永尾山 勝善寺(蒲郡市坂本町) ・當国観音霊場十七番札所

寺院情報

寺院名 永尾山 勝善寺
所在地 愛知県蒲郡市坂本町深山二十六番地
御本尊 千手観音
宗 派 真言宗醍醐派
創 建 承元二年(1208年)
札 所 當国観音霊場十七番札所
御朱印
H P

参拝日:2018年11月22日

沿革・由緒

寺伝によれば、承元二年(1208年)高野山の僧侶、助源法師が熊野三社の本地をこの地に勧請したと伝えられる。

「勝善寺境内案内板」より


蒲郡と熊野三社の関係は、藤原俊成卿が竹谷、蒲形を熊野三山に寄進した上で、熊野三社を勧請して若一王子社(竹谷神社)、大宮神社を建立しています。
そして、この勝善寺が建つ場所「深山」のある坂本の地を熊野に見立て、承元二年五月、熊野別当永範が薬勝寺とうに阿弥陀仏、薬師仏、千手観音を祀り、その後鎮守として熊野神社を應永元年八二十七日に紀州熊野神社の分御魂として、勝善寺の境内に祀られた。

険しい遠い参道のため、その後遥拝所が設けられた。現在でも社有地として今も残っているそうです。
そして、享保十五年(1731年)の頃、熊野神社(現在の勝善寺)と遥拝所までを村民で石階段の参道を作り上げます。これが現在では蒲郡市の指定史跡になっている勝善寺の石階段参道になります。

熊野神社は明治にはいって蒲郡市坂本町坂口に遷座しています。勝善寺本尊の千手観音も同時に遷座したのか、神仏分離もあり熊野神社の御神体のみ遷座したのかははっきりしたことはわかりません。

地元では「坂本の観音様」と呼ばれるそうなのですが、こうやって呼ばれるようになったのも明治以降の事なんだろうとおもいます。

歴史探訪

聖山山頂のお皿様を参拝?し、次はどこに向かおうと色々と資料を調べていたら、蒲郡でもかなり山間部に位置する場所に西郡松平氏に所縁のある蒲郡市の指定史跡がある事がわかり、向かってみることにしました。

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うーん、地図を表示しようとおもっても、これ以上拡大してもどこだかさっぱりわからないので、かといってこの地図見てどこか解ったらめっちゃ地元の方なはずです。

地図上に深山という地名がある場所に、勝善寺があります。そこから南に石段の参道が伸びている形になります。

聖山の登山口をストリートビューで撮影していたのに驚いたのですが、ここ勝善寺も撮影されていました。

ストリービューの所で右側に向いてもらうと石階段の参道があります。(急激に下がっているのでストリートビューでは石段そのものは見えませんが、説明板があります。)

参拝記

どんどんと坂本地区から山にバイクで進んでいきます。
聖山の登山口に向かう道と同じく、進んでいくと木の枝や落ち葉が道に散乱しています。気にせず上がっていくと、こんな沢が。いや~こころ安らぎますね。

ん?

砂防指定地になっている様です。
やっぱりこういった沢は大雨などが降った時は土砂の流出が激しいんでしょうねえ。

境内入口

コンクリート製の階段が続く境内入口です。
元々は、この階段を上り切った場所にまで石段の参道が続いていたんだと思います。

石柱

観音霊場十七番札所の石柱になります。


蒲形陣屋の大手門跡に建つ「十王堂」にも観音霊場の十番、十一番札所の石柱があり、もしかしたら同じ霊場の札所なんでしょうか。

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蒲郡市内の寺院を巡っていると、まだまだ出会いそうな観音霊場ですね。


石段を登り切った場所にある山号も併記された寺号標になります。

手水舎・水盤

ポツンと水盤だけが置かれていました。周りの風景とあいまって物悲しい感じですねえ。

本堂

正面から本堂を望みます。
入母屋造瓦葺平入向拝が設けられた廻縁のある本堂になります。

さて、この建物、勝善寺と寺院に建っているのが解っているので本堂と書いていますが、これが神社にあったら・・・100%違和感なく拝殿と書いている自信があります。由緒を調べて、元々は熊野神社だったので、当時の社殿を利用している可能性がありますね。

ただ、参拝した時は由緒までは調べておらず、寺院だと聞いていたのに、なんで神社が鎮座しているんだ?と扁額を確認するまで神社だと思ってました。

ではこちらの写真を。拝殿の後ろに妻入りの本殿(覆殿)がある神社の様に見えませんか?
寺院様式ではなく、神社様式に乗っ取った形の本堂なんですよね・・・。やっぱり元は熊野神社の社殿なのでは・・・。

しかし、扁額をみると勝善寺と書かれています。

神社じゃない・・・。

鐘付き堂

コンクリート造りの鐘付き堂になります。
現在吊られている半鐘は近年作られた物ですが、元々は「第十六代熊野別当・永範(長範)が承元二年(1208年)に鋳造したものを、第十九代熊野別当・行範が寛喜二年(1230年)に再鋳した梵鐘」が吊られていました。

永禄五年(1562年)上ノ郷城落城の際に、この勝善寺も戦火を受け炎上、この鐘も土の中に埋没しましたが、文化年間(1804-1818年)にこの地で掘り出され、鐘突き堂に吊られていたそうです。

こんな所でも歴史の繋がりがでてきますね。予定していない歴史の繋がりを発見できるとうれしいですね。

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現在では、国の重要文化財指定を受け、蒲郡市博物館で保管されています。

「愛知県下で最古の半鐘」なんだとか。

勝善寺参道石段

勝善寺の境内とは山道を挟んでふもとまで伸びています。
真直ぐに約30度の急傾斜で下がる石段で、最上部と下段部は道路敷設や砂防ダム建築などで失われているが、現在でも147段が当時のまま残っており、その距離は89.3メートルもあります。

一段一段が非常に高く、自分が試しに上り下りをしてみたのですが、ものすごく辛い。これを300年前の人達が造り、上り下りをしていたと思うと、改めて当時の人達はすごすぎると思ってしまいます。

下から石段を撮影しても、石の壁があるようにしか見えないのですが・・・。
これがすべて階段になっています。

遥拝所からこの辛い石段を登って境内まで歩くより、山道で非常に遠回りしながら向かう方が辛かったんですよね・・・。聖山で経験したような山道が続くなら自分は遥拝所から参拝するだけで境内まで行かなかったと断言できます。

参拝を終えて

この坂本地区も蒲郡蜜柑の栽培が非常にさかんな所で、勝善寺に向かう山道の両脇にも黄色く色づいた蜜柑が大量に成っていました。そのミカン畑の先には、遠く三河湾を望むことができます。

こういった、三方を山に囲まれたこんな感じの地形が熊野三山を彷彿とさせるのでしょうか。
熊野三山も参拝したことがないので、一度は参拝しに行きたいですね。

次の目的地は?

勝善寺の地にあったという熊野神社。明治に入り麓に遷座したという事で、次はその熊野神社を目指します。

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