寺院紹介
寺院情報
寺院名 | 上世山傳宗院 |
所在地 | 愛知県知多郡東浦町大字緒川字天白四十八番地(GoogleMap) |
創 建 | 永禄十年(1567年) |
宗 派 | 曹洞宗 |
御本尊 | 十一面観音菩薩、延命地蔵菩薩 |
霊場
知多四国霊場
日本三大新四国霊場の一つに数えられる愛知県の知多半島全域を霊場とする八十八ヶ所の札所を遍路する弘法大師霊場になります。
当サイトの知多新四国霊場の紹介ページは「こちら」から
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知多四国霊場
霊場情報 霊場名知多四国霊場開創年文化六年(1809年)札所数番所:88 番外:7 開山所:3 (合計:98) 霊場域名古屋市、豊明市、大府市、東浦町、半田市、阿久比町、武豊町、美浜町、南知多町、常滑 ...
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【参考】知多四国霊場 公式HPは「こちら」から
Topics
令和五年(2023年)は「弘法大師生誕千二百五十年記念」という事で知多四国霊場では令和五年一月一日~令和六年六月三十日までの期間において記念宝印を授与して頂けるようです。
また、記念の納経帳も併せて発刊されるようです。
是非、この期間に遍路されてみては如何でしょうか?
文化財
国 宝 | ー |
国指定 | ー |
県指定 | ー |
町指定 | ー |
参拝情報
御朱印 | ○ |
URL | ー |
駐車場 | ○ |
参拝日 | 2018年4月25日 |
沿革・由緒
東浦町誌によると、天文年中(1532-55年)に水野対馬守與次右衛門が常滑の天澤院四世「松隠珠厳大和尚」を迎えて創建開山したという。しかし、緒川城主である水野忠分が布土の地に傳宗院三世大良喜歓大和尚を迎えて心月斎を開山転住した事から無住の寺院となってしまい、医王山東光寺の住職が兼務する状態が明治七年(1874年)の法地再興するまで続いたという。
水野対馬守與次右衛門は元々は別姓であったが、水野下野守信元の娘を与次右衛門に嫁がせ、改姓し水野を名乗らせたという。
水野氏と曹洞宗
水野氏は文明七年(1475年)の乾坤院の開創に始まり、天澤院、春江院、傳宗院と次々に曹洞宗の寺院を創建しています。水野氏の領地拡張に伴い、各地に分家を配していく中、それぞれの分家が菩提寺として曹洞宗の寺院を建立していったのを示しているとも言われています。
- 天文年中(1532-55年):創建
- 天文十五年(1546年):三世大良喜歓大和尚が心月斎に移住した為無住となる。
- 明治七年(1874年):水野嶺梅大和尚が法地開山する。
傳宗院の創建は永禄十年(1567年)としている資料もあるようですが、尾陽雑記では水野対馬守与次右衛門が没した年が永禄十年であるとしています。知多四国巡りで参照させていただいていた書籍「知多四国めぐり」でも傳宗院の開創は永禄十年としています。さて、実際の開創年はいつなんですかね。
永禄十年(1567年)水野対馬守与次右ェ門の開創した寺で常滑市天沢院四世「松隠珠厳和尚」を講して開山したのである。三世大良喜歓和尚が美浜町布土に心月斉を開き、同寺に転任されてから無住となり、隣接の東光寺の住職が兼務されていた。明治七年、十五世水野嶺海和尚の再興後、現住職で二十世になる。
「知多四国めぐり」より
御朱印帳の保管に
数年前より非常に集める方が増えた「御朱印」ですが、皆様は御朱印帳はどうやって保管していますか?神社・仏閣を廻って御朱印を受けているとあっという間に御朱印帳の冊数が増えていきますが、そのまま棚などに置いている方が多いのでは?。せっかくお受けした御朱印ですので、日本では古くから着物を始めとして大切なものを保管する為に使われていた「桐箱」に入れて保管した方がよろしいかと思います。
ぜひ、皆様も桐箱に御朱印帳を保管されてみたらいかがですか?
知多新四国霊場を行く
知多新四国霊場七番札所の「彼岸山極楽寺/紹介記事」で納経を終え、直線距離でおよそ550m程南の緒川地区に建つ八番札所の「上世山 傳宗院」を目指します。
この緒川という場所は水野家の本拠地ともいえる場所で、戦国時代にはこの地で徳川家康の母親である「於大の方」が生まれています。緒川にはほかにも水野家所縁の史跡が数多くありますので、緒川に立ち寄った際は、そうした史跡も巡ってみるのもいいかもしれませんね。
傳宗院から南に向かうと先に紹介しましたが水野家の本城とも呼ぶことができる緒川城址があります。後に水野家が主城とした刈谷城とは現在では干拓が進み境川を挟む形になっていますが、戦国時代の頃は、三河湾の入江がもう少し北の方まで伸びていたんだと思われます。
緒川周辺も海に面していた海岸線沿いの集落だったはずです。
実際、傳宗院の程近くに鎮座する「入海神社」の境内には「入海貝塚」があり、国の史跡名勝天然記念物に指定されています。
縄文時代からこの緒川周辺に人が住み着いていた事がわかりますね。
知多四国霊場を巡るツアーなど
最寄駅から歩いて巡礼するのが辛い方は、名古屋駅発着のバスツアーがお勧めです。これまた、人気の知多四国霊場という事もあり、多数の旅行会社から知多四国霊場巡礼バスツアーが企画されていたります。こんな中、当サイトではクラブツーリズムの巡礼ツアーをお勧めします。
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※中部東海版を選択して頂き、キーワード検索で"知多四国"で検索すると、知多四国巡礼バスツアーが出てきます。
実際自分が巡礼している時にこのクラブツーリズムの巡礼ツアーに遭遇しまして、こっそり添乗員として説明されていた先達さんの説明を聞いていた事があります。巡礼自体はせわしないのは否定できませんが、先達さんの札所などの説明が聞けるのは貴重な経験ではないかなと思います。
参拝記
境内入口附近の前面道路は道幅が狭く注意が必要です。
が、参拝者駐車場がすぐ近くにあるので、車で巡礼の際も困ることはないかと思います。
山門(鐘楼門)

2018年に建て替えられた山門になります。
元々は薬医門の山門だった様なのですが、鐘楼門に建て替えられています。
この鐘楼門の内壁に四天王像が安置されています。

四天王門と言った方がいいんですかねえ。
手水舎・水盤

銅葺木造四本柱タイプの手水社になります。
ここの手水舎は神社の手水舎と同じ様式な感じです。

青銅製の龍頭の給水口。足の造形がファニーですね。
本堂

寄棟造瓦葺平入向拝の設けられた本堂になります。
参拝に伺った2018年4月は、本堂前面に仮設の参拝用スロープが設けられていました。落成式などが行われるのかもしれませんね。
観音堂・弘法堂

中央に十一面観音像、右側に弘法大師像が安置されている観音堂になります。
この傳宗院の観音堂の場所が、他の寺院とは異なり、傳宗院の本堂とは庫裏を挟んだ形で建てられています。
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「南無大師遍照金剛」「南無大師遍照金剛」「南無大師遍・・・」

傳宗院の本堂と観音堂はこちらの通路?を通って行き来することができます。通路脇の格子付きのガラス扉には「妙法様」が祀られています。妙法様は女性のしもの病気にご利益があると伝えられています。

観音堂の屋根には様々な絵が描かれていました。ついつい見とれてしまいます。
鎮守社

観音堂の脇には明神鳥居が設けられています。
観音堂の裏側に鎮守社が鎮座している様子・・・

秋葉三尺坊が祀らていました。
神仏習合時の名残で鳥居が設けられている秋葉三尺坊の御堂は、結構見かけますね。このあたりの曖昧さが神仏習合時を彷彿とさせます。
新四国札所石柱

傳宗院の山門とは別に、観音堂も石柱が据えられた出入口が設けられています。
参拝を終えて

この傳宗院の伽藍配置など事前情報を得ることなく参拝した為、本堂を参拝する前に観音堂を参拝してしまいました。そして、失礼ながら小さい寺院だなあ~・・・納経所はどこかな?と探していたら、
「あれ?通路がある・・・」
と通路を通っていくと、本堂が・・・
「あちゃ~・・・・。」
本堂前で
「失礼ながら観音堂を先に参拝してしまいました・・・。」
記事は、実際に参拝した行程とは逆回転させてかいております・・・。
次の目的地は?

この傳宗院を参拝した時点ですでにPM2:00を回っており、この日はここまでの巡礼となります。また日を改めて九番札所の「浄土山 明徳寺」を目指します。
所在地を地図で確認
寺院名 | 上世山傳宗院 |
所在地 | 愛知県知多郡東浦町大字緒川字天白四十八番地(GoogleMap) |
最寄駅 | 電車:JR東海・武豊線「緒川駅」徒歩11分 バス: |
寺院・霊場巡りの際のバイブルに
元々、当サイトは神社巡りを通じて、皆様の住んでいる所にある"村の鎮守の神様"と呼ばれる神社を紹介してくサイトを目指していたんです。むしろ寺院については、縁遠いものとおもっていたんですよね。しかし、ちょっとした御縁で弘法大師霊場に出会い、そして愛知県では一番活動が盛んな"知多四国霊場"を巡礼、結願する事になりました。でも、神社の事はある程度知識があっても、寺院については未知の世界だったので、少しでも巡礼の時に役に立てばと思い、こちらの本を読ませて頂いております。
少しでも巡礼の時にお役に立てる事もあるかと思います。是非一度読んでみてくださいませ。