寺院情報
寺院名 | 前明山 光照院 |
所在地 | 半田市東本町二丁目十六番地 |
御本尊 | 阿弥陀如来 |
宗 派 | 西山浄土宗 |
創 建 | 慶長十年(1605年) |
札 所 | 知多四国霊場 十九番札所 法然上人霊場 二十四番札所 |
御朱印 | 〇 |
H P | - |
参拝日:2018年5月23日
知多新四国霊場公式ホームページのご紹介
http://chita88.jp/
沿革・由緒
慶長十年(1605年)の開創で、元々海辺の芦の原だった現地に北西の善之山より土砂を運び境内を整え前明山と号するようになった。
明治二十三年、陸海軍大演習が半田地方で挙行された時、大本営と隣り合って、光照院の書院がその関係高官の寝舎となり、半田市史にも明示される程の寺歴となり、その書院は今も信徒の集会場として使用されています。
「知多四国めぐり」より
知多四国霊場を行く
十八番札所「開運山 光照寺」を後に、十九番「前明山 光照院」を目指していきます。
県道261号線を南下し、武豊線をアンダーパス、国道247号線に合流します。半田大橋を渡ったすぐの交差点を左折し県道262号線を南下していきます。
ちょっとわかりにくいですが、電柱に十九番札所「光照院」の案内板が掲示されているので、この交差点を左折するとすぐに光照院があります。光照院の道路側敷地は駐車場になっています。
参拝記
地図を見て頂くとわかりますが、JR武豊線の半田駅からほど近い場所に鎮座しており、さらに周囲には、中埜酒造の国盛酒の文化館、ミツカンミュージアムなど半田市を代表する食品メーカーの博物館が建っています。
光照院から100mくらい東に行ったところにある中埜酒造の「国盛酒の文化館」になります。
非常に味のある建物ですね。
境内入口
境内の前面には参拝者用の駐車場が用意されてて、駐車場に迷うことなく参拝できる場所だと思います。半田市の中心に近いのですが、光照院周辺は静かな時が流れています。
山門
瓦葺の薬医門の山門に潜り戸付きの袖壁が設けられています。
山門から真っ直ぐ石畳の参道が本堂に向けて伸びていますね。
山門に掲げられた山号が書かれた扁額になります。惜しむらくは墨が風化で飛んでしまってい、かすかに山号が書かれているのがわかるくらいな所ですね。
手水舎・水盤
瓦葺木造四本柱タイプの手水舎に水盤の横に井戸の跡があります。
本堂
入母屋造瓦葺平入向拝の設けられた高覧付廻縁のある本堂です。
弘法堂
重層の屋根に下層に向拝が設けられている弘法堂です。
ここの弘法堂をみていると、ひとつ前の十八番札所「光照寺」にある観音堂によく似ている外観になっていますね。明治期に再建されたいる為、光照寺で問題となった寺格が問題になることなく建築することができたんだろうと思います。
弘法堂に掲げられた札所の御詠歌が書かれた額になります。この額にもありますが、この札所の本尊として延命地蔵菩薩が中央に安置されていて、大師像は延命地蔵菩薩の右側(向かって左)に安置されています。
金網越しの参拝となっているので、手前に網目が見えてしまっています。
「南無大師遍照金剛」「南無大師遍照金剛」「南無大師遍照金剛」・・・
観音堂
光照院本堂、弘法堂からは庫裏を挟んで少し離れた場所にある観音堂になります。
この観音堂には下半田の観音様と言われている秘仏「聖観世音菩薩立像」が安置されています。
平安後期の藤原期の特色を備えた菩薩像で半田市の指定文化財になっています。
観音堂には、写真の通り、観音堂専用の境内入口を有しており、石柱、手水舎も据えられています。
特に石柱は、本尊となっている聖観世音菩薩案内する石柱になっていますね。
御朱印
参拝を終えて
先にも述べましたが、この光照院周辺は半田を代表する中埜酒造、ミツカンが立ち並ぶエリアにもなっていて、半田運河の両岸には酒造蔵が立ち並んでいるそうです。
半田市といえば、こんな運河の風景が有名ですね。
巡礼の旅でなかったらゆっくり散策する所なんですが・・・。
次の目的地は
十九番札所「前明山 光照院」を後に、次は二十番札所「萬松山 龍台院」を目指します。