寺院情報
寺院名 | 井田観音堂 |
所在地 | 愛知県岡崎市井田町南七十四番地一 |
御本尊 | 千手観世音立像 |
宗 派 | 浄土宗 |
創 建 | 安永年中(1772~81年) |
札 所 | 岡崎三十六地蔵 二十一番札所 |
御朱印 | ー |
H P | ー |
参拝日:2020年11月18日
沿革・由緒
安永年間(1772-81年)に井田村の「間川政兵衛」により建立された観音堂になります。その後、伊賀昌光寺五世「仰信」の夢想により幡豆郡近寄(現在の西尾市近寄町)の「仏寿山法厳尼寺/紹介記事」の前立像であった千手観世音菩薩像を井田観音堂に移されたといいます。
西尾市近寄町の仏寿山法厳尼寺については、当サイトで既に紹介しています。三河観音霊場三十二番、西条吉良観音二十四番の札所に選ばれている浄土宗鎮西派の寺院になります。元々は荒川城主である荒川氏の家臣「中神氏」の屋敷跡になると言われ、境内には荒川義広と家臣である中神氏の墓石が残されています。
観音堂は井田町字南七十四番地に在り。岩津町九品院の末庵である。
安永年中の創立にして、当町の人「間川政兵衛」の開基である。縁起によれば本尊木造千手観世音立像はもと幡豆郡寄近法厳尼寺本尊観世音菩薩の前立像であったが、伊賀昌光寺五世仰信和上の夢想によりて此地に移したるものであると。
昭和四年発刊「(旧)岡崎市史」第七巻より
霊場をいく
岡崎三十六地蔵二十番札所「補陀羅山観音堂/紹介記事」の参拝を終え、県道56号線(旧国道248号線)を北上していきます。伊賀川を渡るとき左手には国の重要文化財である朱塗りの社殿の「伊賀八幡宮/紹介記事」の境内を望むことができます。そんな伊賀八幡宮を見ながら更に北上していくと、街道が分岐していく追分の様な場所が見えてきてそこになにやら御堂が建っているのが見えてくると思います。この御堂が今回参拝する二十一番札所「井田観音堂」になります。
この記事を書いている時点でスタンプラリーに使うスタンプ台などが設置されているのかは不明ですが、現在でも「おかまいり」の公式サイトが稼働している(H3.4.29現在)ので、まだスタンプラリーは実施されているのかも?。巡ってみたいと思った方は、まだスタンプラリーがやっているかどうかを岡崎市観光協会に問い合わせる事をお勧めします。
古地図をみてると丁度このあたりで三方向に分岐する追分になっていたようです。丁度ここには昭和36年に廃止された岡崎市内線(路面電車)が通っていました。
10/36
浄土宗は赤地に白抜きのスタンプ!
参拝記
名鉄バスの井田観音前バス停の目の前に井田観音堂の境内があります。○○前というバス停をここまでその名を体で表している所も中々ないかなと思います。
一番手前が地蔵堂、その奥に石像の瑞垣内に祠が鎮座、そして一番最後が観音堂となっています。
石造の祠は秋葉社なのかなとは思いますが詳細は不明。
九体の地蔵尊が奉安されています。どの地蔵尊が岡崎三十六地蔵霊場の札所本尊なのかあhこれだけではよくわかりません。
スタンプ台はスタンプ入と支柱がセットになったものが置かれていました。やっぱり台がないとスタンプが押しにくいですな。
雑誌・マンガに加えて旅行雑誌の定番"るるぶ"も月額500円(税抜)で読み放題!
やはり、旅先の情報はネット検索もいいですが、るるぶなどの旅行ガイド雑誌が一番ではないかなと思います。ネット情報はどうしてもディープになりがちで、いざ旅行に行こうと思っても、俯瞰的な情報が不足しがちな気がします。
やっぱり、"るるぶ"を見ながら、旅の予定表を作っていくのも、旅行の醍醐味ですよね。
所在地を地図で確認
寺院名 | 井田観音堂 |
所在地 | 愛知県岡崎市井田町南七十四番地一 |
最寄駅 | 名鉄バス「井田観音前バス停」徒歩すぐ |
寺院・霊場巡りの際のバイブルに
元々、当サイトは神社巡りを通じて、皆様の住んでいる所にある"村の鎮守の神様"と呼ばれる神社を紹介してくサイトを目指していたんです。むしろ寺院については、縁遠いものとおもっていたんですよね。しかし、ちょっとした御縁で弘法大師霊場に出会い、そして愛知県では一番活動が盛んな"知多四国霊場"を巡礼、結願する事になりました。でも、神社の事はある程度知識があっても、寺院については未知の世界だったので、少しでも巡礼の時に役に立てばと思い、こちらの本を読ませて頂いております。
少しでも巡礼の時にお役に立てる事もあるかと思います。是非一度読んでみてくださいませ。