
寺院情報
寺院名 | 覺樹山西林寺 |
所在地 | 愛知県西尾市吉良町瀬戸宮西三番地 |
御本尊 | 阿弥陀如来像 |
宗 派 | 浄土宗西山深草派 |
創 建 | 不明(開山は文明三年) |
札 所 | 三河海岸大師 八十四番札所 三河坂東観音 五番札所 東条吉良観音 二十六番札所 |
御朱印 | ー |
H P | ー |
参拝日:2018年5月21日
沿革・由緒
幡豆郡横須賀村誌によると、
「傳教大師の開基なりと伝わる。往古は醫王山瑠璃光院と称し須美にありて天台宗たり。室城主富永家累世の香花所にして殿堂完備し、采地三百貫文を領有したり。寛正二年、堂宇焼失し今の地に一寺を建立し。崇徳寺天祐の高弟念信を講じて浄土宗とし西林寺と改める。永禄に及び兵火に罹り、またこの如くならず。」
とあります。
以前紹介した吉良町寺嶋にある「不動山大通院/紹介記事」も富永氏の菩提寺であると紹介しています。須美にあった時代は西林寺が菩提寺で、焼失してしまった為、大通院に菩提寺を変更したように思えます。
東条吉良家の家臣であり「室城/紹介記事」主であった富永氏の勢力圏が額田郡の須美にまで及んでいた事がこの事からも伺い知ることができます。吉良家から見たら新興勢力である松平氏の勢力圏が富永氏の勢力圏のすぐ北迄進出してきており、同じ今川陣営に属している時は問題は発生しなくても、対立した時にはまさに最前線に位置する場所であった事が見えてきます。
参拝記
西尾市吉良町瀬戸に鎮座する瀬門神社と境内を接する場所に鎮座するのが西林寺になります。
現在ではアイシン高岡の工場などの工場団地が寺院目の前に作られている為、無住の寺院なんですが比較的開放的な雰囲気がある寺院だとおもいます。
山門脇には、西尾市の天然記念物の大椎がそびえています。
パワースポットという言葉はあまり好きではないんですが、ここの大椎を見ていると何か感じるものはありますね。それを気を感じるとかパワーを感じるとか取り方は人ぞれぞれですが、自分の中でこういった大木を見て何か思う事が大切なんだと思いますけどね。
案内板にはこの辺りはスギや椎が生い茂っており、この大椎が西端に当たることから覚樹山西林寺と称したといわれているそうです。ちなみに樹齢は700年
まさに、南北朝時代・・この辺りに足利氏が進出してきて、吉良氏が誕生しこの辺りを納めていったあたりからこの場所を見守り続けていたんですね。富永氏はもちろんの事、今川義元や徳川家康もこの大椎を見上げていったんですかね。
扉のない四柱門の山門になります。四柱門の中でも質素な造りの方かなと思います。
切妻瓦葺妻入りの向拝が設けられた本堂になるんですが、造り的に仮本堂と言われてもおかしくない簡素な造りになっています。
本堂扉は無住の為、固く締められていています。
本堂裏の崖の上に鎮座する鎮守の祠にですね。何が祀られているのかは不明です。
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所在地を地図で確認
寺院名 | 覺樹山西林寺 |
所在地 | 愛知県西尾市吉良町瀬戸宮西三番地 |
最寄駅 | 名古屋鉄道西尾線「上横須賀駅」徒歩32分 |
寺院・霊場巡りの際のバイブルに
元々、当サイトは神社巡りを通じて、皆様の住んでいる所にある"村の鎮守の神様"と呼ばれる神社を紹介してくサイトを目指していたんです。むしろ寺院については、縁遠いものとおもっていたんですよね。しかし、ちょっとした御縁で弘法大師霊場に出会い、そして愛知県では一番活動が盛んな"知多四国霊場"を巡礼、結願する事になりました。でも、神社の事はある程度知識があっても、寺院については未知の世界だったので、少しでも巡礼の時に役に立てばと思い、こちらの本を読ませて頂いております。
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