚によって開創されます。当時は単に一観音堂にすぎなかったが、慶応元年甘雨為霖和尚によって曹洞宗として開山されお寺も整備された。昭和二十年、道路拡張の為弘法堂が取り壊されてしまっていたが、昭和六十三年の知多四国開創百八十年を記念して再建された。
「知多四国めぐり」より
知多四国霊場を行く
知多四国霊場十九番札所「前明山 光照院」を後に、二十番札所「萬松山 龍台院」を目指します。
県道262号線に戻り、少し北に行くと「本町7丁目交差点」を西に進み、JR武豊線の踏切を通過し、左手にミツカン社長の中埜氏の自宅を見つつ、角に山神社が鎮座している交差点を右折すると龍台院の境内が見えてきます。
境内入口前に参拝者用の駐車場が用意されていますので、参拝しやすい寺院ですね。
参拝記
JR武豊線と名鉄河和線に挟まれているエリアに鎮座する「龍台院」。駅からもほど近い場所に鎮座しているのですが、昔の街並みを所々に残している風情のある場所ですね。
境内入口
龍台院の境内入口には山門は無く、石柱門になっています。
参拝した日は、五月下旬、新緑が雨に洗われて非常に鮮やかになって自分たちを出迎えてくれました。この日参拝した寺院は比較的境内に木々が少ない所が多かったので、特にこの新緑に鮮やかさが目に残っています。
手水舎
境内に入り参道左手に手水社があります。
切妻銅葺四本柱タイプの手水舎になります。
現役の手動ポンプを使って水をくみ上げて手水させて頂きます。なかなか手動ポンプが現役って素敵ですね。今では中々この手動ポンプを触る機会って少なくなりましたね。
本堂
寄棟造瓦葺平入向拝の設けられた本堂になります。
本堂に掲げられた扁額になります。
奥の扁額は「吉祥林」と書かれ、手前の金色の扁額には「善松閣」と書かれていると思うのですが、この二枚の扁額はどういった意味なんでしょうか・・・。
弘法堂・観音堂
本堂向かって左手にあるのが、由緒にもあります様に開創180周年に再建された弘法堂になります。その隣に建つ観音堂も同じ時に建てられたのかは不明です。
弘法堂は銅葺方形屋根に向拝が設けられています。
「南無大師遍照金剛」「南無大師遍照金剛」「南無大師遍照金剛」・・・
ここ龍台院の弘法大師像から伸びる紐は宝塔を経由して本堂前のまで伸びています。ここまで伸びている寺院も他になかった気がします。
解りにくいですが、写真を横切っている紐は弘法堂から伸びてきている紐なんです。
弘法堂の隣に建っている観音堂になります。
柱に知多四国二十番札所の札が掲げられていますね。もしかしたら、この観音堂は以前は弘法堂として使われていた物なのかもしれませんねえ。
今は、十一面観世音菩薩像が安置されています。
・・・あれ?龍台院の本尊は「十一面観世音菩薩」だったはず・・・
ってことは、ここに安置されているのは龍台院の本尊なんでしょうか・・・。ってことはここが本堂?
いや・・、でも本堂と紹介した写真に御本尊の立札が置かれていたんだけどなあ・・・。
知多四国霊場を廻る様になって、様々な寺院の伽藍配置を見る機会が増えてくると、寺院の知識が非常に乏しい自分には、非常にわかりにくい事も増えてきますね・・。
御朱印
参拝を終えて
弘法堂から納経所を望むと、境内に鶴の置物が置かれている事に気付くかと思います。
龍台院の御朱印は鶴の印が特徴的なのですが、この鶴から取った朱印なのかなあ。
龍台院の近くには、童話作家新見南吉がよく通ったと言われている「紺屋街道」が南北に走っています。現在でも、江戸時代を彷彿とされる家屋が建っていたりして風情を感じさせてくれます。新見南吉はこの街道を歩いて半田駅まで行き、仕事先である安城高等女学校まで通っていたんだとか。街道を北上していくと、新見南吉の生家にたどり着くこともできますよ。
紺屋街道とは?
半田市は江戸時代の頃から酒造業で栄えた町としてしられ、半田港には、江戸や難波に向かう千石船が出入りし、半田の酒が運ばれていたそうです。そして、そんな千石船の帆を染める染物屋が古くから半田にあって、染物屋がある場所から半田港に向けてできた街道を紺屋海道と呼ぶそうです。
次の目的地は
二十番札所「萬松山 龍台院」を後にし、二十一番札所「天竜山 常楽寺」を目指します。八ヶ所ある半田市の札所も次で最後となります。