寺院情報
寺院名 | 海平山 光昌寺 |
所在地 | 蒲郡市三谷町七舗65 |
御本尊 | 釈迦牟尼仏 |
宗 派 | 曹洞宗 |
創 建 | 永長元年(1097年) |
札 所 | 三河新四国霊場 四十七、四十八番札所 東三新四国霊場 五十七番札所 |
御朱印 | 〇 |
H P | - |
参拝日:2019年5月16日
三河新四国霊場札所一覧はこちらから
沿革・由緒
由緒の詳細は不明ですが、「愛知県宝飯郡誌」の三谷村の項目に「海平山 光昌寺」の開基は永長元年正月とあります。この開基の年月が正しければ、まだ日本に曹洞宗は存在していなかったので、創建時には曹洞宗ではなく、天台宗なり真言宗だったのではないかと思います。その後、どこかの時点で改宗中興が行われたのでは。
三河新四国霊場を行く
前回から三河新四国霊場「蒲郡エリア」の札所を巡っています。
四十五、四十六番の札所「弘法山金剛寺」の参拝し、JR東海道線「三河三谷駅」近くにある三河新四国四十七、四十八番札所「海平山 光昌寺」を目指します。
光昌寺の近くには、山車の海中御渡で有名な三谷祭りの西宮となっている八剱神社が鎮座しています。
参拝記
国道23、247号線から光昌寺の参道へ分岐する交差点があります。札所案内の看板が出ているのでわかりやすいかと思いますが、結構流れが速い道路になるので、看板を見つけて慌ててブレーキを踏まないように気を付けてください。で、その交差点には、写真の通り石柱門が建っています。この石柱門の間を抜けて境内に向かっていくのですが、大型の車だとちょっと狭いかもしれませんね。
境内入口
境内入口から軽く上り坂の参道があり、登り切った場所には鐘楼門が建っています。
この写真を見て頂くとわかりますが、お墓参りの方なんかは、この参道を車で登っていき、鐘楼門を潜っていくようです。
まだ、参道の両脇には幟立石が据えられています。寺院でこの幟立石を見かけるのは希少なのかもしれませんね。
札所案内石柱
幟立石の脇には「三河新四国四十八番札所」と彫られた札所案内石柱が据えられています。が・・・、ここ光昌寺は四十七番、四十八番の札所になっているわけで、四十七番札所の石柱は?
十王堂
光昌寺の参道脇には十王堂が建っています。写真の奥に移っているのはかなりレトロな車ですね。まだナンバープレートが付いているので現役っぽいです。
この記事を書いていて、ふと思ったのですが、その昔、この十王堂が四十八番札所になっていた・・・ってことがあったら、この十王堂の前に札所案内の石柱が建っていてもおかしくないのですが・・・・、でも、どっちにしても四十七番札所の案内石柱はいずこ?
十王堂は、こうして霊場を巡っていても、色々な寺院で出会います。閻魔大王以外の名称が分からない為、詳しいことが書けないのが残念です。仏像をみてすぐに名称が出てくるようになりたいものです。
三十三観音堂
参道を進んでいき、鐘楼門の手前には、参道の両脇に西国三十三観音の写し観音堂が据えられています。
鐘楼門
コンクリート造りの鐘楼門になります。
寺院を参拝していると、たまに出会う一間一戸鐘楼門なんですが、木造だと非常に不安定な印象を抱いてしまうのですが、コンクリート造りとなり、柱、貫ともこれでもかと太くなっている為か、どっしりとした印象をうけます。
この鐘楼門の下を参拝される方達の車が走り抜けていきます。木造のこの形状の鐘楼門の下を車が走っていく事はまずありえないので、なんだか不思議な感じです。
本堂
入母屋造瓦葺平入の本堂になります。向拝や濡れ縁が設けられていない為か、非常にすっきりとした印象を受けます。こうやって見てると、向拝のあるなしで本堂からうける印象が非常に変わることを改めて認識させて頂きました。
この本堂の中に、四十七番札所の大師像が安置されているのかな?と思っていたらどうも違うようです。
大師堂
本堂の対面に建っているこちらの建物に、三河新四国四十七番、四十八番の札所案内板が掲げられていました。どうやらこちらに両札所の大師像が奉安されているようです。
こちらの大師像の外陣部分は土間となっていて、納経所も置かれていました。(こちらはセルフ朱印になります。)
様々な大師像が奉安されています。
ここ光昌寺で感じたのですが、知多四国など巡っていてもお顔は個体差があるとしてもほぼお姿は同じだったと記憶しているのですが、三河新四国霊場の弘法大師像って札所ごとにお姿がバラバラなんでしょうか。いや、本来は逆で、札所ごとにお姿が異なっているのが本来の形であり、霊場でほぼ同じお姿にするのがおかしいのか・・・。もっと色々な霊場を巡ってこういった疑問を解決できる知識がほしいですねえ。
「南無大師遍照金剛」「南無大師遍照金剛」「南無大師遍照金剛」・・・
光昌稲荷
本堂脇に赤い鳥居が非常に目を引く鎮守社でもある光昌稲荷が鎮座しています。光昌寺の参道の両脇にも「光昌稲荷」の幟がはためいていて、この三谷地区の方達の崇敬を集めている稲荷社なんだと思います。
法王殿
本堂と稲荷社の間を抜けていくと、宝形造の御堂が建っています。
御堂の前には「法王堂建立記念」と彫られた石碑が立っています。こちらはどういった建物なんでしょうか。法王堂とは一体・・・。
写し四国八十八ヶ所
こちら光昌寺には、境内の一番外側をぐるっと回る感じで写し四国八十八ヶ所(ミニ四国霊場)があります。祠をよく見ると様々な形状でまったく統一感がありません。
そのミニ四国霊場の脇には
昭和十四年に四国西国秩父坂東巡拝と彫られた記念石柱が建っています。
本四国霊場、西国観音霊場、秩父観音霊場、坂東観音霊場を指すんだと思います。
結願寺は、秩父観音霊場三十四番札所「日沢山水潜寺」となり、結願後、長野県の善光寺にお礼参りを行うのが通例となっているんだとか。
四国西国秩父坂東巡拝をすると石碑を奉納する慣習があったのかわかないですが、他の寺院でもこういった感じの石碑をめにしました。特に、西尾市市東幡豆町にある「養寿院」には西尾市の指定文化財にもなっている「梅田文左衛門の納経帳」が収められていた廻国塔があります。この影響なのか、巡拝記念の石碑が何基か奉納されています。
庚申塚
境内の一角に設けられた庚申塚になります。
色々な庚申塚を見てきましたが、こんな感じで奉安されている所は初めて出会いました。こうやって奉安している所は、庚申塚ではなく青面金剛童子像を奉安されている所が多いかと思います。
御朱印
参拝を終えて
光昌稲荷の御堂の中に掲げられていた由緒書き。
この中に、長泉寺の名前が出てきます。江戸時代の頃伏見稲荷から勧請し分霊を賜ったとあります。写真撮り方が悪く読み取れない場所が多々あり読み切れていないのですが、稲荷大明神として「吒枳尼真天」が奉安されているようです。
廃寺になる前の伏見稲荷大社の神宮寺であった「愛染寺」から稲荷大明神の分霊を受けたのかも。
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やはり、旅先の情報はネット検索もいいですが、るるぶなどの旅行ガイド雑誌が一番ではないかなと思います。ネット情報はどうしてもディープになりがちで、いざ旅行に行こうと思っても、俯瞰的な情報が不足しがちな気がします。
やっぱり、"るるぶ"を見ながら、旅の予定表を作っていくのも、旅行の醍醐味ですよね。
所在地を地図で確認
寺院名 | 海平山 光昌寺 |
所在地 | 蒲郡市三谷町七舗65 |
最寄駅 | JR東海 東海道本線「三河三谷駅」徒歩5分 |
寺院・霊場巡りの際のバイブルに
元々、当サイトは神社巡りを通じて、皆様の住んでいる所にある"村の鎮守の神様"と呼ばれる神社を紹介してくサイトを目指していたんです。むしろ寺院については、縁遠いものとおもっていたんですよね。しかし、ちょっとした御縁で弘法大師霊場に出会い、そして愛知県では一番活動が盛んな"知多四国霊場"を巡礼、結願する事になりました。でも、神社の事はある程度知識があっても、寺院については未知の世界だったので、少しでも巡礼の時に役に立てばと思い、こちらの本を読ませて頂いております。
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少しでも巡礼の時にお役に立てる事もあるかと思います。是非一度読んでみてくださいませ。
次の目的地は?
三河新四国霊場47,48番札所「海平山光昌寺」を後にして、次は蒲郡駅前にある49,50番札所「厳松山 善応寺」を目指します。