(旧)三河新四国八十八ヶ所 三河新四国八十八ヶ所 碧南市

南面山 海徳寺(碧南市音羽町) 三河新四国霊場八十一,八十二番札所

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寺院情報

寺院名 南面山 海徳寺
所在地 碧南市音羽町1-60
御本尊 阿弥陀如来
宗 派 浄土宗西山深草派
創 建 寛正三年(1462年)
札 所 (旧)三河新四国 三十八番
三河新四国霊場 八十一,八十二番札所
三河十二支霊場 戌・亥
御朱印
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参拝日:2019年5月24日

三河新四国霊場札所一覧

沿革・由緒

当寺は南面山天寿院海徳寺と号し、浄土宗西山深草派に所属している。室町時代、御花園天皇が収めた寛正三年(1462年)開山守翁西演和尚が諸国行脚の折、風光明媚、気候温暖なる当地に立ち寄り草庵を結んだのが始まりで、現在に至るまで長くその法灯を受け継いでいる。江戸時代には徳川家の御朱印寺として栄えた。
元本堂は、八間四面にして檜材無節にて二十代審空和尚の時に四年の歳月を経て嘉永元年(1848年)に再建された。道内の漆塗りの柱や極彩色の欄間、格天井などの豪華さは近在に稀であり、内陣の天井には花鳥風月が描かれて極楽浄土を思わせている。

海徳寺案内しおり」より

開山となる「守翁西演和尚」は、「三河国碧海郡誌」には「幡豆郡下矢田村養寿寺開山守翁西演和尚」とあり、現在の西尾市下矢田町にある「亀休山養寿寺」の住職だったのかもしれません。

三河新四国霊場を行く

三河新四国霊場七十九,八十番札所「南松山清浄院」を後にし、県道50号線を北上していきます。すると、右手に「旧大浜警察署」の建物が見えてきます。その警察署の建物の前に置かれている「バロメーター」は必見です。そして、「港橋」を渡り交差点を超えると、八十一,八十二番札所「南面山海徳寺」の山門が見えてくるはずです。

参拝記

海徳寺の入口には、三河新四国札所案内看板が掲げられています。車で参拝の方はここから入り、山門横から境内に入り、駐車するようです。上記写真の奥には、湊橋がありその奥に、「旧大浜警察署」の建物が建っています。

石柱門

県道からの入口には石柱門が設けられていました。
奥に見える楼門が見えるのですが、現在では県道と並行になる感じで南向きに据えられていますが、元々は県道側(西向き)に向いて据えられていたそうです。昭和37年の県道50号線(大浜街道)の拡幅工事によって楼門が移動されて現在の向きになったそうです。

山門

楼門の山門になります。門の左右にある間には仁王像が据えられています。

後に述べますが、海徳寺の本尊「阿弥陀如来像」と共に伊勢から伊勢湾を超えてやってきた「金剛力士像」になります。碧南市唯一の金剛力士像であり、碧南市文化財に指定されています。

一行庵

山門と正対するように庵が建てられています。
こちらに安置されている仏像郡も伊勢から海を渡ってやってきた仏像になります。中央に十一面観音像とその右側に毘沙門天王が奉安されています。なにやら毘沙門天王は県の指定文化財になっているようです。

手水舎

瓦葺木造四本柱タイプの手水舎になります。
元々ここに据えられていたのかわかりませんが、現在の山門の位置から考えると、参拝者の導線からはかなり外れた場所に手水舎が据えられている感じがします。

本堂

入母屋造瓦葺妻入りの向拝の設けられた本堂になります。そして浄土宗の本堂らしく周囲に高覧のある濡れ縁が設けられています。こちらの本堂に据えられている本尊は、国の重要文化財に指定されている「阿弥陀如来坐像」になります。

本尊阿弥陀如来坐像は江戸時代までは伊勢神宮神域内の神宮寺の本尊として安置されていた仏像である。明治初年の「神仏分離令」により仏教の抑圧排斥運動が盛んとなり、全国各地で仏堂、仏像、経文などの破壊が行われていた。本像も廃棄されようとしていた。これを伝え聞いた当時二十二代寂空和尚が檀信徒総代とともに、神宮寺におもむき大仏と仁王像その他を譲り受け、海路にて大浜(碧南市)に運び、本尊として安置した。時に明治二年(1869年)四月のことであった。その大きさから地元民より「大浜大仏」と称され今日に及んでいる。
文化庁の調査により、像内銘には僧良仁が願主となり長承三年(1134年)から保延二年(1136年)にかけて建立したことが明らかになった。
本像は数少ない平安時代在銘の丈六仏坐像で、なおかつ伊勢の神宮寺の本尊であったという意味において美術史的、文化史的意義は大きく、重要文化財としての国の指定を受けた。

残念ながら境内の中は撮影禁止の為、本堂本尊脇に据えられていた弘法大師像も紹介することができません。

八十一番札所は「海徳寺」ですが、八十二番札所は「大浜大仏」になっていますね。札所の案内に高浜大仏っていうのはなんか違う気がするんですよねえ・・・。本堂の前に両方の札所案内板が掲げられている所からわかる様に弘法大師像はこの本堂の中に鎮座しています。

「南無大師遍照金剛」「南無大師遍照金剛」「南無大師遍照金剛」・・・

音羽天神

海徳寺の鎮守社になる「音羽天神」になります。

御朱印

参拝を終えて

こちらが「バロメートル」と彫られているバロメーターになります。簡単に言えば気圧計ですね。今の様に気象衛星や観測レーダーなどがなかった時代、天気の指針となるのが気圧でした。気圧が高ければ晴れ、低くなれば雨って感じですかね。一ヶ所では予報もなにもあったもんじゃないですが、これが全国に設置されて集計できるようになれば、簡単な気圧配置図が作れるようになるんですよね。そうなると天気予報ができるようになると。

日本の天気予報の的中率は85%を超えているようで、世界でも最先端なんだとか。たしかに今日本上空を飛んでいる気象衛星ひまわりの画像を見ると膨大なデータが集まっているのがわかりますからね。予報はある意味統計学なんで、データが集まれば集まるほど予報精度が高まってくはず。

しかし、このバロメーターがいまだ現役なのがすごいですよね。埋められている気圧計は取り換えられていると思いますが・・・。

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所在地を地図で確認

寺院名 南面山 海徳寺
所在地 碧南市音羽町1-60
最寄駅 名古屋鉄道 三河線「碧南駅」徒歩7分

寺院・霊場巡りの際のバイブルに

元々、当サイトは神社巡りを通じて、皆様の住んでいる所にある"村の鎮守の神様"と呼ばれる神社を紹介してくサイトを目指していたんです。むしろ寺院については、縁遠いものとおもっていたんですよね。しかし、ちょっとした御縁で弘法大師霊場に出会い、そして愛知県では一番活動が盛んな"知多四国霊場"を巡礼、結願する事になりました。でも、神社の事はある程度知識があっても、寺院については未知の世界だったので、少しでも巡礼の時に役に立てばと思い、こちらの本を読ませて頂いております。

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少しでも巡礼の時にお役に立てる事もあるかと思います。是非一度読んでみてくださいませ。

次の目的地は?

三河新四国霊場八十一,八十二番札所南面山 海徳寺」を後にして、八十三番,八十四番札所聖道山 常行院」を目指します。

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