(旧)三河新四国八十八ヶ所 三河新四国八十八ヶ所 碧南市

聖道山 常行院(碧南市本郷町) 三河新四国霊場 八十三,八十四番札所

2019年7月2日

令和四年新企画のお知らせ

新企画「愛知県下新十名所」

 新愛知新聞社が昭和二年(1927年)に「愛知県の新十名所を読者投票で決定する。」というイベントを実施します。愛知県下を狂気の投票合戦へと誘ったこのイベントへの投票総数は驚異の1400万票以上。また、100票以上の投票を集めた名所候補は67カ所にも上ります。2022年、当サイトではこの67ヵ所の名所を巡り紹介していこうと思います。

寺院情報

寺院名 聖道山 常行院
所在地 碧南市本郷町3-38
御本尊 阿弥陀如来
宗 派 浄土宗鎮西派
創 建 大永六年(1526年)
札 所 (旧)三河新四国霊場 三十九番札所
三河新四国霊場 八十三,八十四番札所
御朱印
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参拝日:2019年5月24日

三河新四国霊場札所一覧

沿革・由緒

寺伝に天授元年(1375年)の創立にして是より百五十年間のこと詳細ならず。大永六年住持貞頓を以て中興の祖とすると。
三河堤には、本山額田郡鴨田村大樹寺開山重蓮社隣誉上人貞頓和尚天文元年壬辰七月八日寂す。

「三河国碧海郡誌」より

ここ常行寺では、武田信玄の守り本尊だったと言われている日限地蔵が祀られています。寺宝という事で、秘仏という事で厨子の中に入っていてお姿をうかがい知るすべはないのですが。

三河新四国霊場を行く

三河新四国霊場八十一,八十二番札所南面山海徳寺」を後にして、県道50号線を再び北上、200mほど進むと左手に九重みりんの工場があり、それを超えると八十三,八十四番札所聖道山 常行院」が見えてきます。

参拝記

三河新四国霊場の札所案内看板がなかったら思いっきり通り過ぎてしまいそうな感じになっています。寺院的には南入り南向きの本堂となっているので、県道からでは通用口しか見えないのが原因かなと。「常行院」の次の札所である「林泉寺」はすぐ隣にあり、常行寺-日限地蔵-林泉寺の様に並んであります。

手前が常行院、その奥に林泉寺の札所案内看板がでているのがわかりますでしょうか。

山門

ブロック塀と物置に隠れる様に建っている山門になります。こちらの山門、元々は「大浜陣屋」の裏門をこちらに移設した物になるんだとか。門の様式としては「高麗門」になります。

大浜陣屋


刈谷を中心に知多半島までを治めていた「水野氏」が江戸時代に信濃国佐久の七千石と三河国碧海郡の六千石を合わせて1万三千石となり、旗本から大名となり、大浜に陣屋を構えたのが始まりとされています。
陣屋跡には以降は残っていませんが、唯一常行院にある高麗門の山門が大浜陣屋の生き残った遺構になります。

結構、陣屋や城の門が移築されて、寺院の山門になっている事がありますね。こういった史蹟の遺構に思いがけずに出会う事も神社仏閣巡りの醍醐味ですね。

手水舎

木造瓦葺四本柱タイプの手水舎になります。
久しぶりに基礎石の上に柱が乗っている感じの手水舎に出会った気がします。見えないように固定されているかもですが・・・。

本堂

寄棟造瓦葺平入の本堂で、大屋根から向拝が設けられているのではなく、庇が設けられています。

本堂に掲げられている寺号標にです。
日限地蔵尊安置浄土宗常行院」と書かれています。かなり日限地蔵押しなのが見て取れます。

中央には本尊である阿弥陀如来坐像が奉安されています。向かって左手には、

八十三番札所の弘法大師像が奉安されています。その後ろ側には三十三観音像が祀られています。

「南無大師遍照金剛」「南無大師遍照金剛」「南無大師遍照金剛」・・・

石柱門

現在では表玄関の様になっている石柱門のある境内入口になります。たぶん大浜街道(県道50号線)が拡幅工事された際に、設けられた通用口なんだと思います。
こちらの石柱門にも、本堂でみた寺号標がかかげられていますね。

日限地蔵堂

林泉寺の築地塀のすぐ隣にある日限地蔵堂になります。
基壇の上に設けられた鎮守社と、提灯を掲げる門が据えられています。
鎮守社は詳細不明です。

入母屋造平入の庇が設けられた御堂が日限地蔵が奉安されている地蔵堂になります。
こちらの地蔵堂には・・・

なにやら変わった額の様なものが掲げられていました。

これは何なんでしょうかね・・・。

この下駄にも見える額をよく見ると、「一恵 美濃の氏族一九歳男子 明治二十年ヰザリが当日限地蔵尊を信じ依って全快の上 その下駄を奉納せしもの」と書かれています。

何やら、この日限地蔵堂を参拝したら後利益を受け全快した記念に奉納した物らしいですが、地蔵堂にこの事が詳細に書かれた紙が掲げられていました。

大浜にある廻船問屋の娘"おさき"は、縁あって美濃国の由緒ある家に嫁ぐことになりました。大浜を旅立つ日、おさきと両親はそろって近くのお地蔵さんへお参りに行きました。
「おまえは私たちがこの日限地蔵にお参りして授かった大事な娘。これからもこの日限地蔵にお参りをして無事を祈っているよ。」
こうしておさきは美濃国に嫁ぎ、男の子を生みました。しかしその男の子はいつまでも歩くことができません。大きくなるにつれ、夫や家族はおさき親子に冷たく当たる様になります。
ある日、おさきは大浜を旅立つ日に両親に言われたことを思い出します。「そうだ、日限地蔵さんにお願いしてみよう。直してくださるにちがいない。」そう心に決めて、息子を箱車に乗せて大浜に向けて出発しました。
道中、大きな石があったり、でこぼこだったりして思うように進みません。途中、下駄屋に寄り、握りやすい丸に歯をつけた下駄の様なものを作り、その丸太を両手に持ち這うようにして進んだと言います。やっと大浜にたどり着いた時には、息子の持った下駄は地で真っ赤に染まっていたそうです。

おさきは一心不乱にお願いしをしました。
どれくらい時がたったでしょうか。カタッという音におさきが振り向くと、息子がよろよろと立ち上がり、両手を前に出し一歩、二歩と足を進めています。

「お母さん、歩ける!」

二人は肩を抱き合い、涙を流して喜びあいました。

いまでは「躄車」は放送禁止用語になっているようで、「箱車」と呼ぶようになっている様ですね。
この箱車に腹ばいで乗って、両手に丸手に葉をつけた手下駄の様なものを握って進んできたという事ですね。

この辺りは、知多四国霊場番外札所「金鈴山 曹源寺」で出会った逸話と同じ感じですね。

違うのは祈願したのが弘法大師像なのか日限地蔵なのかの違いですか。

こちらの日限地蔵堂が三河新国霊場八十四番札所になっていて、線香が焚かれている為曇ってしまったガラス越しに注視すると弘法大師像が奉安されている様です。

「南無大師遍照金剛」「南無大師遍照金剛」「南無大師遍照金剛」・・・

地蔵堂の脇に立っている建物は観音堂になっていて、中には西国観音霊場の写し観音像が奉安されています。

御朱印

参拝を終えて

日限地蔵堂に掲げられている新聞記事などの掲載記事になります。
現在では大浜にある寺院と比べるとそんなに大きな寺院ではないようにみえるのですが、自分が参拝した日も線香があげられていて、地元の方に大切にされているお地蔵さんなんだなと実感しました。

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やはり、旅先の情報はネット検索もいいですが、るるぶなどの旅行ガイド雑誌が一番ではないかなと思います。ネット情報はどうしてもディープになりがちで、いざ旅行に行こうと思っても、俯瞰的な情報が不足しがちな気がします。
やっぱり、"るるぶ"を見ながら、旅の予定表を作っていくのも、旅行の醍醐味ですよね。

所在地を地図で確認

寺院名 聖道山 常行院
所在地 碧南市本郷町3-38
最寄駅

寺院・霊場巡りの際のバイブルに

元々、当サイトは神社巡りを通じて、皆様の住んでいる所にある"村の鎮守の神様"と呼ばれる神社を紹介してくサイトを目指していたんです。むしろ寺院については、縁遠いものとおもっていたんですよね。しかし、ちょっとした御縁で弘法大師霊場に出会い、そして愛知県では一番活動が盛んな"知多四国霊場"を巡礼、結願する事になりました。でも、神社の事はある程度知識があっても、寺院については未知の世界だったので、少しでも巡礼の時に役に立てばと思い、こちらの本を読ませて頂いております。

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少しでも巡礼の時にお役に立てる事もあるかと思います。是非一度読んでみてくださいませ。

次の目的地は?

三河新四国霊場八十三,八十四番札所聖道山 常行院」を後にして、日限地蔵堂のすぐ隣にある八十五,八十六番札所華慶山 林泉寺」を参拝します。

-(旧)三河新四国八十八ヶ所, 三河新四国八十八ヶ所, 碧南市