名古屋市熱田区 城下二十一大師 大名古屋八十八 尾張新四国霊場 熱田八大師

木津山不動院(名古屋市熱田区高蔵町) 大名古屋八十八ヶ所 五十八番札所

2020年4月17日

令和四年新企画のお知らせ

新企画「愛知県下新十名所」

 新愛知新聞社が昭和二年(1927年)に「愛知県の新十名所を読者投票で決定する。」というイベントを実施します。愛知県下を狂気の投票合戦へと誘ったこのイベントへの投票総数は驚異の1400万票以上。また、100票以上の投票を集めた名所候補は67カ所にも上ります。2022年、当サイトではこの67ヵ所の名所を巡り紹介していこうと思います。

寺院情報

寺院名木津山不動院
所在地名古屋市熱田区高蔵町五番八号
御本尊薬師如来
宗 派真言宗豊山派
創 建不詳
札 所大名古屋八十八 五十八番札所
尾張新四国霊場 二十五番札所
城下二十一大師 二十一番札所
熱田八大師 八番札所
御朱印
H P

参拝日:2020年2月5日

由緒・沿革

 熱田神宮には江戸時代まで神宮寺である「木津山神宮寺」が存在していました。明治政府による神仏分離令と廃仏毀釈の動きにより明治元年に廃寺となってしまい、本尊である薬師如来像、その他諸仏は「東岳山長久寺/紹介記事」に移されたとも言われています。明治三十六年(1903年)に、熱田神宮の北側の高蔵の地に神宮寺が「木津山不動院」という寺名で復興します。
 長久寺に移された薬師如来像ですが、明治四年に愛知郡川名村にある「新豊寺(廃寺)」に假屋を建てて仏像をこちらに移しています。明治二十四年の濃尾大震災により堂宇が傾倒してしまい、有史の努力により假屋を再興、そして明治三十六年に現在の地に本堂の再建が経始し、大正三年に落成しています。昭和二十年の太平洋戦争による空襲による焼失を乗り越え、現在までその寺名を遺しています。

木津山神宮寺

 熱田神宮の神宮寺である「木津山神宮寺」の創建時期は不明な部分が多いのですが、「尾張府志」宝暦二年(1752年)では聖武天皇の御代(在位724-749年)の創建と記されています。「尾張志」天保十四年(1843年)では仁明天皇(在位:833-850年)の勅願創建にして、最澄(伝教大師)、空海(弘法大師)が開基であると記されています。本尊である「薬師如来像」は胎内に空海真作の薬師如来像が治まっているとも言います。

 尾張志に書かれている様に、開基に最澄空海が関わっているとしたら、それはある意味凄い事ではないでしょうか。共に遣唐使に選ばれ、唐で仏教を学び、天台宗と真言宗を開宗した日本史に名を残す偉人でもあります。しかし、密教の経典の貸し借りの中で不和が生じ、関係が断絶してしまいます。
 その為、この両者が開基として寺院が開創されたというより、全国行脚などで熱田の地を訪れ、熱田神宮に参篭した際に堂宇、護摩堂などを建立したのではないでしょうか。
 熱田神宮に参篭した最澄と空海は、名古屋の地に寺院を開創させています。最澄は尾張四観音の一つである「松洞山龍泉寺」を、空海は「白鳥山法持寺/紹介記事」をそれぞれ開創しています。

 鎌倉期から室町期にかけて、伽藍が整備されかなり繁栄していたと伝えられています。

 上記の絵図は、尾張名所図会に載っている享禄二年(1529年)の頃の熱田神宮になります。神宮寺は左頁の中央付近の多宝塔の後ろ側に描かれている御堂になるかと思います。熱田神宮に五重塔などが建てらえていたんですね。
 慶長二年(1597年)、熱田一帯が延焼する火災が発生し、如法院・東堂・鐘楼・三重塔・五社不動堂・五重塔・西堂などの堂塔が焼失したとされています。その後、慶長十一年(1606年)、徳川家康の言上より、右大臣であった「豊臣秀頼」が神宮寺を再興し仏殿・大福田社・三重塔などを造営しています。しかし、その後の神宮寺は衰退と再興を繰り返すことになります。
 江戸時代初期には無住の寺院となってしまい、本堂のみの寺院となっていたといいます。将軍家によって、元禄十六年(1703年)神宮寺再興。堂宇を修造し、境内外にあった「不動院」・「愛染院」を境内に移しています。しかし、その後も神宮寺は徐々に衰退していきます。

 境外にあったという「不動院」は「弘仁二年(811年)、熱田神宮に参篭し、千日護摩行を行った「空海」が熱田神宮別宮である「八剱宮」の本地仏として「不動尊」を刻み、一堂を建て奉安した。」と言われ、八剱宮の境内に建っていました。
 もう一方の「愛染院」は愛染明王の大像と小像が安置されたといい、大象は三重塔内奉安されており、三重塔が倒壊した時、名古屋浅間社へ移座され、元禄十六年愛染堂再興時に愛染堂に遷座。小像は熱田神宮の北側にあり、奥の院と称していた本地堂安置仏でした。小像の愛染明王も空海作と伝えられています。

 江戸後期の神宮寺の様子が尾張名所図会に描かれています。本堂と不動院、愛染院があるだけの境内となっています。この絵図が描かれた後も衰退していたと言われ、明治維新直前には塔頭も廃寺となり寺跡は畑となっていたとも。

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名古屋二十一大師を行くー寄り道遍ー

 熱田神宮から北に進み、熱田神宮摂社である「高座結御子神社/参拝記事」と高蔵公園を超えた北側にあるのが今回参拝する「木津山不動院」になります。大名古屋八十八ヶ所と熱田八大師の札所の寺院になります。熱田神宮の規模が大きく、別当であるはずの神宮寺のが衰退と再興を繰り返す存在となってしまっていました。神宮寺(別当)がかなり繁栄していても明治維新による神仏分離令により廃寺に追い込まれてしまう神宮寺が多い中、江戸時代から衰退を繰り返していた熱田神宮寺には廃仏毀釈の流れに打ち勝つことは不可能だったのでしょう。明治元年には廃寺とされてしまっています。(伊勢)神宮に次ぐ神社とも言われる熱田神宮ですので、明治政府の意向も多大に反映されているとはおもいますが。
 神宮寺が廃寺となり、復興する事もあまり聞きませんので、近くにいる訳ですので参拝しようと思い向かう事にしました。

参拝記

 熱田消防署の西側にある「木津山不動院」になります。一見すると寺院には見えませんね。

寺号標

 真言宗大薬師と彫られた寺号標とになります。「木津山神宮寺」は本尊が薬師如来である事から、「大薬師」と呼ばれていた事もあるようです。

山門

 木津山と書かれた扁額が掲げられた非常に小さな山門が設けられていました。この山門を潜った先に本堂があります。

小さくてもこうして山門が設けられているだけで、寺院としての雰囲気がグッと高まる様な気がします。さらにこうして扁額が掲げられると更に雰囲気がでますね。

本堂

 なにやら一般のお宅の玄関の様な雰囲気ですが、こちらが本堂となります。庇の所に半鐘があるの所が寺院をアピールしている部分になるでしょうか。

 しかし、本尊を薬師如来としているのになぜに「不動院」という寺名にしたんですかね・・・。「薬師寺」のがあっている様な気がしますが。不動院としたことから、境内に移されたとする「不動院」の本尊である「不動尊」もこちらに奉安されているのでしょうか。

熱田八大師

 不動院の境内から少し南に行った場所、高蔵公園のすぐ北側に据えられている「熱田八大師八番札所」になります。こちらの弘法大師像は子安大師の様です。

「南無大師遍照金剛」「南無大師遍照金剛」「南無大師遍照金剛」・・・

熱田八大師札所一覧

番号寺院名所在地
1雲龍山喜見寺名古屋市熱田区神宮二丁目
2青松山宝持院名古屋市熱田区白鳥三丁目
3金王山等覚院名古屋市熱田区大瀬子町
4新豊山蓮花院名古屋市熱田区大瀬子町(廃寺)
5高田山福寿院名古屋市熱田区三丁目
6金宝山地蔵院名古屋市熱田区白鳥三丁目
7花林山弥勒院名古屋市熱田区旗屋二丁目
8木津山不動院名古屋市熱田区高蔵町

 詳細が全く分からない謎の弘法大師霊場である「熱田八大師」もすでに六カ寺を参拝したことになります。三番札所の等覚院だけ参拝していない為、熱田八大師を結願する事が出来なかった為、また・・・・名古屋二十一大師二周目の時に参拝してみたいと思います。

地図で所在地を確認

寺院名木津山不動院
所在地名古屋市熱田区高蔵町五番八号
最寄駅名古屋市営地下鉄名城線「西高蔵駅」1番出口徒歩6分
JR東海 東海道本線「金山駅」徒歩12分
JR東海 東海道本線「熱田駅」徒歩12分

次の目的地は?

名古屋二一大師を行く

熱田区を抜け、南区にある一五番札所「海底山地蔵院/紹介記事」を目指します。

名古屋二一大師を行く-寄道遍-

不動院から高蔵公園を挟んで南側に鎮座する熱田神宮の摂社になる「高座結御子神社」を参拝していきます。

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