神社紹介
神社名 | 白山媛神社 |
鎮座地 | 愛知県安城市上条町浮橋三番地 |
御祭神 | 伊弉冉命、徳川家康 |
旧社格 | 神饌幣帛料供進指定村社 |
創 建 | 伝:養老二年(718年) |
神名帳 | ー |
境内社 | 秋葉社、厳島社、稲荷社、神明社、天神社 |
例祭日 | 十月十七日 |
御朱印 | ー |
H P | ー |
参拝日:2020年6月29日
御由緒
以前紹介した「桜井神社/紹介記事」と同じ「養老二年(718年)」を創建年としている白山媛神社となります。御祭神は「伊弉冉命」と江戸時代になり祀られるようになったのであろう「徳川家康(江戸時代までは東照大権現と称していたと思われます。)」が祀られています。安城市の指定史跡にもなっている「三河三白山」の一社になっています。
桜井神社の由緒には、「養老二年に桜井神社の社家である野田氏の祖とされる「野田熊勝」が加賀国白山より白山権現をこの地に勧請しこの地に祀られいた神々と共に奉斎する神社を創建した。」とあります。同じ年に同じ白山権現を勧請するとなると、今回紹介する「白山媛神社」の創建にも「野田熊勝」が関わっているということなのでしょうか。ただ、野田家の人達が歴史に登場してくるのは、桜井城主松平信定が桜井神社(当時は神明社)の神宮寺を移設改宗し「桜井山菩提寺/紹介記事」としてからになります。別当であった神宮寺が廃寺され宮司が神社の祭祀を執り行う事になり、野田家が代々桜井神社の宮司となった為です。
この「野田家」、桜井神社の宮司となる為に突然この地を訪れたのではなく、年代は不詳なのですが碧海郡桜井村川島に白山社を創建し、この白山社の宮司をしていたと言われています。そして、桜井神社の宮司となると同時に川島町の白山社を桜井神社の本殿に遷座合祀しています。
実は当サイトでは、「野田熊勝」またはその子孫たちが今回紹介する「白山媛神社」の創建にも関わっているのではないかと考えています。実は「三河三白山」を構成する三社すべてが養老二年(718年)創建であると伝えられていたりします。別々の集落で待った同じ年に加賀国白山から白山権現を勧請するとは中々想像できないので、川島町の白山社から勧請を受けた、または野田家の者が各集落の神社に白山権現を分霊してまわ
たかのどちらかではないのかなと考えています。
社伝に、養老二年(817年)九月、加賀国白山の山頂より勧請奉斎すちう。古来は大市郷の旧社で二十余村の氏神として鎮座、文明年中(1469-86年)兵火に罹り社殿をはじめ古文書を失ったが復旧した。徳川家代々の崇敬あつく、家康天下人となり慶長八年(1603年)九月、社領高五十石(上条地内)朱印を寄進。代々の将軍先例により明治維新に到るまで寄進する。明治五年十月、村社に列格し氏子は大字上原一郷となる。同四十年十月二十六日神饌幣帛料供進指定社となった。昭和十四年、拝殿、渡殿、神饌所を修復、同四十七年社務所を改築した。
愛知県神社庁発刊「愛知県神社名鑑」より
歴史探訪
安城市の指定史跡「三河三白山」に今回紹介している「白山媛神社」が名を連ねていると由緒で紹介しましたが、三河三白山とは下記の三白山神社で構成されています。
・桜井神社(桜井町)
・白山媛神社(上条町)
・白山神社(大岡町)
安祥城主「松平清康」が三河平定に向けて勢力を伸ばし、出陣中の家臣団の家族は大岡・上条・桜井の三白山社に、お百度を踏んで武運長久を祈願したといわれます。そして、その孫「徳川家康」が三河を平定、さらに征夷大将軍となると、祖父である清康が崇敬した安祥城下の三白山社に社領を寄進しています。これを機に三白山社を「三河三白山」と称されるようになったと伝えれているようです。
参拝記
県道48号岡崎刈谷線の上条トラックステーションの敷地越しに見える鎮守の森が今回紹介する「白山媛神社」の境内地になります。白山媛神社の境内地は旧道の南側にあり、北入り境内地、南向きの社殿という配置となっています。県道48号線は昭和になって作られた幹線道路ですので、県道側には参道がもうけられておらず、境内の北側に向かって頂く必要があります。
境内入口
県道48号線から一本北側を東西に走る旧道沿いにある「白山媛神社」の境内入口にやってきました。神社は南入り南向き社殿の配置が基本になっているので、北入りの神社は少数派なんです。
社号標
旧社格「村社」が彫られている「白山媛神社」の社号標になります。
秋葉社
社号標と反対側には境内社となる秋葉社が鎮座しています。秋葉山常夜燈が境内入口に一基据えられていて、もしかしたらこの常夜燈の祠だったのかもしれません。
基壇はなく、土台石が四段設けられた秋葉山常夜燈になります。ひっそりと社号標に隠れるように据えられているので目立たないのですが、しっかりと見ると非常にバランスの取れた形状の常夜燈だと思います。
鳥居
扁額のある明神鳥居になります。建立年月は調べ忘れてしまいました。
境内社
鳥居を潜り、南側に進んでいくと参道の左右に主に塗られた明神鳥居を有する境内社である厳島社と稲荷社が鎮座しています。
手水舎
木造瓦葺四本柱タイプの手水舎になります。「洗心水」と彫られています。残念ながら水は貼っていませんでしたが、手水をしたつもりで清らかな心で参拝したいと思います。新型コロナウィルスの感染拡大防止の為、今まで手水を用意していた神社も手水の休止を行う所が増えていますね。共有する柄杓が問題だといいますね。神社を巡る時My柄杓を用意しなければならない時代がくるのでしょうか・・。
祓戸
基壇上に石造りの瑞垣が設けられた祓戸になります。この様式の祓戸としては小ぶりな形状になります。基壇の小ぶりに対して植えられている榊の枝ぶりはかなり立派です。
境内を望む
手水舎、祓戸が据えられている場所が「白山媛神社」の一番南部分となり、そこから北側を望むと社殿と境内を望むことができます。境内入口から参道を取ってこの境内までの形状は英語のUを思い浮かべて頂ければいいかなと思います。
三河三白山の碑
昭和43年4月に指定された安城市史跡「三河三白山」の碑になります。
狛犬
昭和三年生まれの子乗り玉乗りの狛犬一対になります。シンプルだった狛犬の造形から徐々に毛並みなどの装飾が施されるようになっていく過渡期の狛犬かなと思います。
社殿
入母屋造瓦葺平入の拝殿になります。拝殿と幣殿が一体化された社殿で本殿とはほぼ接しているんですが別体となっている造りになっています。
境内社
社殿と並ぶように鎮座している「神明社」と白塗りの明神鳥居を有する「天神社」になります。
地図で鎮座地を確認
神社名 | 白山媛神社 |
鎮座地 | 愛知県安城市上条町浮橋三番地 |
最寄駅 | あんくるバス1号安祥線「上条バス停」徒歩7分 |
ご自宅にお札は祀られていますか?
実家には神棚はあっても、今お住いの所には神棚がない方も多いかと思います。神棚には、日本の氏神である"天照大御神"とご自身がお住いの氏神様のお札を掲げると御神徳が宿るとされています。
賃貸住宅などに住まわれて簡単に神棚を掲げられないという方もお勧めなのが、
南向き、もしくは東向きになる様に、そして目線の高さより上になる様に、棚などの上において頂くとよいかと思います。是非、皆様もご自宅に神棚をご用意いただき、御札を納めてほしいなと思います。