城郭情報
城名 | 安城古城 |
所在地 | 愛知県安城市安城町社口堂 |
築城年 | 不詳 |
築城主 | 不詳 |
城形式 | 平城 |
遺構 | 土塁 |
規模 | 東西三十間、南北四十間 |
備考 | 安城市指定史跡 昭和38年10月1日 |
訪問日:2020年6月23日
沿革・詳細
築城年月は不詳なんですが、一説には志貴荘下條の館跡であると伝えられ平安から鎌倉期までさかのぼる事が出来ると言います。ただ、下條の館がこの地にあったのかどうかは決め手がなく、荘園を管理する館跡であるとしていいのかは議論の余地があるそうです。ただ、館に社口社を祀るのは平安貴族が遣唐使などを通じて学んだ事例であるとも言われ、これが平安期に築かれた物であるとする推定する根拠であるとも言われています。
現地に設置されている案内板によると、鎌倉時代に地頭である安藤氏の居館となり、室町時代になると和田氏の本拠となっていましたが、安祥城を築いたため、廃城となったとする説があると書かれています。また、天文九年(1540年)織田信秀軍が安祥城に攻め込んだ時(安祥合戦)、守勢の松平勢はこの安城古城跡を前線基地としたとも言われています。
歴史探訪
「安祥城/紹介記事」から西に直線距離にして700m程の場所にあったとされるのが「安城古城」になります。伝えられている内容から推測するに、城というより一重の堀と土塁で囲まれた館跡であったと推測できます。
安祥城の西に位置する場所にある事で、尾張国から進出してくる織田信秀軍を迎え撃つ前線基地としては絶好の場所と思います。当然この古城周辺でも松平軍と織田軍が激突したと想像できますし、この古城近くに「堀平十郎宗正之塚」があり、一説にはこの天文九年の戦いで戦死した武将を祀った塚であるとも伝えられいるそうです。
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訪問記
名古屋鉄道西尾線の西側を並走する市道から路地を一本入った所に今回訪問する「安城古城」があります。狭い道を入った場所にあり、車で向かうには非常に不向きな場所になります。この古城跡を訪問する際は、車を邪魔にならない所に駐車して向かうことになるのかなと思うのですが、正直な所、少し離れていますが安祥城址公園に駐車して歩いて向かった方がいいのかなと思います。安祥城址公園から道なりに歩いても1km未満なので十分徒歩圏内ですね。
表通りから一本入っていくと、安祥古城の説明板と共に、最近設置された社口社の鳥居が据えられた「安城古城跡」が見えてきます。この社口社が荘館があった時からこの地に鎮座しているのは不明ですが、こうして鳥居が寄進されるなど今現在でも崇敬を集めている神社であるという事ができますね。
この鎮座している「社口社」というは、中部地方に広く鎮座している事が確認されていますが、では「社口信仰」というものがあるのか?と聞かれると、いまいちその実態がよくわからないといった所が正直なところです。諏訪大社に所縁があるとも言われています。社口という社名も様々な当て字が存在しているとも。まさ祭神ついても、正直神社によってさまざまな神々が祀られていて、社口神の実態がよく解りません。ただ荘館に祀られるようになったという伝承から農耕などの荘園に関連する神が祀られている事はまちがいないのかなと思われます。
古城跡の一番高くなっている所に社口社の祠が鎮座しています。鳥居と共に参道も近年整備されたようで、この地区の産土神となっているのかもしれませんね。
安城市教育委員会による現地説明板です。
地図で所在地を確認
城郭名 | 安城古城 |
所在地 | 愛知県安城市安城町社口堂地内 |
最寄駅 | 名古屋鉄道西尾線「南安城駅」徒歩8分 |