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鷲頭山長寿寺(名古屋市緑区大高町) 知多四国霊場八十七番札所

2019年12月28日

令和四年新企画のお知らせ

新企画「愛知県下新十名所」

 新愛知新聞社が昭和二年(1927年)に「愛知県の新十名所を読者投票で決定する。」というイベントを実施します。愛知県下を狂気の投票合戦へと誘ったこのイベントへの投票総数は驚異の1400万票以上。また、100票以上の投票を集めた名所候補は67カ所にも上ります。2022年、当サイトではこの67ヵ所の名所を巡り紹介していこうと思います。

ONE POINT

名古屋市緑区にある鷲津砦跡に隣り合う様に鎮座する「鷲頭山長寿寺」の紹介です。知多四国霊場と知多西国観音霊場の札所となっています。特に知多四国霊場では現代の交通事情から結願寺となる方が多いのでは。

寺院紹介

寺院概要

寺院名鷲頭山長寿寺
所在地名古屋市名古屋市緑区大高町字鷲津山十三番地

御由緒

 織田信長と今川義元が衝突した「桶狭間の合戦」に至るまでに、今川義元は織田氏の家臣であった「鳴海城」の城主「山口教継」を調略で織田家から離反させ、さらに山口教継の調略により「大高城」と「沓掛城」を手に入れています。これにより、今川氏の勢力は三河国を超えて尾張国の大高周辺にまで伸びてきている事になります。この今川方の脅威に対して信長はいくつかの砦を構築し大高城に圧力をかけています。その中で特に有名なのは、大高城と鳴海城の連絡を遮断するために構築されたとする「丸根砦」「鷲津砦」です。

この「鷲津砦」のすぐ近くに立っていたのが、今回納経する「鷲頭山長寿寺」の前身ともいえる「鷲巣山長祐寺」になります。

永禄三年五月十九日の午前中には「鷲津砦」は、今川軍の「朝比奈泰朝」によって攻め落とされてしまいます。が、その日の正午過ぎに「桶狭間の合戦」が起き、今川義元は討ち死にし今川軍は敗走を始めます。鷲津砦を落とした「朝比奈泰朝」も砦を放棄し撤退しています。

信長本体が清州城から熱田神宮を経由して桶狭間に向かう時、はるか前方「鷲津砦」「丸根砦」の兵火が見えたと言われています。この事から、鷲津砦の周囲は、攻め込む今川方によって火がつけられていた事がわかります。その中で、「鷲巣山長祐寺」も灰燼に帰してしまっています。ただ、本尊である観世御菩薩像は焼失をまぬかれたと由緒には残っているようです。

その後、延宝八年(1680年)、尾張藩家老職「志水甲斐忠時」祖母「長寿院元操尼」の遺命により、鷲巣山長祐寺跡地に尾張藩主徳川光友より援助をうけ (寺域拡張の許可と寺領百石賜る)、天和二年(1682年)一大伽藍を備えた寺院を建立。春日井郡三淵村に臨済宗黄檗派(現在の黄檗宗)の「紫金山慈眼寺」を開山した越伝和尚を招聘し中興開山として宇治黄檗山を模倣した多くの堂舎僧坊を造営した。そして、寺名を祖母の法名に因み「長寿寺」と改めた。その後故あって元禄4年(1691年)石梯道雲の代に臨済宗永源寺派へと改宗しています。

紫金山慈眼寺とは

 灰燼に帰してしまった「鷲巣山長祐寺」を中興開山した「越伝和尚」がそれ以前に春日井郡三淵村に開山創建した寺院が「紫金山慈眼寺」になります。この慈眼寺を長祐寺の跡地に移設させたのか、それとも新たに同じ慈眼寺という寺名で建立したのか・・・この辺りの伝承が資料によって異なってきています。

 Wikipediaなどを見ると、慈眼寺を長祐寺跡地に移設させた上で、伽藍を整備し寺名を長寿寺に改称した。としている一方で、戦前に書かれた「東春日井郡誌」によると、「紫金山慈眼寺」は 越伝和尚 が去った後、無関が後を継いだが、後継がいないまま程なく無くなってしまった。そして、元禄二年(1689年)、荒廃していた慈眼寺の地に東山天皇の勅命によって曹洞宗の「青松山正眼寺」が移転する事になり、慈眼寺は廃寺とされます。その後、越伝の弟子である「炭伝和尚」が慈眼寺廃寺の事を聞き、現在の地に一宇を建立し、尾張藩の許可を得て「紫金山慈眼寺」を復興した(現在でも春日井市に存在。)と書かれています。

長寿寺は江戸時代までは志水家の菩提寺となっていて、一般の檀家を持たない寺院だったそうです。今での志水家の九代目から十四代目までの墓石があるそうです。

太平洋戦争の空襲によって伽藍がすべて灰燼に帰してしまし、史料が残っておらず詳しい事がわからなくなってしまっています。ただ、「尾張名所図会」には長寿寺の様子が描かれているので、当時の繁栄ぶりがわかるかと思います。

天目山密蔵院

 三河新四国霊場三番札所、三河三弘法三番札所となっている刈谷市にある「天目山密蔵院」が安永三年(1774年)に雷火により焼失してしまった。その後、長寿寺二世が大師堂とともに密蔵院を再建、臨済宗に改宗の上、中興開山しています。

鷲頭山長寿寺の紹介

創 建不詳
宗 派臨済宗永源寺派
御本尊阿弥陀如来

大高村字鷲津山に在り。臨済宗江州(現在の滋賀県)永源寺末なり。創建詳ならず。初め鷲巣山長祐寺と称し、無本寺たり。永禄年中、織田氏、今川氏の兵屢(しばしば)この地に戦い堂宇皆灰燼に帰し、観音大士像を存すと云ふ。
延宝八年本村地頭志水忠時祖母長寿院橘氏の遺命により之を国侯徳川光友に聞し殿堂を経営す。天和二年成る山門の伽藍の巨大境地の風地一に宇治黄檗山の講様に壮麗美観と一州に冠たり乃ち熱田大宮司蔵する所の阿弥陀仏を安置し本尊となし、改めて今の山寺号とし黄檗派の僧越傳を以て開山とせり。元禄四年十一月忠時石梯和尚をして住職たらしめ派を改めて今の臨済宗となす。之を開派一世とす、以て相継て名僧を出しその名甚高し。

明治二十六年発刊「尾張国知多郡誌

霊 場

文化財

国 宝
国指定
県指定
市指定
町指定
村指定

参拝情報

御朱印
URL
駐車場
参拝日2018年12月5日

知多四国霊場を行く

いよいよ、知多四国霊場遍路の旅も最後の札所となります。

知多四国霊場八十八番札所「瑞木山円通寺」を後にして、県道23号線を北上していきます。東海道線と東海道本線をアンダーパスしてT字交差点になるので、突き当りを左折して県道50号線を道なりに進んでいくと、右手に今回納経する「鷲頭山長寿寺」が見えてきます。

現在の交通事情で考えると、八十七番札所と八十八番札所の位置関係が反対じゃない?とおもってしまいますが、明治時代に作られた地図を見ると、八十六番札所「大悲山 観音寺」から八十八番札所「瑞木山 円通寺」に向かうには大高を経由する道しか存在していないので、この札所の位置関係であっている訳ですね。

由緒にも書きましたが、大高城を巡る戦いと桶狭間の合戦の地という織田氏と今川氏の戦いの最前線に位置している場所に長寿寺も建っています。意図せずに鷲津山が戦いの最前線になってしまった為、一度は灰燼に帰してしまいほぼ廃寺に近い状態になってしまっている訳ですが。

長寿寺の裏手は、「鷲津砦跡」となっています。「丸根砦」も歩いていける距離にありますので、長寿寺に納経した際には、両砦跡も訪れてみてください。

参拝記

JR東海道本線「大高駅」からほど近い場所にあるのが今回納経する「鷲頭山長寿寺」になります。門前には「東海道本線」と「東海道新幹線」の線路が南北に走っています。何気に車窓から長寿寺を見たことがある方は多いかと思います。
当時は何も思わなくても、知多四国霊場と出会い、長寿寺にたどり着くと「あっ、ここのお寺が札所なんだ。」と気付く方が多いかと。そんな自分もそうでしたので・・。

ストリートビューを見るわかりますが、門前はかなり広くとられていて、駐車場はこれでもかと用意されています。

札所案内石柱

「新四国八十七番長寿寺」と彫られた知多四国霊場の札所案内石柱になります。

山門

コンクリート造りの鐘楼門になります。木造だともっと間口が狭くなるとおもいますが、この辺りはさすがコンクリート造りといった所ですね。

手水舎・水盤

木造瓦葺四本柱タイプの手水舎になります。
かなりどっしりとした印象を受ける手水舎です。

本堂

山門から本堂に向けて石畳敷きの参道がまっすぐ伸びています。

寄棟造瓦葺平入の向拝が設けられたコンクリート造りの本堂になります。
コンクリート造りなのですが、造形などは木造に準ずる様に作られていて、見て安心する事ができる本堂だなと思います。

大師堂

宝形造瓦葺の向拝が設けられている大師堂になります。
こちらの大師堂は、堂内に入ることができ、外陣部分は土間造となっています。

「南無大師遍照金剛」「南無大師遍照金剛」「南無大師遍照金剛」・・・

鎮守社

長寿寺の脇には「高蔵坊稲荷社」が鎮座しています。
鳥居脇の説明板によると・・・

鷲津山のふもとにあるここ長寿寺の伝説です。
昔むかし、寺が傷んできても修理ができず、住職の高蔵坊は困っていました。
その頃、この山に一匹の狐が住んでおり、住職はこの狐をとても可愛がっていました。いつしか住職の嘆きを知った狐は、ある日突然姿を住職に変え、村々を巡ってこの寺の後利益を説いて廻りました。
その結果、各地からお参りの人々がつぎつぎと訪れる様になり寺は立派に修理できたということです。
村人はその狐を高蔵坊狐と呼び、ますます可愛がりました。その後、村人は御堂を建て、この狐を祀りました。

こんな伝説が残っている鎮守社になります。

三十三観音堂

西国三十三観音の写し観音堂になります。
中々立派な観音堂です。

御朱印

参拝を終えて

納経を終え、納経所にて朱印を頂き、納経帳にすべての札所の朱印が押印されました。ちょっとした切っ掛けから始まった「知多四国霊場遍路の旅」も七か月半という長い時間を掛けながら結願する事が出来ました。ただ、どうしても記念宝印が頂ける2018年内に結願するという大前提の遍路の旅でしたので、思い返してみても、全体を通して駆け足気味の遍路路だったなあ感じています。個人的にはもっと寄り道していきたかったというのが本音ですかね。

ただ、思い残すことは次の機会に回せばいいので、今回は知多四国霊場を結願出来たという事を喜びたいと思います。色々あってまだ納経できていない(2019年12月現在)結願寺である「八事山 興正寺」または「覚王山 日泰寺」になんとか2020年内には納経しに行きたいと思っています。納経した時には、また報告させて頂きます。

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やはり、旅先の情報はネット検索もいいですが、るるぶなどの旅行ガイド雑誌が一番ではないかなと思います。ネット情報はどうしてもディープになりがちで、いざ旅行に行こうと思っても、俯瞰的な情報が不足しがちな気がします。 やっぱり、"るるぶ"を見ながら、旅の予定表を作っていくのも、旅行の醍醐味ですよね。

所在地を地図で確認

寺院名鷲頭山長寿寺
所在地愛知県名古屋市緑区大高町字鷲津山十三番地
最寄駅JR東海道本線「大高駅」徒歩3分

寺院・霊場巡りの際のバイブルに

元々、当サイトは神社巡りを通じて、皆様の住んでいる所にある"村の鎮守の神様"と呼ばれる神社を紹介してくサイトを目指していたんです。むしろ寺院については、縁遠いものとおもっていたんですよね。しかし、ちょっとした御縁で弘法大師霊場に出会い、そして愛知県では一番活動が盛んな"知多四国霊場"を巡礼、結願する事になりました。でも、神社の事はある程度知識があっても、寺院については未知の世界だったので、少しでも巡礼の時に役に立てばと思い、こちらの本を読ませて頂いております。

少しでも巡礼の時にお役に立てる事もあるかと思います。是非一度読んでみてくださいませ。

次の目的地は?

知多四国霊場巡礼の旅は「長寿寺」で結願となりました。

でも、旅は続きます。

長寿寺の運命を左右したといっても過言ではない「鷲津砦」が長寿寺のすぐ裏にある山にその砦跡がありますので、そちらを訪れたいと思います。

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