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稲園山長福寺「七寺」(名古屋市中区大須)名古屋二十一大師二番札所

2020年2月2日

令和四年新企画のお知らせ

新企画「愛知県下新十名所」

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ONE POINT

名古屋市中区大須にある真言宗智山派の「稲園山長福寺」の紹介記事です。元々は清州城下にあった寺院ですが、江戸初期に行われた通称清州越しと呼ばれる清州城下町の総引越に合わせて現在の場所に移された寺院になります。

寺院紹介

寺院概要

寺院名稲園山長福寺
所在地愛知県名古屋市中区大須二丁目二八番五号(googlemap
創 建天平七年(735年)
宗 派真言宗智山派
御本尊静観世音菩薩像

霊 場

霊 場名古屋二十一大師 二番札所
金城下二十一大師 二番札所
大名古屋八十八霊場 一番札所
東海不動尊霊場 九番札所
前札所霊 場次札所
北野山宝生院名古屋二十一大師成田山萬福院
北野山宝生院金城下二十一大師高野山出張所
大名古屋八十八寿量山長松院
徳興山建中寺東海三十六不動尊北野山宝生院

文化財

国 宝
国指定観世音菩薩像及勢至菩薩坐像
七寺一切経
県指定
市指定
町指定
村指定

参拝情報

御朱印
URLhttps://daigiji.com/
駐車場
参拝日20019年12月11日

御由緒

 通称「清州越し」と呼ばれる「名古屋城」築城に伴い、それまで尾張国の中心だった「清州城」から都市機能を名古屋城下に移転させる事業により、今回紹介する「稲園山長福寺(通称:七寺)」も清州城下から現在の境内地に移転しています。
 名古屋移転後は、尾張徳川家の勅願所にもなるなど、藩主から庇護を受けていた様です。明治時代になり、境内の南側を削られ、現在の大須通に供さるなど、かなりの境内地を接収された様ですが、それでも昭和二十年(1945年)の名古屋空襲で灰燼に帰すまでは、大須界隈では大須観音を凌ぐ賑わいを見せていた寺院だったようです。しかし、その後大須観音は三重塔を除く伽藍を再建できたのに対し、長福寺は往時の姿を再建する事ができず、現在では小さなお寺という感じになってしまっています。

戦前の長福寺の様子

 左下に見える道路が大須通になるようです。境内の伽藍配置は東向きだったようですね。
 本堂の屋根の奥に見える建物の屋根が「大須観音」の本堂の屋根です。

大正四年発刊「名古屋市史」には、

 七ツ寺は、稲園山と号す。中区門前町五丁目の西側に在り。境内は千二百三十一坪三合八勺(徳川時代には八千二百十一坪有り。除地なりき。)有り。格院(徳川時代には色衣出世法印地也)九等にして京都智積院の末寺なり。往古は中島郡下津里の南「阿波手浦」の西、「萱津原」の裏(中島郡大里村大字七ツ寺)に在り。
 天平七年(735年)七月、行基の開創と傳ふ。初め「正覚院」と号す。天應元年(781年)七月、河内権「守是廣」、出羽鎮秋田城介となりて、奥羽に趣き、七年の後帰りて、萱津に宿し、兒(子)の死を聞き、悲歎に堪えず。正覚院二世智光に依りて、之を院の西に葬り、堂を建てて 兒(子) 所持の薬師佛像を安んず、河内に帰るに及び、延歴六年(787年)十二月、当寺を再建し、七区の精舎、十二の僧坊を建て、七年五月落慶す。世俗呼んで「七ツ寺」と称すという。
 仁和三年(887年)七月晦日、大地震あり。(仁和地震)殿堂倒壊し、無住となること五十徐年。
 仁安二年(1167年)七月、尾張権守安長、亡女の為に、其女婿豊後守親寶と共に中興の工を始め九月七堂伽藍を落す。時にもと十二坊の魁名を採りて、稲園山長福寺と改め、高野山金剛峯寺に隷す。是に於て始めて真言の道場となるという。

(中略)

 建武四年(1337年)、兵火に遭い、寺宇重ねて頽破し、弥陀堂及び半壊の経蔵を残して悉く鳥有となる。荒墟二百五十余年、天正十九年(1591年)、鬼頭孫左衛門尉吉久、豊臣秀吉に請い堂宇を清州城の畔に移設し、良圓を請じて中興開山となす。文禄三年(1594年)三月、本堂を経始し、四年七月、落慶供養を修す。時に性海寺の末寺となる。慶長十六年(1611年)秋、二世良裕、名古屋日置村(現在の地)に阿弥陀堂を移建し、樓閣、門、庫を一新す。又、清州の元の地に一院を建てて、真福寺と号し、薬師如来像を安置する。

(中略)

享保十五年(1730年)春、地蔵院流の法地となりて、色衣を許される。この時藩主初めて抂駕あり。その後山城嵯峨世尊院を兼帯して、藩主の祈願所となり、一国の觸頭となる。

(中略)

明治十二年、智積院の末寺となる。

稲園山真福寺

清州城下の旧境内地に二世良裕が建てたとする「稲園山真福寺」が現在も清須市にあります。長福寺の末寺に入ったことから山号を長福寺と同じ「稲園山」としています。

とあります。
 由緒を読む限り、よく廃寺にならなかったなというのが正直な感想ですね。ほぼ室町時代の全域にわたってほぼ伽藍が焼失してしまっている様な状態だったようですし、それ以前の平安時代にも無住の時期があったとか、今でも寺院が残っている事のが奇跡としか思えません。
 そんな寺院が、清州越しにより、現在の地に境内を構えるようになると、百年後には尾張徳川藩の祈願所になっています。

江戸時代の七寺の様子

江戸時代に書かれた名古屋名所図会にも挿絵付で紹介されています。

 縮尺がよくわからないのでなんともいえないのですが、本堂、三重塔などの位置関係を見る限り非常に広大な境内であたことが見て取れますね。

御朱印帳の保管に

 数年前より非常に集める方が増えた「御朱印」ですが、皆様は御朱印帳はどうやって保管していますか?神社・仏閣を廻って御朱印を受けているとあっという間に御朱印帳の冊数が増えていきますが、そのまま棚などに置いている方が多いのでは?。せっかくお受けした御朱印ですので、日本では古くから着物を始めとして大切なものを保管する為に使われていた「桐箱」に入れて保管した方がよろしいかと思います。

 ぜひ、皆様も桐箱に御朱印帳を補完されてみたらいかがですか?

参拝記

 名古屋市営バスの大須バス停で下車すると目の前に今回納経する「稲園山長福寺(七寺)」の境内入口があります。戦前の七寺の風景をアップさせて頂いていますが、対比すると寺勢の違いが見えてきてしまいますね。
 ただ、戦前に比べると境内が狭くなっていると思うのですが、この辺りは、区画整理による供出もあったとは思いますが、境内周辺の土地を駐車場、貸地などに転用しているのでしょうか。

寺号標

 「準別格本山七寺」と彫られた寺号標になります。
 その寺号標の脇に据えられた名古屋市の案内看板にも「七寺」と書かれていて、「長福寺」という寺名が出てきませんね。

本堂

 空襲で焼失してしまう前までの本尊は阿弥陀如来像だったそうなのですが、現在では焼失を免れた脇侍であった「大勢至・聖観音」の両菩薩が本尊となっています。
 名古屋二十一大師の札所本尊の弘法大師像もこの本堂に奉安されていると思われます。

「南無大師遍照金剛」「南無大師遍照金剛」「南無大師遍照金剛」・・・

豊川稲荷(吒枳尼天)

 本堂から軒続きの様に御堂が設けられており、「吒枳尼天」が奉安されている様です。「豊川稲荷」から分霊を受けて奉安されている様で、豊川稲荷と同じく仏教系のお稲荷様ですが堂前に鳥居が設けられていますね。

大日如来像 

 古写真を見ると当時の本堂の前に奉安されていた「大日如来坐像」です。由緒の所でアップさせて頂いている「戦前の長福寺の様子」の写真をよく見て頂くと、大日如来坐像が写っているのがわかるかと思います。
 伽藍がほぼ全焼してしまう被害を受けている訳ですから、その本堂前に奉安されていた「大日尿来坐像」が無事なわけがなく、破損してしまったそうです。写真を見て頂くと所々色が変わっているのがわかって頂けるかと思います。色が変わっている所は、戦後、破損してしまった所を銅板で作り直して再びくみ上げた後なんだとか。

参拝を終えて

 赤い鳥居と言えば、「稲荷社」ですが、ここ長福寺の鎮守社の様です。ここ長福寺では仏教系と神道系のお稲荷様両方を参拝する事が出来る訳ですね。

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所在地を地図で確認

寺院名稲園山長福寺
所在地愛知県名古屋市中区大須二丁目二八番五号
最寄駅電車:名古屋市営地下鉄 鶴舞線「大須観音駅」2番出口 徒歩5分
バス:名古屋市営バス 「大須バス停」徒歩1分

寺院・霊場巡りの際のバイブルに

 元々、当サイトは神社巡りを通じて、皆様の住んでいる所にある"村の鎮守の神様"と呼ばれる神社を紹介してくサイトを目指していたんです。むしろ寺院については、縁遠いものとおもっていたんですよね。しかし、ちょっとした御縁で弘法大師霊場に出会い、そして愛知県では一番活動が盛んな"知多四国霊場"を巡礼、結願する事になりました。でも、神社の事はある程度知識があっても、寺院については未知の世界だったので、少しでも巡礼の時に役に立てばと思い、こちらの本を読ませて頂いております。

少しでも巡礼の時にお役に立てる事もあるかと思います。是非一度読んでみてくださいませ。

次の目的地は?

名古屋21大師を行く

 名古屋二十一大師三番札所である「成田山萬福院」を納経します。大正時代に成田山新勝寺より分霊を受け名古屋分院となっているそうです。

名古屋21大師を行く-寄道遍-

今回納経した「稲園山長福寺」から徒歩で3分程の所に鎮座する「富士浅間神社」を参拝していきます。「大須観音通」と「仁王門通」という商店街の間に挟まれるように鎮座しています。

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