寺院情報
寺院名:花林山崇心寺
鎮座地:蒲郡市水竹町下大塔四十四番地
本 尊:釈迦如来
宗 派:浄土宗西山深草派
創 建:長保二年(1000年)
H P:-
御朱印:-
沿革・御由緒
永禄五年(1562ねん)、松平元康は上ノ郷城城主の鵜殿長照を攻め立て、陥落させます。その上ノ郷城攻めに活躍したのが久松佐渡俊勝です。久松佐渡俊勝は元康の生母「於大の方」の再婚相手であり、元康の義理の父親になります。久松佐渡守俊勝は、上ノ郷城の城主としてこの地に赴任し、戦のあとの上ノ郷の領地経営を任されています。
俊勝は、崇心時本尊の釈迦如来像を厚く信仰しており、崇心寺で火葬を行い、遺骨は菩提寺であった安楽寺に埋葬されています。
この俊勝の法名が「陽光院殿前佐州華林崇心大居士」といい、この法名の中にある「崇心」の文字から、崇心寺に改称したとされています。
という事は、創建当初は寺院名が現在とは異なっていた事になりますね。
久松佐渡俊勝とは?
久松氏は現在の愛知県知多郡阿久比町にある坂部城を居城にしていた一族になります。地勢的に織田方に与していたようです。
松平広忠に嫁いでいた「於大の方」は松平氏が今川方に与することになり、離縁し実家である水野氏の緒川城近くに住み、その後、久松佐渡俊勝の元に嫁いでいきます。
俊勝は於大の方との間に三男三女の子を設けています。
永禄三年に起きた桶狭間の合戦の結果、今川方から独立を果たした松平元康の元に、俊勝は「於大の方」と子供たちと共に向かい、松平氏に与することになります。
参拝記
蒲郡市と東名音羽蒲郡ICを結ぶ「三河湾オレンジロード」の上青山交差点からほど近い場所に鎮座しているのが今回紹介する崇心寺になります。
山門は薬医門なんですが、倒壊の危険があるの為にロープが張られていて近づけないようになっています。
この山門の前には・・・
観世音弘法大師札所の石柱が建っています。
これはまた初めて聞く霊場名です・・・。寺院を回れば回るほど新しい霊場と出会うのですが、どれだけ日本人は霊場好きなんでしょうか・・・・。
寺院自体は無住になっていて、御堂の中をうかがい知ることはできませんでした。
所々瓦も飛び始めているので、近いうちに何らか修繕をしないといけないかもですね。