寺院情報
寺院名 | 摩尼山 地蔵寺 |
所在地 | 知多市大草東屋敷四十三番地一号 |
御本尊 | 地蔵菩薩 |
宗 派 | 真言宗智山派 |
創 建 | 文永年中(1264-74年) |
札 所 | 知多四国霊場 七十番札所 |
御朱印 | 〇 |
H P | 〇 |
参拝日:2018年7月25日
摩尼山 地蔵寺公式ホームページのご紹介
http://ookusajizouji.com/
知多新四国霊場公式ホームページのご紹介
http://chita88.jp/
沿革・由緒
創建は文永年中(1264-1274年)良敏上人の開創で、弘法大師作と伝えられる地蔵菩薩を本尊に安置しています。十世秀雄法印の時再興して摩尼山東光院地蔵寺と称するようになりました。
享保年間、現在の常滑市久米の盲女、竹さんがここ地蔵寺に七日七夜参籠した時、満願の日、夢のお告げに「我竹林中の小井戸にある地蔵尊なるが、汝、我を助け出して井戸を改修するならば、汝の盲眼必ず開かん。」と仰せられ、竹さんは霊夢に感動して井戸を探し当て地蔵尊を洗い清め、井戸を改修したところ、盲眼夜明けと共に日光赫々あるを見たといいます。
「井戸から上がった地蔵尊」の由来になります。
「知多四国巡り」より
聖武天皇の天平年間に行基が開基したとも伝えられるが、詳細は定かではない。元々は大日如来像を本尊としていた寺院だったようだが、鎌倉中期に大日如来様の美しさに感銘をうけた良敏上人によって、弘法大作と言われる地蔵尊を本尊とする寺院としてお寺を改修、復興したと言われているそうです。
知多四国霊場を行く
六十八番札所「龍王山 宝蔵寺」を後にして、本来でしたら六十九番札所「宝苑山 慈光寺」を目指すのが距離的にもスムーズなんだと思うのですが、どうも道中の道幅が狭そうで、広い道から行こうと思ったら一旦国道155号線まで戻ることになってしまったので、なら七十番札所から回っていこうと思い、急遽予定を変えて「 摩尼山 地蔵寺」に向かいました。
なかなか文字では説明しにくいので、地図を参照してください。
宝蔵寺から慈光寺は非常に近いことがわかっていただけると思います。
丁度、両寺院の間には川と名鉄常滑線がある為か非常に道が分かりにくくなっています。車の方は無理せず迂回した方がいいのかもしれませんね。
管理人が行く知多四国霊場巡礼の旅
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参拝記
地蔵寺は大草城址に作られた大草公園の東側にあります。地蔵寺とその隣に鎮座する津島神社の前には、大草公園の駐車場がありますので、こちらに車を留めて参拝していきます。
境内入口
地蔵寺の境内入口は寺社標の石柱と新四国札所案内の石柱による石柱門になっています。中央には、車侵入止めのお坊さんが立っていますね。
境内に入ると、本堂は一番奥に鎮座していますので、入って左手に建っている大師堂、観音堂を素通りして地蔵菩薩が安置されている本堂に向かいます。
本堂に向かう途中、鎮守社が建っていて、その脇に見事な枝ぶりの松があります。
さらに奥に進んでいきます。
提灯を掲げる門なのかな?
この門をくぐって先に進むと本堂が建っています。
手水舎・水盤
本堂の前に建っている瓦葺木造四本柱タイプの手水舎になります。水盤の横にある井戸が由緒にでてきた地蔵尊が発見された井戸になります。という事は、本堂の前にある手水舎という書き方ではなく、地蔵尊が出てきた井戸の前に本堂を建てたというべき配置になるんですね。ちなみに、由緒では周囲は竹林の中の井戸と霊夢で地蔵尊が語っていましたが、実際に周囲を見渡すと、確かに本堂周辺は竹林が広がっています。
本堂
入母屋造瓦葺妻入りの寝殿造の様に周囲に庇を伸ばして、庇に唐破風まで設け、まるで重層の本堂の様に見えますね。
庇が周囲に伸びているので、回廊のようになっている外陣になります。
少し引いた感じで本堂を眺めると、外陣に当たる回廊を進んでいくと、本尊が安置されている内陣の裏側に、井戸から上がった地蔵尊が安置されている場所があります。その地蔵尊が安置している場所まで大屋根が伸びていますね。
非常に奥行きのある本堂ですね。
本尊の地蔵菩薩が安置されている内陣になります。
その裏側に安置されているのが
こちらが、井戸から上がった地蔵様になります。水かけ地蔵尊になっているようで、参拝者の方達が水をかけて悪い所をさすっている為、つるつるのお姿になっています。
水子地蔵尊
本堂裏手側には、水子地蔵尊とその周囲を非常に数多くの地蔵尊が建っています。
大師堂
本堂を参拝し、大師堂が建っている場所に戻っていきます。
境内に入ると真っ先に目に入るのが、一間本堂と見間違えてしまいそうな大師堂になります。
この中央に弘法大師像が安置されています。
また、ここ大師堂は客殿としても使わているようで、様々な祈祷もこの中で受けることができるそうです。
新四国七十番と彫られた札所案内石柱になります。
おや?石柱の隣の水盤なんですが、大日地蔵寺と彫られています。後で紹介させて頂きますが、元々は本尊だったのではと伝えられている大日如来像が安置されている大日堂が大師堂の横に立っています。そちら大日堂の水盤のようですね。
しっかりと大師像と記念宝塔を結ぶ紐が伸びています。
「南無大師遍照金剛」「南無大師遍照金剛」「南無大師遍照金剛」・・・
修行大師像
大師堂の前には、修行大師像が立っています。
結構な大きさの大師像になります。
大日如来堂
大師堂と並ぶように建っている大日如来像が安置されている大日如来堂になります。
中には、知多市の指定文化財になっている薬師如来坐像(鎌倉時代)、大日如来坐像(鎌倉時代)が安置されています。当ブログで注目するのが、薬師如来坐像になります。この薬師如来、江戸時代まではこの地蔵寺の隣に鎮座する津島神社(牛図天王社)に安置されていたそうです。この津島神社は江戸時代までは牛図天王社と称していて、牛図天王の本地仏が薬師如来なんだそう。それが神仏分離策で隣にある地蔵寺にて安置されるようになったんでしょう。
え~っとこれは・・・
正体不明な建物です・・・。ネットで調べてもわかりませぬ・・・。
御朱印
参拝を終えて
大師堂の前には昭和48年に知多市の保存樹木になっている蘇鉄が大師堂の目前に建っています。自分が生まれた年に指定されたと聞いて、何となく縁を感じる瞬間ですね。
次の目的地は
七十番札所「摩尼山 地蔵寺」を後にして、すぐ隣に鎮座している津島神社を参拝していこうと思います。本地仏とされていた薬師如来坐像繋がりという事もありますので。
本当にすぐ隣に鎮座しているんですよ。