西尾市

神明社(西尾市徳永町)

2018年5月29日

令和四年新企画のお知らせ

新企画「愛知県下新十名所」

 新愛知新聞社が昭和二年(1927年)に「愛知県の新十名所を読者投票で決定する。」というイベントを実施します。愛知県下を狂気の投票合戦へと誘ったこのイベントへの投票総数は驚異の1400万票以上。また、100票以上の投票を集めた名所候補は67カ所にも上ります。2022年、当サイトではこの67ヵ所の名所を巡り紹介していこうと思います。

 

神社情報

神社名:神明社
鎮座地:西尾市徳永町東側六十二番地
御祭神:天照大御神、豊宇気昆売神
旧社格:神饌幣帛料供進指定村社
創 建:文亀元年(1501年)
境内社:秋葉社、御鍬社、津島社、竈神社、伊豆神社
例大祭:十月十五日
御朱印:-
H P:ー

参拝日:2018年5月15日

御由緒

社伝に、文亀元年(1501年)徳永小七郎源義雄が創建したという。徳川幕府朱印十七石七斗を寄進し明治維新に到る。明治五年十月十二日、村社に列し、大正七年七月十二日第二三二号により神饌幣帛料供進指定をうけた。境内社の合併、字五ノ割東の秋葉社を明治四十四年九月一日に合祀した。

愛知県神社庁 発刊
「愛知県神社名鑑」より

参拝記

神明社から西に250mほど行った場所に、以前当ブログでも紹介している"立清寺"が鎮座しています。この立清寺は元々徳永城の城郭跡だと伝えれていますが、この徳永城を築城したのが徳永小七郎義雄という者です。由緒に出てくる源義雄は義雄の子孫なのか、もしくは由緒が間違っていて義が誤植で、徳永城を築城した徳永小七郎義雄を指すのかは不明なんですが、ただ誤植だった場合、年代が丸っと100年異なってくるので、どうなんでしょうね・・・。


立清寺(徳永城跡)


境内入口

こちらが、境内入口になります。

神明社の境内全体が森の様になっていて、森の中に入っていく道のような参道になっています。
石段を上がると、境内に入ります。

社号標

昭和三年の御大典記念の年に建立された旧社格の彫られた社号標になります。

鳥居

建立年不明の神明鳥居がお出迎えです。

戦没者慰霊碑

一瞬手水舎か?とおもったら戦没者慰霊碑でした。屋根で覆われた慰霊碑も中々みませんね。

狛犬

これまた生まれた日が不明な狛犬一対です。徐々に装飾がごつくなってきている年代の様です。

社殿

切妻造瓦葺、平入木造の拝殿になります。

資料によると神明造の本殿が覆殿の中に鎮座しているそうです。

境内社

社殿向かって右手にある境内社になります。
左から秋葉社、御鍬社、竈神社、伊豆神社、津島社になります。

秋葉社の前には常夜燈が置かれています。常夜燈についてはまた別記事で紹介します。

懸魚・鬼瓦

鰭付きの蕪懸魚になります。

参拝を終えて

この神明社所有の鬼面が西尾市の文化財に指定されている様です。(現在は西尾市岩瀬文庫に寄託)

どんな鬼面なのか・・・西尾市のホームページに載っていますので参照してみてください。


徳永神明社の鬼面


・徳永氏との繋がり

徳永小七郎義雄
・応永年間(1394-1428)にが徳永城を築く(伝承)
・応永八年(1401年)、不退院(上道目記町)を創建(伝承)

徳永小七郎源義雄
・文亀元年(1501年)、神明社を建立(由緒より)

徳永氏自体は、小七郎義雄が没した応永十八年以降資料に名前が出てこないそうです。また、100年経過して鎮守の神を祀る事があるのか・・・。今まで参拝してきた神社の由緒を見てみると、築城時に鎮守の神も造営しているのが普通のようですし・・・、小七郎義雄と小七郎源義雄は同一人物なんじゃないかなあ~って思っているんですが、どうでしょうね。

近隣の神社


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地図で所在地を確認

”西尾市徳永町東側六十二番地”

矢作川神社巡り紀行

矢作川沿いに鎮座する神社を参拝、紹介をしております。興味がありましたら、順次更新しておりますので、のぞいてみてください。

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