寺院紹介
ONE POINT
神路山総持寺は平安時代の嘉祥三年(850年)に三河国二宮であった「知立神社」の別当寺として建立された神宮寺七坊の玉泉坊が起源となる天台宗の寺院になります。その後、明治時代の神仏分離により神宮寺であった総持寺は廃寺となってしまい、本尊などは「神前山了運寺」に移されています。その後、昭和二年(1927年)に現在の境内地にて再建しています。
寺院概要
寺院名 | 神路山総持寺 |
所在地 | 愛知県知立市西町新川四十八 |
御由緒
神路山 総持寺は、三河国二宮「知立神社」の別当寺として創建されています。
嘉祥三年(850年)、慈覚大師円仁が巡錫でこの地を訪れた際、毒蛇に噛まれ重篤となり知立神社に祈願したところ忽ち治癒しました。大師は神意に感謝し、別当寺院となる神宮寺を開いたと伝えられています。この時創建されたのが神宮寺七坊であり「玉泉坊、西林坊、一乗坊、宝蔵坊、小泉坊、吉祥坊」などが創建されたそうです。
総持寺は、塔頭の一つ玉泉坊が承応二年(1653年)、当時の住職宥海が寛永寺住職天海大僧正に師事したことから寛永寺の末寺となり寺号を現在の総持寺に改めました。
創建の経緯もあり、当時から神仏習合してきましたが明治時代初頭に発令された神仏分離令により住職が知立神社の神官となったため、廃寺となります。その後昭和二年(1927年)に再興され現在地に境内を移して堂宇も再建されました。
又、徳川家康の次男である「結城秀康」を産んだ側室「お万の方」は知立神社の神官氷見氏一族から出たことからお万の方の生誕地とされ、境内入口に石碑が建立されています。
当ブログでは、知立神社の神宮寺七坊所縁の寺院を紹介してきています。
それが、知立三弘法の一番札所「亀岳山 宝蔵寺」、二番札所「神前山 了運寺」になります。現代まで残った神宮寺七坊の内3坊が、それぞれ宗派を改宗しながらも、弘法大師霊場の札所になっているという所に何か感じてしまいますね。
創 建 | 嘉祥三年(850年) |
宗 派 | 天台宗 |
御本尊 | 流汗不動明王 |
霊 場
- 三河新四国霊場 一番札所
- (旧)三河新四国霊場 五十八番札所
- 三河白寿観音霊場 七番札所
- 三河三不動霊場 一番札所
文化財
国 宝 | |
国指定 | |
県指定 | |
市指定 町指定 村指定 | 愛染明王像 |
文化財
御朱印 | 〇 |
URL | ー |
駐車場 | 〇 |
参拝日 | 2019年6月12日 |
三河新四国霊場を行く
いよいよ、三河新四国霊場遍路の旅も一番札所である「神路山 総持寺」にやってくることができました。札所順でもなく、自分がいける範囲から遍路を始めた結果、めっちゃ不規則な遍路になってしまったなと思うのですが、この廻り方だからこそ、総開帳の期間中にすべて回れたんだろうと思っています。
2019年に最初に参拝したのが、知立三弘法でした。由緒の所でも紹介しましたが、知立三弘法の 宝蔵寺と了運寺は、総持寺と共に知立神社の神宮寺七坊だったという縁があり、現在でも知立神社、そして総持寺とは非常に近い位置関係となっています。知立三弘法も是非廻られる事をお勧めします。
参拝記
総持寺の南側を名鉄知立駅から国道一号線方面に抜ける市道が通り、その市道沿いには、三河新四国霊場の案内看板と共に、参拝者用駐車場が設けられた総持寺の入口があります。
今回参拝する総持寺は、北向きの本堂を有する寺院でして、駐車場のある南側が総持寺の裏手側になっています。その為、車で遍路されている方は、こちらに車を停め、裏門から境内に入り参拝する事になります。
裏門
駐車場から本堂の脇に通じる通用門(裏門)になります。
唐門と呼ばれる造りの門になりますね。この辺りの寺院では少数派の門の様式ではないでしょうか。全国的にも唐門は少ないかもしれませんね。
正面境内入口
総持寺北側の正面入り口になります。
境内入口には、竜宮門の山門とその他石柱が建っています。
石柱
境内入口に据えられている石柱標になります。
向かって右側には、「弘法大師御自作知立不動尊」、「三河新四国三不動一番札所霊場」という石柱標に並んで、写真だと少しわかりにくいのですが、「徳川秀康之生母 於萬之方誕生地」と彫られた石碑も据えられています。
向かって左側は「天台宗門宗 流汗不動 総持寺」と彫られた石柱標が据えられています。
現在総持寺が建つ場所は、以前は知立神社の神官だった「永見氏」の館跡ではないかと言われています。元々の総持寺は、現代の場所とは異なる処に境内地があり、昭和の復興の際、現在の境内地に移転再興したことは由緒の所にも書かれている通りです。ちなみに、神仏分離令によって、神宮寺が建っていた場所などは神社から切り離され、国が接収するか民間に払い下げられてしまった様です。
で、当時の永見氏当主「永見吉英」の娘として生まれたのが、石碑に刻まれている様に、徳川家康の次男である「結城秀康」を産んだ「於萬(お万)の方」になります。一説では徳川家康の正室「築山御前」の侍女だったが家康の手つきとなり、側室として秀康を産んだとも言われていますが、真偽の程は・・・。
山門
竜宮門の山門になります。土台部分はコンクリート造りでその上に木造の二階部分が設けられたハイブリッド構造になっています。
門には「了博門」と書かれた扁額が掲げられています。
手水舎
コンクリート造瓦葺四本柱タイプの手水舎になります。山門と同時期に作られたのではと思います。よく見ると屋根の垂木などは木製なので、手水舎もハイブリッド造といえるのかもしれません。
本堂
入母屋造瓦葺妻入りの唐破風付きの向拝が設けられた本堂になります。
非常に奥行きのある本堂になっています。
中央には本尊である不動明王が奉安され、善の紐が伸びた先には弘法大師像が奉安されているようです、かなり奥行きがあってしっかりと確認できてないので、憶測になってしまいますが。
「南無大師遍照金剛」「南無大師遍照金剛」「南無大師遍照金剛」・・・
愛染堂
総持寺の境内には、現在の知立神社にある「多宝塔」の中に祀られていたという「愛染明王」が奉安されている愛染堂が建っています。
何度も言いますが、総持寺は明治維新後の神仏分離令の際廃寺されてしまっているので、総持寺復興するまでは、知立三弘法二番札所である「神前山 了運寺」にて奉安されてきました。愛染明王の他にも元々神宮寺時代の総持寺の仏具なども了運寺にて保管されていた為、再建に際して移されたそうです。
白寿観音
本堂前には三河白寿観音七番札所の白寿観音像が据えられています。
御朱印
参拝を終えて
愛染堂の前に奉安されていた不動明王になります。
この不動明王の周りには様々なお地蔵様が据えられていて、更に、狛犬がいます。
この不動明王と狛犬の組み合わせは非常に珍しいかな。
雑誌・マンガに加えて旅行雑誌の定番"るるぶ"も月額500円(税抜)で読み放題!
やはり、旅先の情報はネット検索もいいですが、るるぶなどの旅行ガイド雑誌が一番ではないかなと思います。ネット情報はどうしてもディープになりがちで、いざ旅行に行こうと思っても、俯瞰的な情報が不足しがちな気がします。
やっぱり、"るるぶ"を見ながら、旅の予定表を作っていくのも、旅行の醍醐味ですよね。
所在地を地図で確認
寺院名 | 神路山 総持寺 |
所在地 | 知立市西町新川48 |
最寄駅 | 名古屋鉄道 名古屋本線「知立駅」徒歩12分 |
寺院・霊場巡りの際のバイブルに
元々、当サイトは神社巡りを通じて、皆様の住んでいる所にある"村の鎮守の神様"と呼ばれる神社を紹介してくサイトを目指していたんです。むしろ寺院については、縁遠いものとおもっていたんですよね。しかし、ちょっとした御縁で弘法大師霊場に出会い、そして愛知県では一番活動が盛んな"知多四国霊場"を巡礼、結願する事になりました。でも、神社の事はある程度知識があっても、寺院については未知の世界だったので、少しでも巡礼の時に役に立てばと思い、こちらの本を読ませて頂いております。
少しでも巡礼の時にお役に立てる事もあるかと思います。是非一度読んでみてくださいませ。
次の目的地は?
いよいよ、三河新四国霊場遍路企画も最後のお礼参りを残すのみとなりました。