名古屋市熱田区 大名古屋八十八

亀足山正覚寺(名古屋市熱田区神宮) 大名古屋八十八ヶ所 四十七番札所

2020年4月19日

令和四年新企画のお知らせ

新企画「愛知県下新十名所」

 新愛知新聞社が昭和二年(1927年)に「愛知県の新十名所を読者投票で決定する。」というイベントを実施します。愛知県下を狂気の投票合戦へと誘ったこのイベントへの投票総数は驚異の1400万票以上。また、100票以上の投票を集めた名所候補は67カ所にも上ります。2022年、当サイトではこの67ヵ所の名所を巡り紹介していこうと思います。

寺院情報

寺院名亀足山正覚寺
所在地名古屋市熱田区神宮四丁目七番二十二号
御本尊阿弥陀如来
宗 派西山浄土宗
創 建永享六年(1434年)
札 所大名古屋八十八 四十七番札所
蓬莱伝説
御朱印
H P

参拝日:2020年2月5日

由緒・沿革

 永享六年二月、愛知郡部田にある「裕福寺」四世「融傳永乗和尚」による創建になります。同年九月に後花園天皇勅願の綸旨、竝に弥陀三尊を賜ります。永禄二年(1559年)十一月、正親町天皇の勅願、竝に白銀十枚を賜ります。これにより尾張三檀林の一つに名を連ねる事になります。

檀林とは?

ネット公開されている新纂浄土宗大辞典で「檀林」を調べてみると、

僧侶が集まって学問をする寺院。古くは談所・談義所・談林ともいった。浄土宗では鎌倉時代から見られる。良忠の飯岡談所、聖冏の横曽根談所、性心の水沼談所、妙観の矢目談所、聖観の折木談所などはその代表的なもの。もともとは浄土宗義や仏教学の講義をするところで、良い師のもとに多くの僧侶が集って勉強したが、長い時間のうちに伽藍が整備されて大寺院となった。浄土宗における談林という言葉は、慶長二年(一五九七)知恩院尊照が鎌倉光明寺・江戸増上寺にあてた法度が最初。この頃には関東にいくつかの談林があったとみてよい。江戸時代になると、関東には一八の檀林ができ、僧侶の育成に貢献した。

新纂浄土宗大辞典より

尾張国にある西山浄土宗の学問研究所が「尾張三檀林」という事なんでしょう。

尾張三輪檀
・曼陀羅寺 愛知県江南市前飛保町寺町202
・祐福寺  愛知県愛知郡東郷町大字春木屋敷3417
・正覚寺  愛知県名古屋市熱田区神宮4丁目7-22

現在は、曼荼羅寺と正覚寺は西山浄土宗、裕福持は浄土宗西山禅林寺派となっています。

 慶長六年(1601年)には類火により焼失してしまったようですが、慶長十七年に再建落成しています。塔頭も七所あり、末寺を二十カ寺有するなど、江戸時代にはかなりの寺勢のある寺院だったようですが、現在では末寺はすべて離れ、塔頭だった寺院も真乗院が残るのみとなっています。

 開山である「融傳永乗和尚」が熱田神宮または神宮寺の神勅により、井戸を掘ると大きな亀の足が出てきたという伝説が残っています。これが現在の山号の由来であり、現在でもその井戸跡は正覚寺に残っています。

 最初、「名跡亀足井」と書かれた石碑をみても、蓬莱伝説を知らなかった為、一体何の井戸なんだろう?と不思議に思っていたのですが、正覚寺の由緒や蓬莱伝説を知るうちに、ああそういう事かと思った訳です。

 というか、開創した同じ年に後花園天皇の勅願寺になる事なんであるのかと思っていたら、蓬莱伝説ではないですが、熱田神宮が正覚寺または融傳永乗和尚に関わっていた様ですね。

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名古屋二十一大師霊場を行くー寄り道遍ー

 熱田神宮の神宮寺を引き継ぐ「木津山不動院/紹介記事」と熱田神宮摂社である「高座結御子神社/紹介記事」の参拝を終え、今回の遍路の旅では名古屋市熱田区最後の参拝先である「亀足山正覚寺」を目指します。今回寄道として参拝している寺院は「大名古屋八十八ヶ所」という戦前に新愛知新聞社(現在の中日新聞社)の後援によって開創された弘法大師霊場の札所に選定されています。熱田神宮周辺には札所が集中していて、戦前は熱田神宮を中心とした宗教の街であったことが伺い知る事ができますね。(現在でも、かなりの寺院がありますが、空襲などによりその規模はかなり縮小されてしまっています。)

熱田神宮周辺の大名古屋八十八ヶ所の札所

47番亀足山正覚寺熱田区神宮4-7-22
48番雲龍山喜見寺熱田区神宮2-4-10
49番宝亀山蔵福寺熱田区神宮2-11-12
50番金王山等覚院熱田区大瀬子町820
51番青松山宝持院熱田区白鳥3-9-15
52番新豊山蓮花院(廃)(大瀬子町)
53番金宝山地蔵院熱田区白鳥3-7-15
54番高田山福寿院熱田区白鳥3-6-8
55番亀命山藤江寺熱田区白鳥3-5-13
56番白鳥山法持寺 熱田区白鳥1-2-17
57番臨済山龍珠寺 熱田区旗屋2-24-10
58番木津山不動院 熱田区高蔵町5-8

五十番札所の等覚院は今回巡った場所から国道一号線を挟んで反対側にあり、少し参拝してい場所から外れていた為、また今度でいいかと思って参拝しなかったのです。が、・・・廃寺となっている蓮花院はともかくとして、熱田地区で一ヶ所だけ未参拝の寺院となってしまい、帰宅してからしまった参拝しておけばと後悔する事に。

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参拝記

 国道一号線沿いに今回参拝する「亀足山正覚寺」が建っています。すぐ東には名鉄常滑線の線路が走っています。目印は、名古屋工学院専門学校の建物になりますかね。

境内入口

 「西山浄土宗檀林亀足山正覚寺」と彫られた寺号標が据えられた境内入口になります。この寺号標の裏側には・・・

 「正覚寺稲荷殿」と書かれた石柱が据えられていました。どうやらここ正覚寺にはこうした石柱が設けられるほどの崇敬を集めた稲荷殿があるようです。

山門

 コンクリート造りの薬医門風の山門になります。その手前には勅願寺であったことを示す「勅願道場」の石碑が据えられていますね。

手水舎・水盤

 瓦葺木造四本柱タイプの手水舎になります。水盤の位置が奥側の柱ギリギリまで下げられて据えられ、参拝者が屋根の下に入る様になっています。これだけオフセットしないと雨の日手水をする際、屋根から落ちてくる雫を避けられないと立ち位置になってしまいまう訳ですね。

本堂

 入母屋造瓦葺平入の向拝が設けられている本堂になります。何時頃再建されたのかは不明ですがコンクリート造りの本堂となっていますね。

稲荷殿

 本堂の脇に神社の流造社の稲荷社が鎮座しています。社の前には鳥居が据えれています。実はこの鳥居は二の鳥居。

 本堂の手前に一の鳥居が据えられていて、そこから階段があり一段下がった場所に狛狐据えられ、その奥に社が鎮座しています。鳥居と狛狐の感じから、かなり参拝者が多かった稲荷殿の様な感じがします。

名古屋名所図会

 名古屋名所図会には、正覚寺の挿絵が描かれていました。現在では少し東に離れた「新堀川」(当時は精進川と呼ばれていた様です。)ですが、この挿し絵をみると、正覚寺からすぐ近くを流れていた様に見えます。正覚寺参道東側に鎮座している神社は熱田神宮摂社である鈴前社になります。現在は場所を遷座して正覚寺からは少し離れた場所に鎮座しています。元々は熱田神宮の祓所だったそうですよ。

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地図で鎮座地を確認

寺院名亀足山正覚寺
所在地名古屋市熱田区神宮四丁目七番二十二号
最寄駅名古屋市営地下鉄名城線「伝馬町駅」2番出口徒歩3分

次の目的地は?

 いよいよ熱田地区を抜けて、南区呼続にある「海底山地蔵院/紹介記事」を目指します。正覚寺からは旧東海道を走り目指すことになります。

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