半田市 知多四国八十八ヶ所

亀宝山 東光寺(半田市亀崎月見町) 知多新四国霊場 番外

2018年11月30日

令和四年新企画のお知らせ

新企画「愛知県下新十名所」

 新愛知新聞社が昭和二年(1927年)に「愛知県の新十名所を読者投票で決定する。」というイベントを実施します。愛知県下を狂気の投票合戦へと誘ったこのイベントへの投票総数は驚異の1400万票以上。また、100票以上の投票を集めた名所候補は67カ所にも上ります。2022年、当サイトではこの67ヵ所の名所を巡り紹介していこうと思います。

寺院情報

寺院名 亀宝山 東光寺
所在地 半田市亀崎月見町三丁目十四番地
御本尊 阿弥陀如来
宗 派 西山浄土宗
創 建 明治三十三年(1900年)
札 所 知多新四国霊場 番外
御朱印
H P

参拝日:2018年5月23日

知多新四国霊場公式ホームページのご紹介


http://chita88.jp/

沿革・由緒

開山は明治三十三年(1900年)、三河平坂出身の実空誠感上人で、久田文七氏所有の現在地に説教所を設けられ、以後、明治三十六年、和歌山市永山にあった東光寺から寺号山号を移して、寺院として創建された。
弘法大師の一代を年ごとにあらわしたほぼ等身大の木像・年弘法が祀られている。弘法大師誕生、中国へ渡った時の姿、口・手・足に5本の筆を持つ姿などが並ぶ。本来は62体あったが1945年の大地震で被害を受けてその後できる限り修復したが、現在は45体となっている。

「知多四国めぐり」より

知多四国霊場を行く

五十四番札所「亀嶺山 海潮院」を後にし、亀崎小学校の南側にある知多四国霊場番外「亀宝山東光寺」を目指します。途中、住宅地の中を抜けていくので、少々道に迷うかもしれませんね。

右手に登っていく石段が東光寺の正面参道になります。
上り坂を登りきった右手には、亀崎小学校があります。

参拝記

地図を見て頂くと、海潮院(ランドマークは出てませんが、神前神社の隣です。)から結構近い場所に東光寺が鎮座していることがわかりますね。

東光寺の創建が明治三十三年という事で、廃仏毀釈や神仏分離策が行われた後に、新たに寺院を創建しようという事もすごいと思いますし、それが番外とはいえ知多四国霊場の納経帳に載っている事がさらに凄いことだと思います。

境内入口

境内に向かって、石段が伸びています。
この石段の脇に、

なにやら、東光寺前の坂道を「弘法坂」というらしく、それを題材にした俳句(川柳?)が書かれた板が掲示されていました。「弘法坂 歴史がわかる 東光寺」「落葉の 構造坂を ねこあるく」

中々怖い車用の通路脇に建っている赤い灯篭が据えられています。

山号柱

石段を登り切った場所に建っている「亀宝山」と彫られた山号柱になります。

手水舎

瓦葺の支柱のある二本柱タイプの手水舎になります。

本堂

入母屋造妻入りの本堂の前面にせり出す様に納経所を増築させた本堂になります。

本堂の出入り口が2個所設けられているので独特の外観を更に際立たせています。

本堂の鴨居上に大師像が安置されています。

本四国写・九十一体弘法


大正三年に本堂の鴨居上に本四国九十一ヶ寺写しの本尊と弘法大師が祀られています。

この弘法大師像を拝見するだけでも一見の価値があります。

年 弘法堂

こちらの弘法堂には・・・

弘法大師の一生を描いたという弘法大師像が四十五体安置されています。
1945年の地震で破損してしまうまでは、弘法大師の年齢と同じ六十二体の大師像が安置されていたそうです。

中々壮観な大師像ですね。

年弘法堂に掲げられいた扁額・・・なんて読むんですかね・・・。

弘法堂

本堂脇に切妻平入向拝の設けられた弘法堂があります。
この弘法堂には、三体弘法大師像が安置されています。

向かって右から

・招福大師:五鈷杵をもっている大師像です。
・日限大師:宝珠をもってみえる大師像です。
・厄除大師:宝剣を持つ大師像です。

 

「南無大師遍照金剛」「南無大師遍照金剛」「南無大師遍照金剛」・・・

御朱印

参拝を終えて

年弘法像は非常に圧倒されます。
もしかしたら、番外は回らない方もいらっしゃるかもしれませんが、是非、この東光寺の弘法大師像を拝見してほしいと思います。見入ってしまいますよ。

次の目的地は

番外「亀宝山 東光寺」の参拝を後に、次に番外の「清涼山 海蔵寺」を目指します。

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