
知多新四国霊場を行く
二番札所である「宝蔵山極楽寺」を後にし、三番札所である「普門寺」を目指そうと旧道を南に50mほど進むと、右手に秋葉山常夜燈を発見。丁度、空き地があったため、車を止めさせて頂き、立ち寄ることにしました。
ストリートビューでは、常夜燈の右となりに古い小屋が建っていますが、訪れた時は更地になっていて、ごみステーションが作られていました。おかげで車が止められたんですが。
更にグーグルマップを確認すると、何やら常夜燈の他に北尾秋葉社と天王社が鎮座している模様です。
極楽寺からの位置関係もわかっていただけると思います。本当に近いんですよ。
訪問記

現在では、常夜燈の前面に石柱型の道標と地蔵型の道標が据えられています。ストリートビューを見る限り、どこからか移設されてきたんだと思います。
そして、常夜燈奥には北尾秋葉社が鎮座し、社の前には石灯篭型の常夜燈が据えられています。参道を進んでいくと、突き当りに天王社が鎮座しています。
宅地開発でここに集められたのか、元々神社が鎮座しており神社合併で廃社になり境内跡地に新たに天王社と秋葉社を勧請したのか、この辺りはもう少し調べてみないと何とも言えませんが、この辺りの鎮守社になっているような雰囲気です。
常夜燈、秋葉社、天王社、順次紹介していこうと思います。
まずは・・・
秋葉山常夜燈

種 別 | 秋葉山常夜燈 | 建立年月 | 天保九戊戌年 |
設置場所 | 大府市北崎町城畑地内 | ||
形 状 | 宮立型(宮前型) 基壇二段、土台石四段 | ||
竿部刻印 | 正面「秋葉大権現」後面「天保九戊戌歳八月吉辰」 右面「永代常夜燈」左面「為村中安全」 | ||
台石刻印 | 正面「願主若者中」 | ||
火袋台石刻印 | - |
中々大きい秋葉山常夜燈になります。
基壇と呼ぶ石垣が低く作られているにも関わらず、完全に見上げる形になっています。

あと特徴的なのは、火袋石の大きさに対し、笠石が大きい。設計ミスなんじゃないかというくらい大きさの違いがあります。これだけ笠石が大きいと、小さな地震で倒れてしまいそうです。・・・まあ灯篭などは地震で倒壊するように作られている訳ですが・・・。

正面に彫られた「秋葉大権現」・・・最初からこの文字のバランスを狙ったのか・・・しまった「秋」が大きすぎた!と徐々に文字を小さくして無理やり収めたのか解りませんが、現代でも通じる感覚と言いますか、だれもが一度や二度やったことがある様な気がします。
北尾秋葉社

この秋葉社には秋葉山三尺坊大権現が祀られています。(寺社系の秋葉山になるので、三尺坊大権現を祀るという言い方が正しいのかどうか解りませんが・・・。)社の前には注連縄が掲げられていて、神仏習合的な秋葉社になっていますね。
この秋葉社の前にも常夜燈があります。

種 別 | 秋葉山常夜燈 | 建立年月 | 寛政五年 |
設置場所 | 大府市北崎町城畑地内 | ||
形 状 | 宮立型(宮前型) 、土台石一段 | ||
竿部刻印 | 正面「秋葉大権現」、左面「村中安全」 | ||
台石刻印 | - | ||
火袋台石刻印 | - |
石灯篭の様な形状の常夜燈になります。秋葉社に据えられた常夜燈の様に感じますがどうなんでしょうね。
天王社

秋葉社の脇を更に奥へと参道が続いています。この参道を進んでいくと、

突き当りに最近建て替えらえた社が鎮座しています。

天王社という社名から、祭神が牛頭天王となり、明治以降は建速須佐之男命になりますね。
社左側に「祇園の神、牛頭天王素戔嗚命」と書かれています。八坂神社から勧請を受けてここに鎮座しているのかもしれませんね。ただ、牛頭天王=素戔嗚尊というのも神仏習合時期の名残ですね。
参拝を終えて

秋葉社、天王社共に神仏習合の時代を彷彿とさせてくれました。特に秋葉社については、神社の社殿様式なので加具土命を祀っていそうな所、秋葉山三尺坊を祀っています。神仏習合時期は同一視されていましたからね。
秋葉山信仰は、明治以降になっても神仏習合の様な感じがして個人的に惹かれています。ですので、当ブログで秋葉山常夜燈を紹介しているわけですが・・・。もっと秋葉山信仰を調べていこうと思います。
次の目的地は
次こそは、知多新四国霊場 三番札所の「海雲山普門寺」に向かいます。
